第9話 工房
ソフィアがキャロラディッシュの屋敷へとやって来たあの日から一週間が過ぎた。
この一週間をソフィアは、言葉を得た親友のアルバートと存分なまでに語り合ったり、ヘンリーを始めとした若い猫達と一緒になって駆け回ったり、グレースのような静かな時間を好む猫達と共に春の花を眺めたりと、そんな風に過ごしていた。
その過ごし方は十歳という年相応の子供らしいものでありながら、子供が抱きがちな欲望と我儘さから縁遠いものであり……キャロラディッシュはそうしたソフィアの在り方をとても好ましく思っていた。
裕福な家の養子となり、遠慮するな、したいようにしろと言われたなら、普通の子供であればまずはあれが欲しい、これが欲しいとそんな声を上げるはずだ。
ソフィアくらいの年齢であればそんな無礼な真似は出来ないと、堪えて見せることもあるかもしれないが……ソフィアが見せる表情には我慢だとか遠慮だとかそういった色は全く混ざっていなかった。
どこまで自然でソフィアらしい、ソフィアにとっては我儘で自由で、一番の楽しい在り方。
そうした彼女の在り方をキャロラディッシュは好ましく思うだけでなく、良き同居人、良き家族として受け入れつつあり……そのことに無意識的に気付いていたソフィアもまた、キャロラディッシュのことを良き家族として、良き保護者として受け入れつつあった。
そんな風に自然な形で距離を縮めつつあった二人が、散歩の後の午前の時間を、サンルームで片や論文執筆、片やアルバートとのマーブル(ビー玉)遊びという形で過ごしていると、そこに何枚かの白布を持ったグレースがやってくる。
「キャロラディッシュ様、工房の作業服がそろそろ傷んできましたので、新調してくださいな」
やってくるなりそう言うグレースに「分かった」と一言だけを返したキャロラディシュは、手にしていたペンのインクを切ってからペン差しに戻し、机の脇に置いてあった杖を手にする。
そうして以前ソフィアのドレスを仕立て直した時のように杖を振り、魔術を発動させて、グレースが手にしていた白布を、何着かの猫サイズの作業服へと変化させていく。
それは猫達の頭から尻尾まで、その手の指の一本一本までを丁寧に包み込む、全身を覆う形の作業服であり……それを見たソフィアとアルバートはきょとんとした表情になる。
こんな形の作業服を来て猫達は一体何をしているのだろうか、こんな形の作業服が必要になる「工房」とは一体どんな場所なのだろうか。
少なくともそれは屋敷の中には無いものであり、自分達が見て周った限りの屋敷の周囲にも無いものであり……そんな疑問を抱いたソフィアとアルバートは、作業服が出来上がったのと同時に、こくりと小首をかしげる。
そうして出来上がった作業服を手にグレースが退室した後に、ソフィアがキャロラディッシュに向けて、その疑問を投げかける。
「キャロット様、今の作業服は一体どんな作業に使うものなのですか?
それと工房とは一体どんな場所なのですか?」
アルバートと並んで立って同じ表情をし、同じ方向に小首を傾げながらそう言うソフィアに、キャロラディッシュは怪訝そうな表情をしながら声を返す。
「なんだ、もう一週間にもなるというのにまだ工房に足を運んでおらんかったのか。
牧場の厩舎の奥にある建物が工房なのだが……もう一棟の厩舎が並んでいるだけと思ってわざわざ足を運ばなかったと、そんな所か。
……あそこは猫達による食品工房でな、主に干し肉や腸詰め肉やチーズ、バターやクリーム、などといった品を作っておるのだ。
工房の猫達は皆器用で働き者で、驚く程の良い品を作ってみせるのだが……猫がゆえの欠点を抱えておる。
あの指さえも覆う豊かな体毛が食品の中にこれでもかと混入してしまうという、そんな欠点をな。
儂としてはその程度のこと気にもせんのだが、猫達には猫達なりのこだわりがあるようでな、ああいった全身を覆う形の作業服を好むのだ。
あれを着て、ガラスゴーグルを付けて口をタオルで覆っておけば、体毛の混入はまず起こらないと、そういう訳だ」
その説明を受けて、猫達が作業服を身につけた姿を想像し「なるほど!」と同時に手を打つソフィアとアルバート。
そうして猫達が織り成す食品工房の光景を思い浮かべて……是非この目で見てみたいと、落ち着かない様子を見せ始める。
「見学したければ、工房に行ってそう言えば見学出来るだろうが……工房に入るのであればアルバート用の作業服があった方が良いだろうな。
ソフィアにもエプロンと頭巾くらいは用意した方が良いだろうし……そうだな、工房に行きたいのであれば、倉庫の左奥のタンスの中から良さそうな白布を選んできなさい」
キャロラディッシュにそう言われて輝かんばかりの笑顔となったソフィアとアルバートは、遊びに使っていたマーブルを手下げ袋の中にしっかりとしまい、口紐をきつく結んで、サンルームの隅に置かれた棚の中にしまってから、タタタッとサンルームから駆け出ていく。
その後姿を見送ったキャロラディッシュが、グレースが見たら屋敷の中を走るなと怒るに違いないなと、そんなことを考えていると……余程に急いだのだろう、驚く程の早さで白布を抱えたソフィアとアルバートが駆け戻ってくる。
その様を見て髭の中で小さく笑ったキャロラディッシュは、待ちきれないといった様子の二人の為にすぐさま杖を振るって、二人の為の作業服を仕立て上げる。
「その全身作業服は着るのにちょっとした工夫と手間がいるから、詳しくは工房の猫達に聞きなさい。
それと、外では落ち着いて歩くように。転んでしまって作業服を汚したとなったら、工房の見学は当面の間、お預けとなることだろう」
その言葉には、キャロラディッシュがどうこうと言うよりも、洗濯係であるグレースが許さないだろうという、そんな意味が込められていて……優しくも叱る時はとても怖いグレースの笑顔を思い浮かべたソフィアとアルバートは、エプロンと頭巾と作業服をしっかりと抱きかかえながら、ぴしりと背筋を伸ばして、
『はい! 分かりました!』
と、異口同音での返事をする。
そんな二人にキャロラディッシュが頷くことで返事をしてやるとソフィア達は、今度は声を揃えずに、
「エプロンと頭巾、ありがとうございました」
「作業服、ありがとうございました!!」
と、二人なりの精一杯の思いを込めた感謝の言葉を口にする。
そんな気持ちいっぱいの感謝を受けたキャロラディッシュが優しげな表情になりながらもう一度頷いてやるとソフィア達は、早速とばかりに静かに駆けずに……出来る限りの急ぎ足でサンルームから出ていくのだった。
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