六の宝〜地の巻
廊下を歩く鈴の目は、前を向いていなかった。
胸元には、例の
書庫には戻さず、持ち出したままだ。
鈴はこの本との出会いに、何かしら運命的なものを感じていた。
手放すべきではない──
そんな確信めいた感情が、心を支配していたのだ。
たまに立ち止まっては本を開き、何事かぶつぶつと
すれ違った生徒の
「……絶対に何か……意味があるはずよ……」
彼女の直感によると、
何が本物かと問われても、具体的な説明はできない。
だが、【
あるいは……
鈴はまた立ち止まると、しげしげとそれを眺めた。
「これが神器そのものとか……」
現存する
いまだ正体の分からぬ【十種神宝】が、実は書物であったとしてもなんら不思議はない。
ただ気になるのは、何も記されていない事だ。
何故、全ての頁が白紙なのか……
確かに古書の中には、未完成のものも少なくない。
それも歴史的背景を示す、一つの
もしかして、これもそうなのだろうか。
それとも……
もしかしたら……
この形態そのものが神器の証なのだろうか。
いずれにしても、もっとよく調べないと……
鈴は大きくため息をつくと、今日で四日目となる図書室への階段を上り始めた。
その時だった……
ふいに、抱えていた本に違和感を覚えた。
微かな、静電気のような衝撃が両腕に走る。
褐色の表紙が、まるで虹のように七色の光を放っていたからだ。
それは【光る】というより、【踊る】といった方が正解かもしれない。
時に速く、時に戸惑うような動きで、本の内外を出入りする。
何これ!?
一体、何が起こったの?
あまりに非現実的な現象に、鈴は心中で絶句した。
光る本など……ありえない!
様々な色に変化しながら、光は手の上を飛び回る。
誘導されたかのように、鈴は無意識に本を開いた。
視線を落とした途端、体に衝撃が走る。
あまりの事に息が詰まり、額から汗が噴き出した。
信じられない事だが、そこには……
「
突然、階段の上から声がする。
呆然と本を睨んでいた鈴は、思わず飛び上がった。
「……え、あ……は、はい!?」
反射的に向けた視線の先に、ひとりの女性が立っていた。
ブロンドヘアに
「あ……あなたは、確か……」
「こんにちは」
しどろもどろの鈴に、その少女は微笑みかけた。
「
この少女の噂は、鈴の耳にも入っている。
文武両道で、超絶美形の帰国子女。
三年生の間では、ファンクラブも存在していると聴く。
鈴のいる二年のクラスでも話題にのぼるが、実際顔を見るのはこれが初めてだ。
「あ、こ……こんにちは」
ぎこちなく返事を返しながら、相手に表紙が見えないよう本を胸に抱える。
「あの……私に何か」
自分に何の用事があるのかは知らないが、これを見られるわけにはいかない。
探るような視線を向ける鈴に、仄は氷の微笑を崩さなかった。
「そうね。用があるのは、どちらかと言えばそっちの方かしら」
そう言って、仄は鈴の胸元の本を指差した。
ハッとした表情で、鈴が身構える。
「私にもその本……道返玉を見せてくださらない」
張り付いた笑顔のまま、仄は階段を下り始めた。
「主将、どうしたらいいんでしょう……」
目に涙を溜めた伊織が、声を震わせる。
事代鈴が、昨日から家に帰っていないという。
先方の家族から連絡を受け、伊織も心当たりを探したがいまだ見つかっていない。
放課後に学校の廊下で見かけたという情報があるが、それが最後らしい。
警察への捜索願いも含め、学校側と家族とで協議が行われているようだ。
校舎の裏庭では、時空を前に伊織の激白が続いていた。
「私のせいです!私が【十種神宝】の話なんかしたもんだから……」
悔しそうに言い放つ伊織。
涙を
「まあ待て。まだ何かあったとは限らないし……そんなに自分を責めるな」
そう言って、時空は伊織の肩に手を置いた。
「主将にあれほど口止めされていたのに、私ったら我慢出来ずに……」
「それについては、俺も反省しているんだ」
時空は、声のトーンを落として呟いた。
「俺の個人的なトラブルに、お前たちを巻き込んでしまった。そのくせ、結局何のフォローも出来なかった。本当に、すまないと思っている」
「そんな……主将は悪くありません!」
素直に頭を下げる時空に、伊織はすぐさま強い口調で否定した。
本当に、この人は悪くない。
悪いのは約束を破った私。
そして……
この人にこんな思いをさせている奴だ!
私の大切な……憧れの人に……
こんな思いを……
絶対……許せない!
「……俺も、心当たりを当たってみるつもりだ」
時空は、励ますように笑みを浮かべて言った。
「居場所が、分かるのですか?」
「いや……」
伊織の言葉に、時空は小さく首を振る。
「だが、この件にもし神器が関係しているなら、聴くべき相手は一人しかいない」
そう言いながら、時空は背後にそびえ立つ校舎を見上げた。
その最上階……伊邪那美仄のいる自分の教室を。
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