四の宝〜神の巻

屋上は、相変わらず風が強い。

伊邪那美いざなみほのかは、あの日と同じようにフェンス越しに遠方を眺めていた。


「やっぱり、此処からの眺めって最高ね」


ブロンドヘアを、風になびかせながら呟く。


時空ときは、距離を保ったまま黙っていた。

誘いに乗ってやって来たが、罠である可能性は高い。

身の回りに全神経を集中し、緊急時に備える。


「話ってなんだ」

時空は、仄を睨んだまま口を開いた。 


「あら、話があるのはあなたの方かと思ったけど」

そう言って、振り返る仄。

輝く碧眼へきがんで、じっと時空を見つめる。

「私に聞きたい事があるんでしょ」

「聞けば答えるのか」

瞬きもせず、即答する時空。


仄はおどけたように、肩をすくめた。


「黒装束の連中を仕向けたのは、お前か?」

感情を抑えた声で、時空が言い放つ。

「いきなり直球ね……あなたらしいわ」

仄はにっこり笑うと、こちらに向き直った。

「そうだと言ったら、どうする?」

「許さない!俺だけでなく、俺の仲間まで危険にさらした」

間髪入れず、時空が叫ぶ。

目に、怒りの火がともり始める。

「皆、もう少しで命を落としかけた。お前の狙いは、八握剣やつかのつるぎなのか?」

「やっぱり……もう手に入れてるのね」

悟ったようにささやく仄。

その顔から笑みが消えた。


「そう……あなたの言う通り、私の狙いは八握剣よ。出会った初日に神器の話をしたのも、。そして期待通り、あなたは探し当てた」

「八握剣を手に入れて、何をする気だ!お前の目的は何だ!?」

時空は、矢継ぎ早に質問をぶつけた。


「私の目的……」

そうつぶやいて、仄は目を閉じた。

「私の目的は、ただ一つ……

再び開かれたその目に、異様な輝きが宿る。


あの時と同じだ!


時空の脳裏に、此処での出来事が蘇った。


「さあ、どうするの?時空」


凄まじい殺気が、仄の体から漂い始める。

全身に緊張が走り、時空は咄嗟とっさに身構えた。


「私を止めてみる?」


かっと見開かれた仄の両眼から、光がほとばしる。

次の瞬間、強風にあおられたように時空の体が宙を舞った。

そのまま後方の壁面に激突し、転がり落ちる。


「ぐふっ!」

全身に激痛が走った。


こいつ……


時空は震える手で、神鏡の入った御守袋を握り締めた。


我はを待ち、は我を待つ──

今再び一つにならん──


あおき光を放ち、八握剣が姿を現した。

光の奔流ほんりゅうが、体の痛みを緩和していく。

時空の全身に、闘気がみなぎった。


「それが八握剣……素晴らしいわ」


仄の顔に、凍えるような笑みが浮かぶ。


そして、そのまま両手を前にかざし、何かを唱え始めた。

すると突如、まばゆく白光する物体がその手に現れた。


身長ほどもある細長い柄──

光り輝く刀身──


それは、純白のほこだった。


仄はくるりと柄を回転させると、矛先を時空に向けた。


「さあ、見せてちょうだい。あなたの力を!」


仄の全身にも闘気がみなぎる。


対峙する二人の闘気が激しくぶつかり、乱気流のように大気を揺さぶった。


先に動いたのは仄だった。


瞬く間に間合いを詰めると、素早く矛を突き出す。

高速で繰り出される攻撃を、時空は紙一重でかわした。

傍目はためには目にも止まらぬ速さも、身体が見事に反応している。

動作の一つ一つが、空気のように軽かった。


「やるわね。神器が、あなたの身体能力を高めているみたいね」

攻撃の合間に、仄が言い放つ。

息切れ一つしていない。


「じゃあ、これならどうかしら!」


仄のスピードが上がる。


数十本の矛先が、一気に目前に迫る。

あまりの速さゆえ、矛の残像が錯覚を生んだのだ。

縮地法で回避するも、脇腹に痛みが走った。

矛先がかすったらしい。


仄のスピードは、明らかに時空を上回っていた。

防戦一方の時空の体に、たちまち裂傷の山が出来る。


「ちっ!」


時空は最後の一撃をかわすと、思い切って相手のふところに飛び込んだ。

柄の長い武器は遠距離の相手には有効だが、体に密着されると可動域が無くなる。

それを知っている時空は、接近戦に持ち込んだのだ。


「無駄よ」


そう言い放つと、仄は柄を体に引き寄せた。

次の瞬間、時空は信じ難い光景を目にした。

見る見るうちに、矛が縮小したのだ。


何っ!?



時空は、心中で絶句した。


そして自分が、まんまと罠にはまった事を悟った。

相手は最初から、これを狙っていたのだ。


「これで終わりよ!時空」


仄は笑みを浮かべ、矛を突き立てた。



凛は、入口の陰で震えていた。

いつものように気配を消し、時空の後をつけて来たのだ。

仄との待ち合わせ場所を知るには、こうする他無かった。

だがそこで目にした光景に、凛は言葉を失った。


屋上では、時空と仄が死闘を繰り広げていた。

時空の手には青く光る剣が、仄の手には白く光る矛が握られている。

だが識別できたのは、それだけだ。

動画を最大倍速にしたかのような動きには、全くついていけない。

それはもはや、人の出せる速さでは無かった。

何かがぶつかり合う金属音が、断続的に聴こえるだけだ。


「これは何!?……どうなってるの」


凛は、思わず小声で叫んだ。

目の前の出来事に、思考が追いついていなかった。

腰がくだけ、その場から離れることも出来ない。


なぜ、彼女たちが闘っているのか……

なぜ、あのようなものを持っているのか……

そしてなぜ、あんな動きが出来るのか……


幻覚か夢でも見ているのかと、凛は何度も頭を振った。


「ぐっ!」


突然、苦悶のうめき声が上がる。

聴き覚えのあるその声に、凛は反応した。

恐る恐る開いた目に、肩口に矛を突き立てられた時空の姿が映った。


「時空さん!」


口に手を当て、思わず名を呼ぶ凛。


その時、自分がここに来た理由を思い出した。


仄と時空の会話を盗み聴き、嫌な予感がした。

時空の身に、何か危険が及ぶような気がしたのだ。

その時は、漠然とした不安感だけだった。

だが、今まさにそれが現実のものとなっている。

時空が負傷し、追い詰められている。

自分が予感したのは、これだったのか!?


助けなくては……


闘っている理由は分からぬが、このままでは時空の命が危ない。


なんとかしなくては……


だが、恐怖で硬直した体は全く動かなかった。

喉が詰まり、大声も出せない。

何も出来ぬ悔しさで、体中が熱くなる。

自分の不甲斐なさに、涙が溢れた。


こんな自分に、優しく声をかけてくれた人

こんな自分に、分けへだて無く接してくれた人

その人が……殺されてしまう!

私の……大切な人が……

大切な……


「お願い……誰か助けて!」


凛は心中で、あらん限りの声を上げた。


(泣くなよ。嬢ちゃん)


ふいに、誰かの声がした。


驚いて振り向くと、いつの間にか一匹の猫が座っている。


「……ミョウ?」


それは家にいるはずの、飼い猫のミョウだった。


「どうしてあなたが……ここに!?」


(オイラを呼ぶ声がしたので、やって来たのさ)


ゆっくり立ち上がりながら、ミョウが答える。


「呼ぶ声?……あなた一体……」


(そんな事はいいさ。それより、あの時空とかいう奴を助けたいんだろ。あのままじゃ、やられちまうぜ)


その言葉に再び目をやると、苦悶の表情で後退あとずさりする時空の姿があった。


「で、でも……私にはどうする事も……」


(できるさ!)


ミョウが、凛の言葉尻をとらえる。


(あいつを助ける事はできる……あんたに、その覚悟があるなら)


自信に満ちた口調が、それが嘘偽りでは無い事を示していた。

凛の中で、時空の笑顔がパノラマのように転回した。


助けたい!

死なせたくない!


少女の小さな胸に、熱いものが込み上げる。


「助けて。何でもするから……お願い!」


決意のこもったその眼差しに、ミョウは鼻を鳴らした。


(了解だ、相棒。オイラを抱えて祈りな!)


そう叫ぶと、ミョウは凛のふところに飛び込んだ。

慌てて抱えた凛は、言われた通り目をつぶり祈った。


神様……


どうか私に力を……


力を貸してください!


「みょう〜!」


一声ひとこえ鳴いたミョウの背中に、何かが浮かび上がる。

それは、だった。


(オイラの本当の姿は、足玉たるたまという神器なのさ。今からあんたに、俺様の力を与えてやる)


パァァァァァーーン!!!


言い終わるや否や、ミョウの体から紫紺しこんの光がほとばしった。

光は二人のまわりを飛翔しながら、その体を包み込んでいく。

そして生き物のように、蠢動しゅんどうを繰り返した。

やがて動きは緩慢になり、最後は吸い込まれるように消失した。

後には、仁王立ちする一つの影が残った。


紫の長髪に猫科の耳──

鋭く尖がった両手の爪──

輝く紫紺の瞳──

そして額には、紫の凸字の紋様が刻まれている。


それは足玉たるたまにより覚醒した、凛の姿だった。


「行くわよ!相棒」


己の中のミョウに声をかけると、凛は闘いの場へと飛び出して行った。


もはやそこに、人見知りで気弱な少女の面影は無かった。

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