九の宝〜神の巻

大和やまとの地は焼け野原だった。

黒炭くろずみと化した家々の周りには、焼け出されたたみたむろしている。

皆生活の場を失い放心のていだ。

首や胴体など身体の一部が切断された死体が路上に散乱していた。

剣や弓を握り締めている事から兵士だと分かる。

少し離れた小山の上にその光景を眺める人影があった。

青藍せいらんの鎧をまとい、手には鮮血にまみれた剣が握られている。

荒い呼吸で睨み付ける様はまさに鬼神のそれだった。

「生き残りの兵はおりません……彦火火出見ひこほほでみ様」

彦火火出見と呼ばれたその若者は、小さく頷くと目を閉じて呼吸を整えた。

「そうか……これで世を乱す蛮族ばんぞくも最後だな」

吐き出すように彦火火出見が呟く。

饒速日にぎはやひ御神おんかみより騒乱平定の任を受けてから幾年月……苦難の道もようやく終わりだ」

そう言って若者は、背後の家来をかえりみた。

何百という兵士がこうべれている。

「御神の御託宣ごたくせんでは安芸あき吉備きびなど六国りっこくが諸悪の根源との事。この大和の地を制圧した今、世の平穏は保たれましょう」

側近らしき兵士が、片膝をついた姿勢で労をねぎらう。

「そうだな。御神の命に従い此処に居を構えるとしよう。祭殿にて饒速日の御神をまつり、我も名を神武と改める」

そう言い放つと、彦火火出見はきびすを返し馬にまたがった。

「ははっ、御意ぎょいにございます……!」

平伏へいふくする群勢を前に、若者は天をあおいだ。

「本当にこれで宜しかったのですね……御神よ」

絞り出すようなその言葉を聴き取れた者はいなかった。



「どういう事か説明してもらいましょうか……饒速日にぎはやひ

まばゆいばかりの日輪にちりんを背に、高台にした女神が問い掛ける。

凛とした声は、心身が凍りつく程の威厳に満ちていた。

「説明と申しますと……?」

一段下がった床にひざまずく、饒速日と呼ばれた男神おがみが答える。

痩身の体からはおびただしい闘気が溢れ出ていた。

「私は民心を平定せよと指示したはず。ですがあなたの代行を務める彦火火出見は、力に任せて国を制圧してまわっている。そのため兵士はおろか農夫や女子供まで命を落とす結果に……あなたのやっているのは単なる殺戮さつりくです」

女神は強い口調で言い放った。

「貴方に八握剣やつかのつるぎを託したのは間違いでした。あれは高天原たかまがはらでも最高位の神器。一度手にすれば、人と言えど神と同等の力を得られるものです。導きの神具として授けたのですが、貴方はそれを殺傷道具として使用した。そのせいで今、八握剣には数え切れぬ程の憎悪と怨念が蓄積しています」

男神をまっすぐ見下ろしながら女神は続けた。

落ち着いた中にも、言い逃れを許さぬ響きがあった。


「これは心外。私めはお言い付け通り騒乱を収めただけ。現に彦火火出見が統治した国は、いずれも一糸乱れぬ秩序が維持されております」

わざとらしく目を丸めて饒速日は言った。

「それは武力により民を支配しただけ。そのために幾千もの人命が奪われました。人の命を犠牲にして良いなどと言った覚えはありません」

「では一体どうせよと……」

「国々に優れた統治者を置き民を導くのです。親和と友愛から共に助け合う事の大切さを学ばせる。彦火火出見もそのために選びし者のはず……」

「あまいっ!」

饒速日は女神の言葉を遮り顔を上げた。

「恐れながら、貴女は人間というものをあまりに知らなさ過ぎる。怠惰と暴虐を好み、己れの欲の為なら身内はおろか神さえもないがしろにする……それが世の民です。それが人間というやからです。どれ程優れた統治者を置こうと、生来の本性は変えられない。唯一変えられるとしたら、それは力によってのみ可能。有無を言わさず従わせる事こそ、世の秩序を保つ唯一無二の手段なのです!」

男神は立ち上がると目に狂気を宿して激白した。

自らの言葉に陶酔し大仰おおぎょうに手を振る様は、最早神と呼ぶにはあまりにかけ離れた存在に見えた。


その様子を黙って見ていた女神は、やがて静かに目を伏せた。

「……饒速日、貴方こそ人間の本性を宿した存在そのものに見えます……全ては任命した私の責任ですね」

そう言うと女神は神殿の奥に向かって手を上げた。

ほどなく剣をたずさえた数名の男神が現れた。

「貴方を拘束します」

女神の言葉に、饒速日は一瞬鋭い眼光を返した。

もの言いたげな表情だが、結局一言も発しなかった。

男神たちが促すと、特に逆らう事無く素直に応じた。

そのまま神殿奥へと引き立てられて行く。

途中、一度だけ歩を止め振り向いた。

「今に覚えていろ……天照あまてらす

その台詞と共に浮かんだ不気味な笑みに、気付いた者はいなかった。

誰もいなくなった神殿で女神……天照大神あまてらすおおかみは小さくため息をついた。



「天照様、大変です!饒速日が姿を消しました!」

槍を手にした男神が駆け込んで来た。

「それで、八握剣やつかのつるぎは!?」

報を受けた天照大神が厳しい口調で確認する。

「そ、それが……奪われてしまいました」

その一言で女神の表情が一気に曇る。

神武天皇に事の次第を説明し回収した神器は、姿形すがたかたちを神鏡に変え保管していた。

仮の姿を与える事で力を封印したのだ。

事実を知らされた神武天皇はひどく驚愕し、そして深く思い悩んだ。

だまされたとはいえ、多くの人命を奪った罪は決して軽くは無い。

天照大神は自決しかけた天皇を思いとどまらせ、余生を国の平和のために使うよう説いた。

その命に従い、天皇はその後身命を投げ打って民に尽くしたのだった。

天皇の清く純粋な心を知った天照は、天皇崩御の後八握剣に更なる封印をほどこした。

姿

こうすれば仮に神鏡が他者の手に渡っても、誰も八握剣を手にする事はできない。

それがたとえ神であっても……である。


「さらにもう一つ……悪い知らせがございます」

報告に来た男神が、より険しい表情で続けた。

「今しがた占術師より報告がありました。それによると神武天皇の転生人まわりびとが、との事です」

女神は言葉を失った。

それはある意味、神器を奪われる事以上に深刻な問題であった。

神武天皇亡き後、封印により八握剣は永遠に日の目を見る事は無い筈だった。

だが今の報告では、未来において天皇の転生人が現れてしまうという。

それはつまり、神鏡を元の姿に戻せるすべができてしまう事に他ならない。

「まさか、饒速日はそのために……!?」

ハッとした顔の天照大神に対し、男神は苦悶の表情を浮かべた。

「はい、それが……奴めが【転生の儀】を行なった形跡がございました。恐らくはご推察の通りかと」

男神の返答を女神は遠くに聴いていた。


【転生の儀】……

自らを後の世に転生させる秘術である。

人間が輪廻転生する確率は極めて低い。

万に一つ発生したとしても、転生人に前世の記憶は無く、新たな人格として生きる事になる。

だがこの秘術を使えば、生まれ変わる事ができるのだ。

あやつとて八百万神やおよろずがみの一人。

神武天皇の転生の件が耳に入ったとしても不思議ではない。

今、八握剣は饒速日の手にある。

仮の姿である神鏡を元に戻すため、神武天皇の転生人を利用しようとするに違いない。

あやつが【転生の儀】を行なったのが何よりのあかしだ。

恐らく神武天皇の転生人と同じ時代に転生するつもりなのだろう。

もし、それが成功したとしたなら……

異常なほど人間を嫌悪しているあやつのこと。

八握剣を用いて、また無益な殺生を始めるのは必定ひつじょう

転生人のいる時代で、罪も無き多くの命が奪われてしまう。


それだけは何としても防がねばならない。

何としても……


暫しの黙考の後、天照は静かに顔を上げた。

「占術師に伝えよ。これから【転生の儀】をとり行うので準備せよと……」

女神の言葉に、控えていた男神の目が大きく見開く。

「……天照様……それは一体……!?」

絶句する男神を前に、女神はゆっくりと立ち上がり頷いた。

「饒速日の後を追い、私も転生人となる」

「し、しかし……それでは……」

男神の狼狽ぶりは目に余るほどであった。

無理も無い。

一度ひとたび転生を行えば、その時代からその者の存在が消失してしまう。

つまり天照大神という女神は、その瞬間からいなくなってしまうのだ。

さらに転生した時代では、自らがどのような姿で生まれ変わるかも予測できない。

男か女か、若者か年寄りか、まかり間違えば年端のいかぬ幼児かもしれない。

【転生の儀】で指定できるのは時期と場所のみ。

後は神と言えど運に任せるしかなかった。

そのリスクを冒してまでも女神は強行するつもりなのだ。

「後は任せましたよ」

そう言い残し、天照大神は神殿の奥に消えて行った。



伊邪那美仄いざなみ ほのかの話を聞き終えた皆の表情は、どれも呆然としていた。

あまりに荒唐無稽過ぎて、思考が追い付いていないのが分かる。

「……そ、それって……つまり……」

辛うじて口を開いたのはたけるだった。

さすがに動揺を隠し切れないのか、うまく言葉が出てこない。

その様子を半ば面白がるかのように、仄は片目をつぶってみせた。

「そ。私の前世は天照大神……今の私はってわけ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る