第5話 ソフィアのドレス


 ソフィアの種が芽吹き、キャロラディッシュが尻もちをついて、アルバートが二足で歩き出したあの瞬間から、少しの時間が過ぎて。


 サンルームの側、普段キャロラディッシュが散歩をしているちょっとした広場を、柔らかく微笑むソフィアと、先程までの弱りきった様子は何処へ行ったのやら、快活に笑うアルバートが駆け回っている。


 それはまるで仲の良い姉弟のようであり、想い合う母子のようでもあり……なんとも温かそうに、幸せそうに笑い合う二人を、キャロラディッシュはサンルーム内の椅子に腰掛けながら苦いハーブを噛んだような顔で睨みつけていた。


「ぐぬぅ……儂が、この儂が芽を出すまでにどれだけの時を要したと、若木になるまでどれだけの年月を要したと……」


 そんな嫉妬心を隠さないキャロラディッシュの独り言を耳にして、側に立っていたヘンリーが大きなため息を吐き出す。


「キャロット様~……流石にそれはどうかと思いますよ?

 あんなに小さい子に嫉妬だなんて……。

 そんなことよりボクは、アルバートくんの病気を治しちゃったことの方が気になるんですけど……魔術で病気は治せないんじゃ~?」


 ヘンリーにそう言われて、表情を取り繕い居住まいを正したキャロラディッシュは「ふんっ」と荒く鼻息を鳴らしてから、言葉を返す。


「それまでの魔術では治せなかった、が、先程それを覆す革新が起きた……ただそれだけのことだ。

 魔術の革新自体はよくあることで驚くには値しない。お前達が今のようになったのもその一つだからな。 

 ……問題はそれを成したのがあのソフィアだということだ! 魔術の魔の字も知らぬ種しか持っていなかったソフィアが! まさかその初手で魔術の革新を起こすとは……!!

 あぁぁ、全く! なんてことだ! なんてことだ!! なんてことだ!!!

 才能という言葉では全く足りない、遙か高みにある『何か』をあのソフィアは持っているのだ!!

 狂おしい……全くもって狂おしい!! この気持ち、嫉妬などという言葉では表現しきれんわ!!!」


 両手を高く持ち上げて、わなわなと震わせて、腹の底からそう絶叫するキャロラディッシュを半目で見やったヘンリーは、このサンルームに防音の魔術がかけてあって良かったと、ソフィア達にこの絶叫が届かなくてよかったと、そんなことを思って大きなため息を吐き出す。


 そうしてやれやれと顔を左右に振ったヘンリーは、呆れ交じり……というかそのほとんどが呆れで構成された声を吐き出す。


「……そーですか。

 で、どうするんですか? ソフィアちゃんの今後は。

 まさか嫉妬のあまりに追い出そうとか、何処かに閉じ込めようとか、そんなことを言い出したりはしませんよね?」


「何を馬鹿なことを!

 あれ程の魔術を見せたソフィアを追い出す? 閉じ込める? この儂がそんなことする訳がないだろうが!!

 ソフィアを正しい方向へと導き、邪なる者達から守ってやらんで何が魔術の探求者だ! 何が公爵だ!!

 儂のこれまでの人生は、ソフィアを導くために、ソフィアを守ってやる為にあったのだと言っても過言ではないわ!!

 儂の残りの人生はあの子の踏み台だ! あの子が自立するまでの卵の殻だ!!

 その行く果てに儂の探求は完遂を見ることだろう!!!」


 くわりと目を見開いてヘンリーを睨み、心底からそう絶叫するキャロラディッシュを見て、ヘンリーは「しょうがない人だなぁ」と、そんなことを呟きながらにっこりと微笑む。


 キャロラディッシュがそう言うのであれば、ソフィアのあの笑顔は守られるのだろう、ソフィアの未来は明るいものとなるだろう。


 どこまでも頑固で、嫌になるほど偏屈で……だからこそ虚言を用いないキャロラディッシュは、これまで口にした言葉の全てを、全力で強引に無理矢理に実現させてきた男だ。


 そのキャロラディッシュがこれ程までに強弁したのだ、何があっても大丈夫だ、安心だと、ヘンリーがそんなことを考えてうんうんと頷いていると、折りたたまれた何枚かの布を手にしたグレースが、サンルームへとやってくる。


「キャロラディッシュ様、少しよろしいかしら?

 ソフィアちゃんのドレスのことでご相談があるのだけれど……」


 年重の落ち着いた女性のようなグレースの声を耳にして、その表情を柔らかくしたキャロラディッシュが、


「どうかしたのか?」


 と、柔らかい声を返すと、グレースは声のトーンをいくらか落としてから言葉を返してくる。


「……ソフィアちゃんの着ているあのドレス、どう見ても丈が合ってないでしょう?

 汚れが染み付いちゃってるし、ほつれも酷いし……それで私、着替えを用意してあげようと思って、ビルちゃんが持って来た荷箱を開いてみたの。

 そしたらね、こんなメモがあったの」


 そう言ってグレースは一枚のメモをエプロンのポケットから取り出して読み上げる。


『いくら良いドレスを買ってあげても、ソフィアは母親の形見であるドレスか、自分で繕った掃除着しか身に着けようとしません。

 購入したドレスはこちらに用意してあるので、後のことはお任せします』


「―――ですって。

 ビルちゃんはほんと……こういうことに関しては駄目な子ねぇ。

 生活雑貨とか、お帽子とか下着とか、必要なものは大体揃っていたから、後の問題はドレスのことだけ。

 アルバートちゃんもあの格好の、裸のままって訳にはいかないし……キャロラディッシュ様、お願いできるかしら?」


 布を持ち上げてそう言ってくるグレースをじっと見つめたキャロラディッシュは、大きなため息を吐いてから布を受け取って、そうしてその視線を何処か遠くの方へと向ける。


「あやつめ……逃げるようにして帰ったのは、これが理由か。

 それならそうと、自らの口で伝えれば良いものを……全く女が絡むとすぐこれだ。

 と、言うかだ、あやつは十歳の子が相手でも駄目なのか? 全くもって情けないというか、なんというか……

 まぁ……母の形見を大事にしようというソフィアの気持ちは分からんでもないし、ここは儂が腕を振るうとしようか」


 そんなことをブツブツと呟いたキャロラディッシュは、机の上に置いてあったヤドリギの杖を手に取って布の上に置き、サンルームを出てソフィア達の方へと足を向ける。


 そうしてヘンリーとグレースを伴いながら数歩進み、ソフィア達の方へを向けて声を上げる。


「ソフィア! アルバート!

 話がある! こっちに来なさい!」


 その声を受けて「はい! キャロット様!」との返事をしたソフィアとアルバートが側までやって来たのを見て、満足そうに頷いたキャロラディッシュが言葉を続ける。


「ソフィア、そのドレスのことなのだが―――」


 と、キャロラディッシュがそう言った瞬間、スカートをぎゅっと掴み、硬い表情となるソフィア。

 その様子を見たキャロラディッシュは、その表情を少しだけ、ほんの少しだけ柔らかくして、その声をどうにか……無理矢理に柔らかいものへと変える。


「ソフィア、そう硬くならんでも良い。

 母親の形見を大切にしたいというお前の想いは、儂にも良く分かる。

 だから、そのドレスを着るなとは言わんし、捨てろとも言わん。

 ……とは言えだ、そのドレスをこれからも、いつまでも着続けるというのは、いくらなんでも無理があるというものだ。

 お前もそのことはよく理解しているのだろう?」

 

 キャロラディッシュにそう言われて、ソフィアはなんとも言えない、悲しそうな辛そうな表情をして、こくりと頷く。


 そんなソフィアの様子をアルバートが心配そうに見つめる中、キャロラディッシュはぎこちない笑顔を作り出す。


「……そう、普通ならば無理な話だ。

 だがな、お前の前にいるのは魔術師だ、それもこの国で一番の……いや、世界で一番と言っても良い程の腕を持つ魔術師だ。

 この儂の魔術があれば、そのドレスにこの布を継ぎ足して、サイズを調整してやるなど造作も無いことだ。

 ついでに汚れも綺麗に落とし、ほつれも直してやろう。

 形はそのままに、お前の母が想いを込めて縫ったその縫い目も、そこの縫い目のちょっとしたズレもそのままに、だ。

 そうしたならばいつまでも、大人になってもそのドレスを着続けられる訳だが……どうだ? この提案すらも受け入れられぬか?」


 キャロラディッシュのその提案にソフィアは、まずきょとんとした顔をして驚き、次にキラキラとその目を輝かせて、そうしてからその顔を全力で左右にブンブンと振って、


「ほ、本当にそんなことが出来るんですか!?

 も、勿論ご提案を受け入れます! どうか……どうかお願いします! キャロット様!!」


 と、そんな大声を上げる。


 その大声を満足そうに頷いて受け止めたキャロラディッシュは「持っていなさい」とそう言いながらソフィアに白い布を手渡し、アルバートに赤い布を手渡し、そうしてからヤドリギの杖を厳かな、大仰な仕草で振り上げるのだった。

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