第74話 リンゴの理想郷
アップルパイが良い焼き加減となり、辺り一帯にその香りを漂わせて……そうして庭へと運ばれていくと、その香りに引き寄せられていたソフィア達もまた一緒に庭へと足を向ける。
鼻をすんすんと鳴らしながら猫達と一緒にそうするのは、とてもはしたないことではあったが、今更そんなことを気にしても仕方ないと、その状態のまま庭へと向かうと……庭のそこかしこに絨毯が敷かれていて、その上にティーポットやティーカップ、ケーキ皿やナイフとフォークなどが用意されていて……そこにアップルパイが運ばれていく。
「ソフィアとマリィはこっちに来ると良い。アルバートとロミィの席も用意してある」
と、テーブル側の椅子にゆったりと腰掛けるキャロラディッシュに声をかけられて……ソフィア達は素直に従い、用意された自らの席へとつく。
ヘンリーを始めとした猫達は絨毯の上へと向かい、こちらも用意されたそれぞれの席へと向かい……給仕係の猫の手によってティーカップにお茶が注がれていく。
また別の給仕係の猫がアップルパイを切り分けて……そうやって秋の茶会の準備が進む中……「ふむ」と小さく唸ったキャロラディッシュが、手にしていた杖を軽く振るい、魔術を発動させる。
小さな枝が伸び、静かに動き、そこに住まう者を刺激しないようにしながらそっとそこへと入り込み……ミツバチ達の巣箱から、そっとハチミツを抜き取る。
ミツバチ達が冬を越す為の大事な食料だからと、抜き取るのはほんの少量、ミツバチ達の生活に影響がないよう、気付かれない程度の量に留めて……そうやって抜き取ったハチミツをいくつかの雫に分けて、庭のティーカップ全てに一滴ずつ、ぽたりと垂らす。
「来年再来年、もっと巣箱が増えたならもっと味わえるかもしれないが、今年はまぁ、このくらいにしておくとしよう」
そんな魔術を発動し終えてのキャロラディッシュの一言に、異を唱えるものは一人としていなかった。
誰もが頷き納得し……そんな光景を見やって満足そうに頷いたキャロラディッシュは、
「では、いただこうか」
と、声を上げて、フォークへと手を伸ばす。
そうして切り分けられたアップルパイを……良い色になったリンゴとパイ生地をざくりと刺して口の中に運び……「美味い」と一言、感嘆の声を漏らす。
それを合図に猫達もまたアップルパイにフォークを突き刺し、ソフィアとマリィも突き刺し……アルバートはひょいと一口で、ロミィはクチバシで少しずつ啄んでアップルパイを食す。
さくさくと音を立てて解けるパイ生地。
そこにシナモンの香りが広がって……甘みと酸味が強烈なリンゴの味と香りが一気に口の中を支配する。
驚く程に美味しくて、もっともっと食べたくなる程に甘くて、香りが立っていて……そこにハチミツ入りのお茶を流し込んだなら、これ以上無い幸せな気分が一同を包み込む。
かつて聖剣を携えた英雄は、見渡す限りにリンゴの木々が広がる理想郷を目指して旅をしたというが、それも納得だ。
このパイを……このリンゴという木の実をもっともっと、毎日毎日お腹いっぱいになるまで食べられたなら、どんなに幸せだろうか。
ジャムにもジュースにもお酒にも、何にでもなるリンゴに囲まれた幸せな生活。
そんな夢のような日々を思い描きながら口いっぱいに広がる味と香りを堪能し……ごくりとそれを飲み込んだなら、次だ次だとフォークを動かす。
残念なことに一口で食べきってしまったアルバートに『次』は無かったが……それはそれで、一口でこんなにも美味しいものを食べきったという満足感があり、アルバートは腹をさすりながら「はふぅ」と息を漏らす。
ロミィは少しずつ 少しずつ、そのクチバシでついばいんでいて、猫達はパイ生地を顔いっぱいにばらまきながら、絨毯の上にばらまきながら、笑顔でもっしゃもっしゃと食べていて……キャロラディッシュとグレースは、そんな光景をなんとも楽しそうに眺めながらお茶を飲む。
アップルパイを食べ終えてしまって、お茶を飲み終えてしまっても絶望する必要はない。
工房ではアップルジャムが煮込まれている、そのままかじるためのリンゴも確保されている。
まだまだ楽しめる、リンゴの理想郷はしばらくの間、この屋敷に存在してくれる。
だけれどもそれは冬を越せる程ではなく、冬になればきっと食べ尽くしてしまうに違いなく……猫達はハッとした表情になり、庭の周囲に並ぶリンゴの木を見やる。
そうして胸に抱くのはもっともっとリンゴの木を増やしたいという思いだった。
もっと木を増やせばもっとリンゴを収穫でき、もっともっとリンゴを楽しむことが出来る。
そうとなったらグズグズはしていられない、すぐにでも農場へと向かい、そこで働く者達にリンゴの木の増やし方を聞かなければ!
そう決意し、立ち上がり……農場の方へとニャンニャンと声を上げながら駆けていく猫達。
「……毎年毎年、よくもまぁ飽きないものだな」
その様子を見てそう呟くキャロラディッシュ。
それはもうすっかりと見飽きた毎年の光景で……種を植え、苗木を育て、苗木を冬の寒さから守り、そうして春に庭の側へと植えるまでが、セットの光景で。
まだまだ実を成すには遠い、庭から少し離れた位置にある苗木達のことを見やったキャロラディッシュはなんとも言えないため息を吐き出す。
「毎年、やっちゃってるんですね」
「毎年頑張ってるなら、毎年毎年少しずつ収穫量が増えてるんですね?」
ため息を吐き出したところにソフィアとマリィからそう声をかけられて……キャロラディッシュはなんとも言えない表情で言葉を返す。
「事がそう単純であったなら良かったのだが、中々そうもいかなくてな。
苗木をいくら増やしても、成木が積雪や落雷で折れてしまうこともあれば、老いて枯れてしまうこともあり……毎年必ず増えているとは言い難いのが現状だな。
……それでもまぁ5年10年という長い目で見れば、じわじわと増えてはいるからな……そこら辺は猫達の頑張りのおかげと言えるだろう」
その言葉を聞いてソフィアとマリィは、お互いの目を見合ってコクリと頷く。
自分達の知識で、あるいは魔術で猫達を手伝ってやればもっと上手く行くのではないか、もっともっとリンゴが増えるのではないか、食べられるのではないか……?
そう考えて頷きあった二人は異口同音に『美味しかったです!』とそう言って席から立ち上がり……まずは書物でリンゴの木ことを詳しく調べようと、書庫に向かうべく、屋敷の方へと駆けていく。
その後姿を見送ったキャロラディッシュは、今度ジョセフがまた来たのなら、そこら辺について詳しく書かれた本を注文しておくかと、そんなことを思うのだった。
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