第18話 彼にとっての理想の時間
マリィという女の子は、とても大人しく控えめで、あまり自分の意見を言わないという、そういう女の子だった。
キャロラディッシュがソフィアとお揃いのドレスを仕立ててあげても、歓迎パーティを開いてあげても、喜びの感情をあまり表に出さず、ただただ静かで無口で……だが、それが彼女の本当の顔ではないということをキャロラディッシュは既に知っていた。
ソフィアとヘンリー達を目にするなり、元気で力強い声を上げて駆けていって、思わず抱きしめてしまうような、そういう女の子であることをキャロラディッシュは初対面の際に目にしていたのだ。
もしかしたらマリィの本来の姿は、そんな形の……ソフィアよりも活発で、元気なものなのかもしれない。
そういった好ましい姿がそんな風に失われてしまっているのは、とても悲しく辛いことだが……かといって無理にその姿を掘り起こし、大人の手で取り戻してやれば良いのかと言うと、そうではない。
グレーテに言ったように数ヶ月、あるいは数年の時間をかけてゆっくりと、本人のやりたいように進めてやるべきことなのだ。
幸いにしてマリィの側にはソフィアという太陽のように明るく元気な女の子が居てくれている。
元々の性格が似ているからなのか、たったの数日で親友といって良い程に仲良くなったソフィアと一緒の時を過ごしていれば、マリィが本来の姿を取り戻すのもそう遠いことではないだろう。
そういう訳でキャロラディッシュは、当分の間マリィにもソフィアにも関わらずに、二人の好きにさせてやって……そうすることで二人の仲が深まるのを、マリィが本来の姿を取り戻すのを待つことにしたのだった。
そうしてマリィがやってきた日から五日が過ぎた頃。
キャロラディッシュは春の日差しの下、いつものサンルームで優雅な、一人の時間を堪能していた。
この辺りには農園や牧場、工房といった見るべき場所がたくさんある。
屋敷内の中だけでも、様々な部屋や図書室があり……子供達にとってはいくらでも遊んでいられる、いくらでも時間を過ごせる、夢の世界のような場所だと言えるだろう。
その上隣には同い年くらいの女の子が、親友が居てくれるのだ。
何もかもが楽しくて、いくらでも遊んでいられて、いくらでも時間を過ごせることだろう。
(そうだそうだ、それで良いのだ。
こんな爺なんぞに関わることなく子供達だけで、子供達だけの時間を過ごせば良いのだ。
なぁに、あの吸収の良さなら魔術のレッスンだ何だは週一回もやれば十分だろう。
残りの六日はそうして子供らしく好きなように遊んでいれば良いのだ。
そうしてくれれば儂はこうして自由に、以前のような一人の時間を過ごすことが出来る。
……ああ、ああ、そうだ、この静かな時間だ。
この一人の、儂だけの世界の、ただただ静かで、豊かな時間……これこそが儂にとっての理想だったのだ。
ここ最近はソフィア達のことばかりで忘れかけていたが……これは決して忘れてはならぬものだったのだ)
と、そんなことを考えながらペンを走らせて、ここ最近の研究成果を紙に記していくキャロラディッシュ。
そのペンの冴えはいつにない……この生活を始めたての頃の若い時をも超えてしまうもので、キャロラディッシュはペンが止まることなく走ってくれることへの快感で、どんどんと気分を盛り上げて、まさかの鼻歌まで歌ってしまいながら、激しく、楽しげに論文を仕上げていく。
そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。
まるで夢の中に居るかのような、美味い美酒に酔いしれたかのような、そんな時間をキャロラディッシュが尚も過ごしていると……ふいに、なんとも言えない奇妙な違和感がキャロラディッシュの背中を襲ってくる。
それは何かがチクチクと背中を刺すような、背中から強い光を当てられたようなそんな感覚に似ていて、一体何事だと訝しがったキャロラディッシュは、ペンを一旦止めて後ろへと振り返る。
するとキャロラディッシュの後方……半端に開かれたサンルームと屋敷を繋ぐ扉の向こうに、仲良くその身を寄せながらサンルームの中を覗き込んでいるソフィアとマリィの姿があり、先程襲って来た違和感が二人の視線だったのだと気付いたキャロラディッシュは、なんとも言えない気恥ずかしい感情に包み込まれてしまう。
あくまでキャロラディッシュは論文を書くという、誰に恥じる必要もない、至って真っ当で高尚とも言える作業をしていたのだが……それでも恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なくなってしまい、ソフィア達のことをじっと見つめたまま何も言えなくなり、更には身じろぎ一つすらも取れなくなってしまう。
そんなキャロラディッシュのことをじっと見つめていたソフィアは、キャロラディッシュの内心に気付いているのか、いないのか「お忙しいところ、お邪魔しちゃって申し訳ありません」と、そう前置きをしてから言葉をかけてくる。
「キャロット様、マリィちゃんと魔術についてのお話をしていたら、マリィちゃんもキャロット様の魔術を……海の向こうのマリィちゃん達の魔術とは全く違う、この島独特の魔術を習いたくなっちゃったそうなんです。
私の時のようにレッスンをしては頂けないでしょうか?
私もレッスンの続きをして頂きたいですし……お願いいたします」
そう言ってじっと……動けなくなってしまっているキャロラディッシュの目をじっと見つめてくるソフィアとマリィに対し、キャロラディッシュはただ一言。
「わ、分かった」
と、そう返すことしか出来ないのだった。
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