九の宝〜天の巻

声が聴こえる。

聴き慣れた声だ。

胸が締め付けられるほどの郷愁を誘う声だ。


幽巳っ!


私の大事な妹

明るくて、快活で……

そして姉思いの優しい妹


その妹が……

幽巳が苦しんでいる

悲鳴を上げて助けを求めている


闇と混沌の中を漂う自分にとって、それだけで目覚めるには十分だった。


待ってなさい、幽巳!

すぐに行くから

姉さんが必ず助けてあげるから


必ず……

私が……


【本当にそれでいいのか――】


誰かの声がした。


あなたは、確か……蛇比礼おろちひれ……?


【お前の神器だ――】

【お前は我を拒絶した――】

【だが今は我の力を欲している】

【本当にそれでいいのか――】


試すかのような意識が頭に流れ込んで来る。


あなたは言った

神器とは神の与えし至宝だと……

あなたなら、あの子を助けられるんでしょ


【我の力は神の与えしもの――】

【それはお前自身の人知を超えた力となる――】


なら、その力を与えて

あの子を……

幽巳を助けるために

お願い!


【分かった――】


声が止むと同時に、体内に何かしら熱いものが込み上げてきた。

それはまるで蛇のようにうねりながら一箇所に集まり始める。

それらの向かう先は自分の胸元だった。

目を落とすとが目に入った。

妹に貰った大切な宝物だ。

それが今、眩いばかりの光を放っている。

そして光の中に浮かび上がる紋章……


──


霊那の体から闘気がほとばしった。


バババァァァーン!!!


またも雷鳴の如き轟音が鳴り響く。


宙に浮き瑠璃色の髪を揺らす霊那を、皆息を呑んで見つめた。

神々こうごうしい女神にも似たその姿に目が釘付けとなる。

少女の視線は、仁王の体から突き出た一本の手に注がれていた。


「幽巳……」


霊那の口から言葉が漏れる。

すると突然、ゆらゆらとなびいていた髪が花開くように広がった。

その一本一本がまるで生きているかのようにうごめく。

次の瞬間、それらは一斉に仁王目掛けて襲い掛かった。

長く伸びた髪の毛は巨人の首と腕に巻き付き、激しく締めあげた。

仁王の動きが止まる。

さらにスルスルと伸びた先端が、自ら巨人の体内へともぐり込んでいった。

たちまち仁王が身を震わせて苦しみ出す。

声にならない雄叫びを上げながら、懸命に振りほどこうと暴れ狂った。


「無駄よ。お前は私を食べれない。何故なら……」

霊那の瞳が怪しく光る。

!」

そう言い放つと、少女の髪が波打つような蠕動ぜんどう運動を始めた。

それは明らかに、動きだった。


蛇王の晩餐スネーク・ディッシュ!!」


霊那の叫びが空気を揺るがす。

見る見る仁王の巨体が枯れ木のように痩せ細っていった。

まるで体中の生気を吸い尽くされたかのようだ。

やがて完全に動きの止まった巨人の身体を、幾筋もの亀裂が走った。


ガラガラガラ……


乾いた音をたて体が瓦解がかいし始める。

雪崩なだれの如く崩れ落ちた肉片が瓦礫の山を作った。

そして……

その山に埋もれるように倒れる一つの人影があった。

気を失った幽巳だ。

「鈴っ!幽巳を助けるんだ」

時空が叫ぶ。

「で、でも……今は時空さんの方が……!」

「俺の事はいい!早くしないと幽巳が危ない。今アイツを助けられるのはお前だけだ!」

泣きそうな表情で訴える鈴に、時空が激しい口調で言い放つ。

「早く!」

時空の有無を言わさぬ怒声に、鈴は決心したように頷くと幽巳のもとへ走った。

倒れている少女のかたわらにひざまずくと、手に持つ古書をかざした。

「これは……神器の力が殆ど残っていない。このままでは命も危険だわ……」

幽巳の力の輝きを見通した鈴は、古書に手を添え集中した。


命脈めいみゃくの降臨!!」


古書――道返玉ちかえしのたまから七色の光が噴水のように噴き上がる。

それは緩やかな渦を巻きながら幽巳の体に降り注いだ。


「幽巳……」


それを目にした霊那はひと言囁くと、そのまま地表に降り立った。

そして瑠璃色の光が消失すると同時に、その場に倒れ込んだ。



「……キキィィィっ!お、おのれ!」

その光景に、我に帰った赤角が怒りの奇声を発した。

「まさか、こんな時に覚醒するとは……!?」

予測を誤った事に対する悔恨の言葉が飛び出す。

この段階での幽巳の覚醒は、明らかに計算違いだったようだ。

「こうなったら、せめて……八握剣だけでも手に入れて……」

動揺した口調でそう呟くと、もう一体の仁王に目を向けた。

「やれ!神武時空を殺せ!」

赤角の指示で、時空の腕をくわえ込んでいた仁王が両手を開いた。

時空を抱え込む気だ。


「……くそ!」

剣もろとも腕の自由を奪われている時空は、懸命に抵抗するが無駄だった。

引き抜くどころか、次第に巨人の体内へと取り込まれていく。

さらに巨大な手が時空の体を羽交はがい締めにした。

「ぐっ……!」

時空の口から呻き声が漏れる。

息が詰まり、骨の軋む音が頭の中に響き渡った。


「時空さん!」

「せんぱい!」


皆の叫ぶ声が辺りに響く。

激痛に耐えながら目を向けると、今なお異形の大群相手に死闘を続ける仲間の姿が見えた。

皆かなりの傷を負い、すでに満身創痍の状態だ。


「み、みんな……」


瀕死の幽巳とそれを助けんとする鈴……

気を失ったまま動かない姉の霊那……

すでに力の限界を超えている尊、柚羽、晶、凛……

そして身動きの取れぬまま食われつつある自分自身……

まさに絶対絶命であった。


頭と片腕を残し、他の部位は巨人の体内に取り込まれてしまった。

薄れゆく意識の中、僅かに突き出した掌を固く握りしめる。

窮地を救う事のできない自分の非力さが情けなかった。


「みんな……すまな……い……」


……………………


!!」


頭部が埋没せんとしたまさにその時、聴き覚えのある声が辺りに木霊こだました。

どこからともなく現れたが、仁王の顔面を直撃する。

巨人は目を押さえながら、苦悶の声を上げた。

体内へ引き込もうとする動きが一瞬止まる。


「そいつの弱点は目よ。ほら、しっかりしなさい!時空」


叱咤しったする声が耳を震わす。

仁王の動きが止まると同時に、時空の意識も戻ってきた。

最後の力を振り絞って剣を持つ手を動かす。


「ぬおぉぉぉっ!」


今までびくともしなかった腕が、嘘のように引き抜けた。


霊鶏れいけい蒼炎そうえん!!」


時空は仁王の両眼に向かって青藍の炎を放った。

頭部が青い炎で包まれた巨人は、顔を掻きむしりながら身悶えた。

完全に体の自由を得た時空は、その隙に跳躍して難を逃れる。

かなり体力を奪われたが、まだ闘気は残っていた。

仁王と距離を置き、肩で息をする時空の眼前に何者かが降り立つ。


見覚えのあるブロンドヘアに碧眼の美貌――

両手にきらめく双柱剣ふたはしらのつるぎ――


伊邪那美仄だ!


「お前……!?」


絶句する時空の方を振り返り、仄はいつもの氷の微笑を浮かべた。


「お待たせ、時空。私がいなくて寂しかった?」

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