第95話 花集め


 春になり屋敷の面々の活動が活発化する中……誰よりも春の到来を喜び、元気に動き回っていたのは、屋敷に住まう妖精であるシーだった。


 妖精にとって春は暖かなだけでなく、生命力と魔力に満ち溢れる、一年で一番活気に満ち、その力を増大させ、快適に日々を送ることの出来る季節でもあり……そういう訳でシーは、屋敷を飛び出して、その活動範囲を大きく広げての毎日を送っていた。


 キャロラディッシュの屋敷や、庭や牧場も決して悪くはないのだが、少しばかり無骨というか、華やかさに欠けている部分があり……春らしい華やかさを求めてシーは、屋敷から少し離れた森へと毎日のように通っていたのだ。


 この辺りの森は、マリィが暮らしていた大陸の森とは全く別の、同じ森とは思えない世界を作り出していた。


 大陸の森は鬱蒼としていて、木々の枝葉が日光を遮りじめじめとしていて……生命に溢れる生き物の坩堝のような空間なのだが、この辺りの森は木々の間隔が広く、木々それ自体もほっそりとしていて……馬で駆け抜けても問題ないような空間で、大陸出身者であればこれは平野であるとそんなことを言い出してしまうかもしれない。


 風がよく通り、日光が地面まで降り注ぎ……爽やかな空気の中で小さな草花がちょこちょこと顔を出している。


 小さな草花がよく育つので、虫や小動物などが餌に困らず、虫や小動物が多いので、捕食者が多く……そんな捕食者でも襲うことのできない、大きな体をした草食動物がのっしのっしと歩き回り、地面の草花や高く伸びた木々の皮、枝葉などを食む……そんな世界。


 そこをシーが機嫌良く鼻歌など歌いながら飛び回っていると……この辺りの春の光景、真っ青なブルーベルが広がる花畑が視界に飛び込んでくる。


「ようやく咲き始めたか」


 4月が終わり5月が始まる頃、この辺りは数え切れない程のブルーベルに彩られることになる。

 その咲きっぷりは本当に見事なもので、爽やかな新緑が揺れる森の中に青い絨毯を敷き詰めたかのような光景を作り出してくれて……そのあまりの見事さに、重ね世界の住民達がその光景を見るためだけにやってくる程であった。


「そのせいで妖精を見ようだとか捕まえようだとか、不届き者がやってくるんだけど、ここら辺はキャロットの所有地だからその心配はなし。

 ありがたいったらないねー」


 なんて独り言を呟いてからシーは、ブルーベルの下へと向かって……ブルーベルの花に触れたり、匂いを楽しんだりして……静かで平和で、それでいて心が満たされるたまらない時間を過ごしていく。


「ん……これは弱っているから、良いかな」


 その中でいくつか弱っている花を見つけるとシーは、そっとそれを根本から摘み取り……自らの空間、魔力によって作られた袋の中のような空間にそれをしまいこむ。


 シーにとってブルーベルを始めとした草花は、キャロラディッシュ達にとっての杖のようなものだった。


 それを介して魔法を発動させ、それを介して様々な現象を引き起こす。


 かつてシーがその力を振るった際にも、その手の中にはこの時期にしか咲かないブルーベルの花の姿があり……それらはこうして摘み取られたものだった。


 見栄えを気にするならば力強く色濃く咲く、元気な花を摘み取るべきなのだが、自らのためにそうするのはどうにもためらわれて、小さな罪悪感と共にシーはあえて弱々しい……遠からず枯れてしまうだろう花だけを摘み取っていた。


 キャロラディッシュの屋敷に住まう本体の分だけでなく、クラークと共に活動している分体や、キャロラディッシュの領地や学校、病院などにこっそりと住み着いている分体の分まで用意する必要があり、かなりの数を確保する必要があり……その数を思えば手当たり次第に確保してしまったほうが楽なのだが、それでもシーはそうはせずに、ゆっくりと春の暖かさを楽しみながら、ブルーベルの花を摘みっていく。


 そうやってシーがブルーベルの花の中を飛んでいると……大きな足音と大きな気配が、ずんと森の中を進んでくる。


 一体何がやってきたのかとシーが驚きながら木の影に体を隠すと……その直後、大きな、とても大きな角を構える、馬よりも牛よりも、うんと大きい体をした鹿がやってくる。


 常識外の大きさだがありえない訳ではない。

 偶然長寿で偶然良い餌場に恵まれ、偶然そういう血を持って生まれたならばそうなることもあるかもしれないという、そんな大きさの鹿を前にしてシーが呆然としていると、シーの心に……頭の中に何者かが語りかけてくる。


『おお、妖精とは珍しい』


 その声がすると同時に鹿がシーのことをじっと見つめてきて……シーは驚きながらも、隠れるのをやめて、鹿の側へとふよふよと飛んでいく。


 キャロラディッシュが知恵を与えた者達とは全く違う、恐らくは自らの力で……自らが集めた魔力でもって知性を獲得した、聖獣あるいは神獣と呼ばれる類の獣。


 そんな奇跡のような存在を目の前にしてシーが目を丸くしていると、更に鹿が語りかけてくる。


『花集めか? 蜜集めか?』


「花集め、蜜は手出ししないつもりだよ、近くにたくさんのミツバチが住んでるからね」


『ほぉ、なるほど、随分と優しいのだな』


「いやいや、巣箱の管理を我が家がやってるからね、おこぼれが貰えるからそんなことをする必要がないのさ」


『なるほど……巣を壊さずおこぼれをもらう程度であればやはり優しいと言えるだろう』


「どーだろうねー……。

 ああ、それと、この先はその我が家があるから、この先に進むつもりなら気をつけてね、アンタに興味持ちまくって調べちゃおうとしかねない、面倒なじーさんもいるからさ」


『……そうか、そういうことなら気をつけよう』


 と、鹿との会話を始めたシーは……相手が好意的かつ理性的であることもあって、それからしばらくの間、花集めを中断し会話を楽しむのだった。

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