第9話 嘘吐きは二重人格

「スパイ」というのは「espy」が由来で、「見つける」「探し出す」という意味なんです。


 スパイの活動は政府や組織に雇われるところから始まります。敵の懐へ入り、秘密裏に情報を集め、雇い主へ報告する。

 では此度の『氷槍』は何でしょう?『AAC』委員に情報を流すわけでもない、私情に流された彼女は「スパイ」とは言えませんねぇ...。


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「━━仲間にしてくれない?」

「断る」


 危ない橋はできるだけ渡ってほしくない。光希こうきはこれで諦めるならいいと思ったが、同時に絶対諦めない気がした。


「そう言っても付いていくよ?」


 ほらな。


 少しため息がでた。何がそこまで香織かおりを突き動かすのか、分からない。推理が得意なんて自称、やめよっかな。


「......勝手にしろ」

「じゃあ、そうさせてもらうよ」


 そんじゃまぁ、享二きょうじに頑張ってもらうか。

 と、光希は言い忘れていたことがあったのを思い出した。


 ━━それは、光希にとってとても大事なこと。守って欲しい約束。


「━━絶対に死ぬな」

「......当たり前でしょ」


 そうだな、当たり前だ。だが、俺たち人間は弱い。そんな当たり前を当たり前に貫くことが難しい。


 ━━人間は簡単に死ぬからな。


「それで、今日はどうするつもりなの?」

「決まってる」


 ここに来た目的は、なにも香織に会いに来た訳ではない。

 空き地の前の道を、背を丸めてこそこそと移動する人影があった。


「ずいぶんと、小物な動きをするな」


 光希は人影に声を掛ける。一瞬驚いた仕草を見せ、次に取った行動は......


「逃げたよ?」

「知っている」


 逃げた。だが、光希にとってこの距離は、能力を使って一蹴りで行ける距離だ。それを逃げようとしたところで、どうなるか。

 予想どうり、『物理改竄』能力で一蹴り。人影━━男の足を引っかけ転ばせる。


保内ほない たきだな?窃盗及び殺人。その身に罪を背負い━━償え」


 抜刀。だが、刃は男に当たる既の所で止まる。

 それはさながら、磁石のN極同士が弾かれる様な手応え。そこから予想出来るのは、光希の刀と、自分自身に同極の磁力を帯びさせる力━━━雷術師らいじゅつしと呼ばれる能力者の力だ。


「そんな芸当が出来るとは知らなかったぞ」

「......」


 男は何も答えず、魔力を練る。光希の刀から電気が走る、だがそれは警戒するにはほど遠い小さな力。


 そして、その力が━━


「......!?」


 空が光ったのと同時、瞬間的に膨張する力、地から天へ立ち上る電気の柱。光希はバックステップを踏み、逃げようとするが、避けきれず、足先が焼け、少し痺れる感覚がする。


(今のは......?)


 香織には分からなかったようだ。だが、光希はその正体が何か理解した。


 雷術師は空気中の水分を無理やり分解。プラス電荷のイオンを上空に、マイナス電荷の電子を光希の回りに溜めた。

 そして、導火線━━自分の電気で上空と地面を軽く繋げると何が起こるか...。


(クッソ......!落雷か!)


 男は擬似的な雷を放った。光希は魔力を感知できる。それは、人の位置や魔法による攻撃を感知できるということ。そのため、自然現象━━落雷という攻撃手段に反応が遅れた。


(予想外なことをしろ......我ながらよく言ったものだ。今、自分がその予想外を食らってしまった)


 男は今の攻撃で仕留められると算段をつけていたのか、舌打ちをし、すぐに次の攻撃を仕掛ける。

 魔力の電気を光希に向かって放った。

 光希は次の行動を起こされる前に仕留めようと、向かってくる電気を避け近づき、鋭い突きを入れようと━━


「......ぅぐ......!」


 一瞬、目の前が赤褐色に染まり、すぐにもとに戻る━━いや、戻ったんじゃない。幻覚でもなければ、それで何かが完成した?


 すぐにその場を飛び退く。だが、呼吸が苦しい、痛みを伴う。

 何をされた?さっきの電気?だが、食らっていない。なら考えられるのはまさか、


「はぁ、流石の冥帝も毒には弱いのな」


 男は初めて口を開く。そう、男がやったのは、空中放電によって毒を作ること。


「空気は窒素と酸素が多いからな。俺の力で余裕で作れちゃうわけよ」


 空中放電で、O₂酸素N₂窒素を反応させて窒素酸化物を生成。そこにO₂酸素H₂O水蒸気を加えて毒━━HNO₃硝酸の完成。光希は猛毒を吸い込み、危うく返り討ちにあうが、心のなかで百聞ひゃくぶんに一言。


(香織がいて、良い方にも転んだだろ?)


 男の腹部から氷の槍が覗く。そのまま冷気が男の足を止める。

 そして、槍を抜き後頭部に鋭い打撃を与え、昏倒させる。

 詰めが甘かった。自分が毒を吸わないよう、自分の回りには毒を作らなかった。そのため、香織に接近を許した。


 空気中の毒は流れて行ったが......


「冥帝!」


 光希から毒は抜けていない。香織は光希を支えて、比較的きれいな空気のある場所へ移動する。


「......毒食らっても平気とか言う?」

「言う分けねーだろ、俺は人間だ......」


 こうなってはどうしようもない。たとえ光魔法で体内の硝酸を分解したところで、出来るのは酸素とNO₂二酸化窒素だ。毒に変わりはない。

 その状態で水素だけを取り込めればワンチャン......いや、希望的観測がすぎるな......


 大人しく休もう。幸い、男は香織の氷で動けなくなっているからな。起きてもすぐ対応出来るだろう。

 獣化して、重症を防ぐ。それでも時間を要する。

 ......少し話でもするか。


「なぁ、か.......『氷槍ひょうそう』」


 香織と言いかけ、慌てて修正する。そういえば、冥帝は香織と面識無かったわ。


「『氷槍』って、『百聞』から聞いたの?だったらやめて欲しいな。馴れない」


 そんなこと言われましても、他に言い方無くないですか?


「なら、何て呼ぶ?」

「八色 香織。香織でいいよ」


 はぁ、知らない人のはずなのにやけにフレンドリーというか、何て言うか。


「何で俺に付いてこようとする?」

「......強くなりたい━━」


 その理由を語る。


 香織は思っていたこと。光希には言えないこと。彼には平凡なまま、非凡に打ち勝つ方法を教えて貰ったこと。それは事実であること。おそらく光希はそれで打ち勝てること。だけど、自分には背伸びをしても届かない不安があること━━


「━━だから、強くなりたい」

「そうか......」


 光希は自分の言葉で香織を悩ませたのかと、気付く。いや、実際救われてはいたのだろう。だが、希望は見えただけでは実現出来ないという話か......

 暫く時間が経ち、多少はましになった。男を享二の所へ連行するため、立ち上がる。


「香織、今日はもう帰れ......」

「それを何処に連れていくの?」

「拘置所だ。詳しい場所は言えない」


 流石に今そこまで言うつもりは無い。だが一つ言わなければいけない。


「ごめんな......」

「えっ......?」


 香織は聞き取れなかったのか、聞き返す。だが、光希は振り返らず飛び立つ。


 自分が香織に決断させてしまったことを、後悔しながら━━


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「きっつ......」


 昨日の今日で心機一転!学校生活!何てことできるわけ無いだろ。嘘を吐いてきた。これまでも、これからも。冥帝として、香織と会って初めて香織の悩みが分かった。いや、分かりきってはいないかもしれない。


(もうどうしろってんだよ......)


 完全に萎える光希。もっと、他に選択肢があったんじゃないかと、悩んでも仕方の無いことを悩む。

 そんなとき━━


「なぁ、俺思ったんだけどさ......」


 智也ともやがコンビニで買ってきた弁当を眺めて言う。


「手作り風って......結局手作りじゃなくね?」


 うん、そらそやろ。


「普通の商品と何が違うんだ?」


 言いやがったなこいつ。


 だが、正直分からない。手作り風と、何も書いてないやつとで何が違うんだろ?俺の舌が悪いだけ?


「うーん、まぁ、手に取りやすいとかじゃない?」


 ヒロよ、それはただの詐欺だ。名前だけ変えて中身変えないのはアウトだろ。


「なるほど、それで売り上げが上がるのか!」


 納得するな、売り上げが上がったら詐欺だっての。


「じゃあ、全部の商品に手作り風って書けばよくね」

「新鮮味がなくなるよ」


 そこじゃないと思うよ?ここで一つ言ってやらねば、


「お前、全部の商品って......手作り風プリペイドカードとか、胡散臭すぎるやろ!」


 学生同士の会話なんて適当だからな。平和だ、こんなの。


「発行されないナンバーが書いてあるかも」


 ヒロ、それガチの詐欺。

 でも、こういう無いと気が滅入るよ。友達に感謝だね、ホントに。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「冥帝、八色 香織はどうだ?」


 支部長室で、対面する享二と光希。


「まぁ、昨日は香織がいなかったら毒殺されてたかもしれなかったしな。いても問題ないかとも思ったが......」

「『思ったが』なんだ?」

「やはり、香織の人生を左右することを俺が決めて良いのかどうか......」


 光希が落ち込んでいるように見えた享二は言葉を掛ける。


「決めたのはお前じゃねぇ、八色 香織自身が決めたことだ。お前はどんな道であっても、導いてやればいいだろ」


 呆れたような顔で光希を諭す。


「あぁ、そうそう光希。『百聞』って誰なんだ?」


 享二すら知らなかった名前。報告に一度上がったきり、二度と情報が上がらない。冥帝の仲間と思しき者ということだけだ。だが、光希は


「さあな、『百聞』に関しては分からないことだらけだ。俺が分かるのは、能力者の研究をしてる頭のおかしいヤツ位だ」


 あとは、やけに物語を作るのに拘っているな。


「ふむ、なら別にいい」

「そうか。それはそうと明日だろ?」


 香織の休みが終わり、再び『AAC』の活動を始める━━光希は享二に、スパイという名目を叩きつけて欲しいと、遠回しに言う。


「まかせな。期待に応えてやる」


 享二は歯を光らせ、笑う。

 光希は頷き、またさらに欠けた月を眺め、空へ飛び立つ。

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