第10話 工房の猫達
キャロラディッシュの言いつけを守って静かに、駆け足にはなっていない程度の急ぎ足で牧場へと向かい、牧場の端にある木造厩舎の奥の、厩舎と同じ造りの建物へと到着したソフィアとアルバートは、ちょうどそこに入ろうとしていた猫達に、自分達も工房に入りたいと、そう声をかける。
すると猫達は笑顔で頷いてくれて、工房の入り口にある、着替え用のタンスが並ぶ一画へとソフィアとアルバートを案内してくれる。
そこでソフィアは靴を脱ぎ工房用の薄革靴に履き替えて、エプロンと頭巾を着用し……アルバートは猫達に教わりながら、手伝ってもらいながら作業服を着用し……そうしてから二人は、その一画の奥にある大きな木の扉を押し開いて、大きな木の壁と、レンガを敷き詰めた床と、高いしっかりとした造りの屋根を持つ……厩舎を改造して作ったらしい工房へと足を踏み入れる。
「わぁ、凄い熱気!」
「うん、凄いね、こんな光景……初めて見たよ」
工房の中に広がる熱気溢れる光景を一目見たソフィアとアルバートは、感嘆しながらそう言って、その光景を改めてじっくりと眺めていく。
レンガ作りの竈が横一列に整然と並ぶ一画には、大きな鉄鍋が数え切れない程並べられていて、そこでは様々な物が煮込まれている。
チーズにするためなのかミルクが煮込まれ、今日の夕飯になるのか肉塊が煮込まれ、これから何かに加工されるのか動物の革なんかも煮込まれていて、そこから漂ってくる匂いと熱気は驚かされる程に凄まじく、そちらに顔を向けているだけで圧倒されてしまう程だ。
それらの鍋の前には、小さな体を持つ猫達の為なのか、車輪付きの木製簡易階段のようなものが置かれていて、その頂点に立つ猫達は、自らの身長よりも何倍も長い、木ヘラや木サジをその両手でしっかりと握って、懸命に……それでいて楽しそうに鍋の中身をかき回している。
別の一画では、猫達サイズの机と椅子が横一列に並んでいて、そこでは猫達がハーブを揉み砕いていたり、香辛料を摺り砕いていたり、パン種を練り作っていたりと、様々な作業に従事している。
そこにいる猫達は誰もがとても真剣な様子で作業をしているのだが、同時に頭を左右に振りながら鼻歌を歌っていたり、作業服の中で尻尾をくねらせながら踊っていたりと、とても楽しそうにしているのが印象的だ。
……いや、その一画だけでなくこの工房の中にいる猫達の誰もが楽しそうにしているように見える。
パン窯の並ぶ一画を見ても、洗い物をしている一画を見ても、ジャムの瓶詰め作業をしている一画を見ても、嫌々作業しているというような猫は一匹も居らず、ここにいる全ての猫達が楽しそうに積極的に……重労働と言っても過言ではない作業に従事しているようだ。
そうした様子を見て、猫達がこんなにもがんばり屋さんで働き者だったなんて! と、ソフィアが驚いていると、何かに気付いたアルバートがソフィアのエプロンの端っこをちょいちょいと引っ張ってくる。
「どうやら疲れたり、作業に飽きたりしたらあそこで休んで良いようだね」
と、そんな言葉を口にしながら、工房の隅にある「休憩室」と書かれた扉を指差すアルバート。
それを見て果たして猫達の休憩室とは一体どんな場所なのだろうかと、そんな疑問を抱いたソフィアは、アルバートを伴いながらその扉の前へと足を向ける。
扉の前に立ったソフィアが扉をそっとノックし「ニャー」との返事を受けてから扉を開けて、その奥へと足を踏み入れると……そこには休憩室と呼ぶよりも、猫達の楽園と呼んだほうが良いような光景が広がっていた。
何よりまず目に入るのは、可愛らしいカーテンが掛けられた大きな丸いガラス窓だ。
そこからはポカポカとした太陽の光が入り込んで来て、その光の当たる一帯にはいくつもの柔らかそうなクッションがあり、その上には数え切れない程の数の猫達が丸まったり、横たわったりとしている。
他にも「飲み放題」との文字が刻まれたミルクで一杯の大鍋があったり、「食べ放題」との文字が刻まれたパンやチーズ、腸詰め肉や干し肉が詰め込まれた大鍋があったりして……なるほど、これが猫達の労働の対価なのかと理解し、同時に頷くソフィアとアルバート。
ただ太陽の光を感じながら寝転んだり遊んだりしたいのであれば、屋敷裏の庭園があるが……庭園にはこういった飲み放題、食べ放題の大鍋は置かれていない。
この工房で懸命に働いたからこそ、この素晴らしい恩恵にありつける訳で……そしてそれらの恩恵を自らの手で作っているからこそ、猫達はあんな風に楽しげに作業に従事出来ていた……ということなのだろう。
あるいは何匹かは屋敷で働くヘンリーやグレースのように仕事が好きで、生きがいとしている猫達も居るのかもしれないが……ソフィアが知る限りの猫の性格を思えば、この恩恵を何よりの目的としていると考えた方が正しいのだろう。
休憩室の中にいる猫の数は、工房の中で働いていた猫達の数よりも二倍か、三倍かというくらいに多く、その数の差から考えると……どうやら猫達は工房でちょっとだけ働いて、休憩室でたっぷりと休憩するという、そんな働き方をしているようだ。
「……こんなにもたくさんの猫さん達が居るなんて、驚いちゃったね」
と、楽園の光景を見ながら呟くソフィアに、アルバートは頷いて言葉を返す。
「お屋敷と農園と牧場と、この工房を維持している訳だから、当然それ相応の数が必要なんじゃないかな。
……むしろこれでも少ない方なのかもしれないよ」
「そ、そうなの?
でもでも、今日までこんなにたくさんの猫さん達を見かけることなんて一度も無かったのに……」
「全ての猫達がお屋敷に来る訳じゃぁないんだろうね。
食事にしても寝るにしても、ここで全て事足りる訳だし……むしろ猫達の気まぐれで自由の性格のことを思えば、堅苦しいお屋敷には近づきたくないって猫も居るんじゃないかな」
そう言われてソフィアは、ヘンリーやグレースを始めとした屋敷の猫達のことを思い返す。
屋敷の猫達は食事の際には少しばかり自由になってしまうが、普段はとても礼儀正しく、ソフィアが知る人間の、一流の従者達と比べても遜色の無いスキルを有している。
それはそう簡単には身に付かないもので、また一度身に付けたとしても、それを維持し続けるというのはとても難しいことで……そういったことを嫌う猫達が居たとしてもおかしくはないだろう。
そうして大きく頷いたソフィアは、ここでは「キャロラディッシュの屋敷」というよりも、屋敷を含んだ「猫の村」というか「猫の社会」のようなものが成立しているのだなと、得心するのだった。
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