八の宝〜地の巻

空手道部の稽古場は校内の端にあった。

剣道部とほぼ同じ広さの道場の床が、窓から差し込む斜陽で鈍い光沢を放っている。

部活を終え、すでに部員の姿は無い。

たった一人を除いて……

時空は静かな足取りでその人物のそばまで近付いた。

背を向け、正座したまま精神統一している。

お互いの間合いギリギリのところで立ち止まった。


神武じんむ……時空とき

振り向きもせずその人物は言った。

「やはり来たか」

「ああ……」

時空も静かに言葉を返す。

「お前に話がある」

正座を崩し立ち上がったその人物――朱雀幽巳すざく ゆみはゆっくりと時空の方へ向き直った。

「話?別にお前と話す事など無い」

鋭い眼光で睨みながら吐き捨てる幽巳。

自然体の立ち姿には一部の隙も無かった。

「あの黒い甲冑……蜂比礼はちひれという神器だろ。何故俺を狙うんだ」

「…………」

「俺に何か恨みがあるのか」

「…………」

眉一つ動かさず無言を貫く幽巳に、時空は首を振りため息をついた。

「なるほど……怨恨じゃないとすると狙いはやはりこれか」

時空は内ポケットから神鏡の入った御守袋を取り出した。

それを見た幽巳の眉がピクリと動く。

「それは……あの時の神器!?」

「ほう、やはり知ってたか……その通り。これは俺の神器、八握剣やつかのつるぎだ。平素はこんな風に神鏡の姿をしている。俺が必要に迫られた時本来の姿に戻る」

そう言って袋から神鏡を出して見せた。

「それが……八握剣……」

幽巳の視線が食い入るように神鏡に注がれる。


「何故私にそんな話をする」

そう言って幽巳はいぶかしげな表情を浮かべた。

「なぁ、幽巳……」

時空は幽巳の眼差しを受け止めながら言った。

「お前……別に好き好んでこいつを狙った訳じゃないんだろ。何かがあるんだろう。そいつを話してくれないか」

時空は熱のこもった口調で言った。

その言葉に幽巳の眼光が一瞬揺らいだ。

「無駄な闘いはしたくない。俺はお前を助けたいんだ」

「うるさいっ!」

時空の言葉尻を打ち消すように幽巳が叫んだ。

「神器の力で成り上がった奴の言う事など聞く耳もたん!」

唇を震わせながら言い放つ。

先ほどまでの冷静さは影を潜め、怒りに顔が歪んでいる。

……?」

時空が不思議そうに首をかしげて繰り返す。

「一体何の事だ……?」

「とぼけても駄目だ!お前が剣道部で抜きん出た実力を持っているのも、試合で勝ち続けられるのも、全て神器の力によるもの。お前自身の力じゃない。お前は皆を騙してるんだ」

幽巳は時空の顔を指差しながら、鬼の形相でまくし立てた。

一度切れた自制心の糸はつくろいようがなく、次々と恨み言が飛び出す。

「私たちは毎日必死で鍛錬し、自分の努力で実力を上げてきたんだ。お前のように偽物の実力じゃない。それこそ血の滲むような努力をして……いろんなものを犠牲にして……姉さんにあんなに苦労までかけて……」

叫び続ける幽巳の顔に、次第にかげりが見え始めた。

爛々らんらんとしていた眼光は弱まり、表情が怒りから哀しみに変わる。

何かが幽巳の心に重くのしかかっているようだ。


「……分かった」

それまで黙って聴いていた時空がおもむろに口を開く。

「これ以上、言葉を並べてもお前には届かないようだ。ならば……」

そう言って時空は手に持っていた神鏡を足元に置いた。

そのまま数歩後ろに下がると、右手を突き出し正眼に構える。

「お前の実力とやらでこいつを奪ってみろ……勝負だ!幽巳」

時空の挑発に驚いた顔をする幽巳。

だがすぐに不敵な笑みを浮かべると両拳を胸元に構えた。

「いいだろう。時空!」



凄まじい摩擦音が道場に木霊こだまする。

時空と幽巳の足さばきが床をる音だ。

スピード、パワーとも両者の力はほぼ互角だった。

幽巳の繰り出す突きを、時空は紙一重でかわし続けた。

剣を持たない時空の方が一見不利のように見えるが、古武道で鍛えた動体視力は幽巳の技を見切っていた。

「どうした、時空!逃げてばかりでは後が無いぞ」

矢継ぎ早に攻撃を仕掛けながら幽巳が叫ぶ。

確かに後が無かった。

防御は出来ても、剣が無くては技が出せない。

かわしながら後退する時空の背中が、道場の壁面にぶつかる。

完全に追い詰められた形だ。

チャンスと見た幽巳の体が深く沈んだ。

「ていっ!」

満を持して放たれた回し蹴りが時空の頭部を狙う。

時空の瞳がキラリと輝いた。

「しゃあぁっ!」

縮地法で瞬時に間合いを詰めると、手刀てがたなを相手の首筋に放つ。

カウンター気味に入った一撃は確実に手応えがあった。

「くぅっ……!」

呻き声を上げ、幽巳はその場に片膝をついた。

激痛で顔が歪む。

時空はその顔面目掛け、さらに手刀を打ち下ろした。


が……


その一撃がヒットすることは無かった。

手刀は数センチ手前で静止している。

「……どうした?トドメをささないのか」

首に手を当てた幽巳が苦しそうな声を出す。

肩口が震えていた。

「必要ない……」

そう言って今度は時空がその場に座り込んだ。

一気に吐き出された呼吸で、肩が大きく揺れる。

額から噴き出した汗がしたたり落ちた。

「お前こそ……今がチャンスだぞ。俺はもう動けん」

荒い息を吐きながら、時空は床に置かれた神鏡を指差して言った。

幽巳は横目でそれをとらえると、暫し思案した後ふらふらと立ち上がった。

そして床から神鏡を拾い上げ、また時空のもとに戻って来た。

そのまま神鏡を時空に差し出す。


「いいのか?」

見上げる時空に幽巳は苦笑いを浮かべた。

「私の負けだ。全く大した奴だよ、お前は……神器も使わず、剣も無しで私と渡り合うとは……」

時空は神鏡を受け取ると、そのまま幽巳の手を掴み立ち上がった。

「お前が蹴り技を出すのを待ってたんだ。槍を使う相手と同じでリーチが長い分、懐に入ってしまえば隙ができる。一か八かだったがな。あのまま突き技でトドメを刺されたら確実に俺がやられてたよ」

そう言って時空は満面の笑みを浮かべた。

その屈託の無い笑顔に幽巳も相好そうごうを崩す。

「そうか……今分かったよ。お前は決して卑怯な事をする奴じゃない。お前の実力は本物だ」

噛み締めるように言うと幽巳は片手を差し出した。

先ほどとは違いその瞳には親愛の光が宿っている。

「それじゃ……」

幽巳の手を固く握りしめ時空が呟く。

「話してくれるか……一体何があったのか」



書道部の部室にいつものメンバーが集結していた。

思い思いの場所に座る皆の視線はある一点──

少し離れた位置の朱雀幽巳に向けられていた。

道場で事のあらましを聞いた時空が、召集をかけたのだ。

勿論、ここにいる全員が神器の継承者であることは幽巳にも話してあった。

それぞれが持つ変容前の神器を見て幽巳は目を丸くした。

「驚いた。USBとかスティックとか色々あるのね……」

最後に凛の抱えるミョウに目が止まり微笑む。

「実は私も……猫大好きなの」

「ミョ〜」

幽巳が優しく撫でると、ミョウが気持ち良さそうに目を細めた。

その様子にやや緊張気味だった皆の表情が緩む。

「全く調子のいい奴っすね。この間体をこうとしたら引っ掻いたくせに」

「あれは晶が鼻まで拭くもんだから……」

しかめっ面で愚痴をこぼす晶に凛が抗議する。

「猫って口元敏感だから触られるとイヤなのよ」

「そうそう。晶さん大きいから、ビックリしたんじゃないかしら」

尊の説明に便乗した柚羽が大仰おおぎょうな口振りで補足する。

「い、いや、アタイの体は関係ないっしょ」

慌てて首を振る晶を見て、全員が笑い声を上げる。

「……仲がいいんだな」

その様子を見ていた幽巳がポツリと呟く。

どことなく寂しげな響きがあった。

「ああ、そうとも」

時空はそう言って幽巳の顔を覗き込んだ。

「そして今はお前も仲間だ」

その一言に、幽巳はハッとしたように時空をかえりみた。

同時に皆の顔をぐるりと見回す。

優しく穏やかな眼差しが彼女の上に注がれた。


「大丈夫だ。俺たちが必ず解決してみせる」


力強い時空の言葉に、幽巳もまた大きく頷き返した。

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