第75話 家鳴
それから何事もなく日々が過ぎていって……ある日に長い雨が振り、翌日も雨が振り。
そんな雨が段々と氷雨になり、一気に空気が冷え込んでいって……。
ついこの間までは庭でアップルパイやお茶を楽しんでいたのだが、もうそんなことも出来ない程に冷え込んでしまい……キャロラディシュ達は屋敷の中で日々を過ごすようになっていた。
庭の草花も冬を迎える準備をし始め、ミツバチ達も少しでも寒さをしのげるようにと、毛皮をかけられた巣箱の中に籠もっている。
工房ではそこかしこにある暖炉に火がくべられ、牧場の家畜達は厩舎にこもり、身を寄せ合ってお互いを暖めあっている。
そんな風にすっかりと秋も後半になり……もうすぐ長い長い冬がやってくる。
「春が来るまでは本を読むのも良いだろう、魔術の研究をするのも良いだろう、グレースに習って刺繍裁縫などをするのも良いだろう。
それぞれ怠惰にならぬよう、考えて日々を過ごすように」
分厚いカーテンがかけられ、分厚い絨毯がしかれ、その上には様々な毛皮が置かれて……そんな煌々と火が燃え盛る暖炉の間で、ロッキングチェアに腰掛けたキャロラディッシュがそう言うと、煤に汚れるのもお構いなしで暖炉の側へと近寄り、猫達やアルバート、ロミィやシーと一塊になってゴロゴロとしていたソフィアとマリィは、キャロラディッシュの方を見やりこくりと頷く。
「冬の間は特別にここで読書をしたり、研究をしたり……その他趣味的なことをしても何も言わぬから、好きに使うと良い。
何か足りない物、欲しい物があればその都度言うように」
更にキャロラディッシュがそう言うと、ソフィアとマリィはもう一度頷いて……さて、どうしたものかと頭を悩ませる。
食堂の隣に作られたこの部屋は居間とも応接間ともまた違う、独特の空間となっていた。
大きな暖炉があり、ガラス戸棚があり、いくつかのチェストがあり……ロッキングチェアがあり。
それ以外には何も無く、広い絨毯と毛皮がいくつか置かれていて……その上でゴロゴロとすることが許された特別な空間。
本来であれば床の上に寝転がった状態でだらしなくくつろぐなど、到底許されたことではないのだが……靴を脱ぎ、あるいは足を丁寧に洗い、汚れを持ち込まないようにと気を付けられているここでは、晩秋から冬の間だけそれが許されていた。
それもこれも全ては猫達の為。
寒さが苦手な猫達にとって冬の間の暮らしはとても辛いものだ。
毛皮があっても、その上に服を着ていてもそれでも冬は寒く……毛皮を持つ者同士、身を寄せ合い、一塊となって……絨毯の上をゴロゴロとしていなければ、とても耐えられたものではない。
だからこの屋敷ではそれが許されている。
一塊となってゴロゴロとする猫達を、ロッキングチェアで揺れながら眺めるのがキャロラディッシュの密かな楽しみでもあり……そのおかげでソフィア達は、なんとも怠惰で暖かで、蠱惑的な時間を過ごすことが出来ていたのだ。
ただ、それに甘えてばかりではキャロラディッシュに申し訳が立たない。
ソフィアもマリィもそれぞれに何か、意義のあることをしようと考えて……頭の中で様々なことを考え、様々な考えを巡らせたソフィアが……起き上がり、絨毯の上にちょこんと座り直し、そうして一応の体裁を整えてからキャロラディッシュに質問を投げかける。
「あの、キャロット様。
質問があるのですが……」
「なんだ?」
「たとえばですけど、キャロット様の魔術ならこの寒さを防いだりすることも可能ですよね?
そうはなさらないのですか?」
その問いに対し「ふむ」と呟き……その髭を一撫でしたキャロラディッシュは、言葉を返す。
「可能は可能だろう。
春が来るまで穏やかで暖かな空気を作り出し、この屋敷を包む程度であればそう苦でもない。
……が、冬の寒さも凍てつく風も、重く降り積もる雪も意味があって存在しているものなのだ、それを無かったことにするなど到底許されることではない。
もし仮にそんなことをしたならば、まずは植物の生態が狂うことだろう、次に虫達が影響を受けることだろう。
そうしてその影響は動物達にまで波及し……場合によってはこの屋敷と周辺が酷いことになるかもしれん。
冬の寒さがあればこそ抑えられている病魔もあるだろうし、害虫もいるだろう。……たかが寒さを防ぐ為にそこまでの被害を出すなど愚かに過ぎる。
更には冬を司る精霊達の怒りを買い、相応の罰を受ける可能性もあるのでな……余程のことが無い限りはやろうとは思わんな。
寒くなったなら羊毛をまとい、暖炉に火をくべ、温かいスープを飲めばそれで良い」
「なるほど……。
魔術でこの部屋を暖める、とかも憚られることですか?」
「そうだな。
可能な限り魔術には頼らず、暖炉などを活用すべきだろう。
暖炉に住み着く精霊や、煙突に住み着く精霊もおるからな。
魔術に頼りきった日々を過ごしたとして、ある日体調を崩すなどして魔術を使えなくなった際には、精霊達に嫌われてしまい暖炉が使えずに困ることになるだろう。
……大陸では確か、暖炉に住まう精霊をドモヴォーイと呼ぶのだったかな?」
二人の話に聞き入っていたマリィは、そう話を振られてハッとなりながら絨毯の上に座り直し、言葉を返す。
「は、はい、そうですね。
暖炉の中にいて家を守ってくれる精霊です。
……火事の原因にもなる火を司る精霊でもありますので、敬意をいだくのと同時に恐れられてもいますが、それでも引っ越しの際には、ドモヴォーイのために暖炉にくべた薪に火をつけて、その火を消さないように持っていって、新しい家の暖炉にくべるようにしています。
こちらではブラウニーという精霊がいるんでしたっけ……?」
「ああ、そうだな。
ミルクとパンを与えておけば家の為、家族の為、懸命に働いてくれる善良なる精霊ブラウニー。
お前達も時たまその気配を感じることがあるのではないか?」
と、キャロラディッシュがそう言うと、ソフィアとマリィは覚えが無いのか首をくいと傾げる。
それを受けて話を聞いていたシーが口元に手を当てながらくすくすと笑い……キャロラディッシュは立てた人差し指を口元に持っていって『静粛に』と仕草で示す。
……すると、それを待っていたかのように、天井がギシリと音を鳴らす。
それは屋敷の中にいればよく耳にするありふれた現象で……ギシギシ、メキリと様々な音が響いてくる。
するとキャロラディッシュがその音を追いかけるように、立てた人差し指を動かしていって……そこに何かがいることを、音を立てながら天井裏を移動していることを指し示す。
それは様々な音を立てながら走っていって、何をどうやったのか天井裏から暖炉の煙突へと潜り込み、煙突の中をスススっとゆっくりと降りてくる。
すると煙突の中の煤や灰がパラパラと落ちてきて……ひょこりと、火が舞う暖炉へと顔を出す。
どんぐりのような形の茶色の帽子をかぶった、つぶらな瞳を火の光でキラキラと輝かす小人。
揺れる暖炉の火がその体や服にあたっても燃えることなく熱がることなく、煙突から逆さまにその顔を覗かせている。
ぷにぷにとした頬、垂れ下がる三編みにされた桃色の髪、丸っこい顎に髭が無い所を見ると、どうやら女性であるようだ。
そんなブラウニーの方に、キャロラディッシュの人差し指が向いていて、一同の視線が向いていて……自分の噂話をしていると、こっそりと覗き見たつもりだったブラウニーは、頬を真っ赤に染めてさっと煙突の中に戻っていく。
その姿を見送ったソフィア達は、まさかあんなに可愛らしい同居人がいるだなんてと、驚きながらも満面の笑みとなり……またあの可愛らしい姿を見てみたいと、心を踊らせるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます