八の宝〜神の巻

朱雀幽巳すざく ゆみは話し終えると、大きく息を吐き出した。

この数日一人で悩み苦しんできただけに、胸の支えが取れ体が軽くなったような気がした。

このような非現実的な悩みを、普通の友人に打ち明ける訳にはいかない。

まず信じてもらえないだろうし、何より姉をさらしものにする事に抵抗があった。

それだけに同じように神器を持ち、異能の力を有する仲間がいるというのは心強かった。


私も仲間か……


今この場にいる面々が神器を手にした経緯はまだ聞いていない。

だがいずれもそれを受け入れ、自分のものとしている。

共通の目的を持って……

何のために神器は存在しているのか。

何故自分たちが選ばれたのか。

これから何が起ころうとしているのか。

皆それらを知りたいと思っている。


それは取りも直さず、幽巳自身も感じるところであった。

姉から貰ったリストバンドが何故神器だったのか。

事前に姉が知っていた筈はない。

時空の話では、神器を持つ者は選ばれた【継承者】であると言う。

つまり自分も選ばれたという事か。

でも一体誰に……?


あのスーツ男は、姉も何らかの神器を有していると言っていた。

姉の症状は【神器の霊障】によるものだと……

もしそれが本当なら、一体どんな神器を持っているというのか。

何が原因であんな風になってしまったのか。

そして何より……

自分に助ける事ができるのだろうか……


ふと感じた気配に顔を上げると、時空の視線とぶつかった。

「大丈夫か?」

気遣うような声が耳に響く。

幽巳は小さく笑みを浮かべた。

「一番の謎はそのスーツ男ね」

尊が顎に手を当てて呟く。

「あまりにもタイミング良く現れ過ぎる。まるでそうなる事を知ってたみたい」

「そうっすよ。絶対そいつが怪しいっす」

晶も賛同の声を上げる。

「その人、神器の事を研究していると言ったんですか?」

膝に古書(道返玉ちかえしのたま)を乗せた鈴が幽巳に問いかける。

「ええ。姉さんの状態を見て、すぐに神器の霊障だと見抜いた。神器に対する拒絶反応を起こしていると……」

幽巳は回想するかのように天を仰いだ。

「どう思う?鈴」

時空は険しい目を鈴に向けた。

「分かりません。確かに古代の宝物ほうもつの研究者はいますが、呪いや霊障などの研究は公式には認められていません。テレビや雑誌などで見かける【自称】研究家の大半は、根拠の無い持論を展開する人たちです」

容赦の無い鈴の解説に反論できる者はいなかった。

こと歴史に関する彼女の見解の正しさは誰もが認めるところだ。

「あくまで謎の人物か……で、そいつがお姉さんの治癒に八握剣が必要だと言ったんだな。そしてそのためにお前は俺から奪おうとした」

時空の問いに幽巳は小さく頷いた。

その目に後悔の影が走る。

「状況から見ても、その男がのは間違い無さそうね。ただの親切心にしては話ができ過ぎてる」

感情を抑えた声で尊が後に続く。

「まさか……でしょうか?」

不安そうな柚羽の一言に、全員の表情が一斉に強張こわばった。


伊邪那美仄いざなみ ほのか……


伊邪那美邸での死闘以降、全く姿を見せていない。

勿論、奴が今回の件に関与している可能性も否定できない。


だが……


何か釈然としないものが時空の中にはあった。

仄は今、進化した時空と同等の力を持ち、さらに未知の神器を二つも所有しているのだ。

そんな奴がこんなまわりくどい事をするだろうか。

一気に攻め込んだ方が手っ取り早いのではないのか。

それとも、そうできない理由でもあるのだろうか。

「いや……何とも言えんな……」

くすぶる気持ちのままに、時空は言葉をにごした。

「仄?……お前が話していた伊邪那美仄か?」

幽巳が怪訝けげんそうな眼差しを時空に向ける。

時空は黙って頷いた。

仄との確執についても、幽巳にはあらましを説明してある。

幽巳もそれ以上の追求はしなかった。



「とにかく最大の問題は幽巳のお姉さんをどうやって助けるかだ。仮にそのスーツ男の話が本当だとすると、お姉さんの神器を何とかしなきゃならんようだが……どうだ、尊。何か手は無いか?」

時空の問いに尊は険しい表情で首を振った。

「そうね……ひょっとすると幽巳さんのお姉さんは、のかもしれないわね。その影響でお姉さんの身体に異変が起きたとか」

「理由?……一体どんな」

幽巳が思わず腰を浮かして叫ぶ。

「そこまでは分からない……でもその理由さえ分かれば元に戻す方法が見つかるかもしれない」

尊が抑揚の無い口調で淡々と語った。

「いっそのこと、そのスーツ男を捕まえて問い詰めたらどうっすか!絶対その理由とやらも知ってるっすよ」

痺れを切らしたように晶が声を上げる。

その提案に皆の視線が幽巳に集中する。

「そいつは今どうしてるんだ?」

時空の問いに幽巳が苦悶の表情を浮かべた。

「居場所は知らない……私が八握剣を手に入れたらまた来ると言っていた。連絡方法も聞いていない」

「お姉様は今どこに?」

柚羽が心配そうな顔で尋ねる。

「家にいるわ。相変わらず放心状態のままじっと椅子に座ってる……何も喋らず、何も口にせずに……」

語尾が微かに震えていた。

その深い心痛をおもんばかり、誰も声をかけれずにいた。

暫しの沈黙が流れる。


「こうなったら手は一つしか無いな」

やがて何かを決心したように時空が口を開いた。

「一つって……あなた一体何をする気?」

途端に尊の顔色が変わる。

こんな時のコイツは、絶対とんでもない事を言い出すに決まっている……

他のメンバーも一斉に時空の方に目を向けた。

「幽巳、この神鏡をお前に預ける。そして俺を捕縛してそいつの前に突き出せ。お前が俺を倒して捕まえたと言ってな」

その一言に唖然とした顔がドミノ倒しのように並んだ。

「時空……お前……」

幽巳が大きく見開いた目で時空を凝視した。

「そいつの狙いが八握剣なら奴は必ず現れる。そしてコイツを変容させるために俺を必要とする筈だ。本来の姿に戻った八握剣を使って、奴が本当にお姉さんを助けるのかどうか、それで見極めるしかない」

「それはあまりにも危険よ!」

珍しく尊が興奮した声を上げる。

「相手の正体も分からないのよ。もし嘘だったらどうするの!?まんまと敵に八握剣を渡してしまう事になるわ。あなたもう闘えなくなるのよ」

荒々しくわめき立てる尊を誰も止めようとはしなかった。

皆同じ思いだからだ。

「時空さん、おやめください!危険過ぎます」

「先輩、そりゃダメっすよ!絶対ダメっすよ」

「やめてください……お願い」

柚羽、晶、凛が次々と制止の言葉を口にする。

「心配すんなって。俺だってタダでやられるつもりはない。一応考えもあるし……」

時空は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。

「考えって……?」

言葉を詰まらす尊に微笑みかけると、時空は鈴の方に向き直った。

「鈴、お前に頼みがある」

そう言って時空は何やら話し始めた。


聞き終えた鈴の顔は勿論、皆の表情も驚愕の色に染まる。

「……どうだ、できるか?」

時空の問いに、鈴は目を丸くしたまま首を傾げた。

「分かりません。やってみないと……でも、何とかやってみます!」

「上等だっ!」

力強く頷く鈴に、時空は笑いながら言い放った。

「もし奴の言う事が嘘だったなら、晶の言うように捕まえて真相を聞き出すしか無い。その時は皆のサポートが必要になる」

一人一人の顔を見ながら時空は言った。

軽やかな口調とは裏腹に、その目には闘志の炎が宿っている。

「全く……もう止めても無駄なんでしょ」

「仕方ありません。どうかご無理はせずに……」

「アタイはどこまでも付いて行くっすよ!」

「私が……守ります」

口々に同意する乙女たちの目にも闘志の火がともる。

時空は満足げに頷くと、幽巳の手に神鏡を乗せた。

「頼むぞ!幽巳」

その言葉に、幽巳は言葉を詰まらせながらこうべを垂れた。

「すまない……ありがとう」



夕闇迫る公園に三つの影があった。

ロープで縛られひざまずく時空

その肩を押さえ込むようにして立つ幽巳

そして後方のベンチで中空を見つめ続ける霊那

ここは幽巳が姉の霊那を見つけ、例のスーツ男と出会った場所だった。

家にいたのでは万が一戦闘になった場合、近隣住民に被害が出ないとも限らない。

用心のためここで待つ事にしたのだ。


待つ事約一時間――


夕闇から浮き出るようにそいつは現れた。

痩身に黒いスーツ姿。

黒いボーラーハットから覗く鋭い狐目。

話に聞いた通りの風貌だった。 

「クク……どうやら手に入れたようですな」

男は鳥類の鳴き声にも似た声で言った。

「ええ、言われた通り八握剣を持って来たわよ。それと念のためコイツも連れて来た。私に負けて、もう闘う力も残って無いけど……さあ、早く姉さんを治して!」

ガックリとうなだれる時空を見て、男の目が妖しく光る。

「クク、さすがに神器が無ければ何もできぬか……哀れなもんだな」

男はあざけるように言葉を投げかけると、幽巳の手から神鏡を受け取った。

「おおっ、やっと……やっと手に入れたぞ!」

神鏡を持つ手を震わせながら男が囁く。

「さあっ、早く!」

痺れを切らしたように幽巳が叫ぶ。

男はそれには答えず、神鏡を時空の眼前にぶら下げた。

「では、コイツを本来の姿に戻してもらおうか。おっと、手に持つのは無しだ。お前なら触れずとも変容できるだろ」

男の言葉に時空はゆっくりと顔を上げる。

生気の無い目が神鏡を睨む。

「……断る……」

「ほほう、お前が拒否すればそこにいるこの子の姉が死ぬ事になるんだぞ。見殺しにしてもいいのか」

その言葉に時空は後ろを振り返る。

ベンチに座った霊那が、呆然とした中にも時折苦悶の表情を浮かべていた。

「……分かった」

時空は再び男に向き直ると力無く答えた。

そして男の持つ神鏡の方へ片手を伸ばし目をつぶった。


我はを待ち、は我を待つ

今再び一つにならん


神鏡から青藍せいらんの光が四方にほとばしる。

横に伸びた光の帯は次第に剣の形へと変貌を遂げた。

八握剣がその姿を現した。


「ククク……」

八握剣を手にした男の口から呻くような笑いが漏れた。

「クヒっ……ヒヒヒ……ヒャヒャヒャッ!!」

笑い声は次第に大きく、甲高いものとなっていく。

どこかで聴いたような……

ふいに時空の脳裏に記憶が蘇った。

「その声……まさかお前は!?」

身をよじり一頻ひとしきり笑い終えると、男は帽子に手を当てうやうやしく一礼した。

「ヒヒ……どうやら気付いたようだな」

ニヤリと口角を釣り上げる男の周りに、突然黒いもやが立ち込める。

靄は瞬く間に男を包み込むと、生き物のように蠢動しゅんどうし始めた。

靄は収縮を繰り返しながら次第に小さくなっていく。

やがて吸い込まれるように消えてしまった。

そこに何者かが立っていた。


見覚えのある黒装束に赤い角――


「お前だったか!」

時空が叫ぶ。


それは紛れもなく宿敵の異形――赤角だった。

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