四の宝〜地の巻

一条いちじょうりんは、気配を殺すのが得意だ。

それは特技というより、日常生活で身につけた習慣だった。


人と関わりたくない……

自分を見ないで欲しい……


生来せいらいの、超がつく程の人見知り体質から生まれたものだ。


教室では誰とも喋らない──

昼食は一人でとる──

廊下はすみを歩く──


中学時代からのルールだった。

ただそんな凛にも、唯一気になる存在がいた。


引き締まった体躯たいく──

精悍せいかんな顔立ち──

力強いオーラと屈託の無い笑顔──


自分とはまるで正反対の人物だった。


凛とその人物との出会いは、入学式にまでさかのぼる。

昼休み、入学したての凛は売店の場所が分からず校内を徘徊はいかいしていた。

勿論、誰かに尋ねようとも思わなかった。


「そんな事も知らないの」


そんな風に馬鹿にされるのではないか。


「一人で探せば」


そんな風に冷たくされるのではないか。


怖かった。


とにかく、人と喋るのが怖かった。


だから、なんとか自力で探そうとしていた。


小走りで歩いていると、ふいに誰かとぶつかった。

下を向いていて、気が付かなかったのだ。


「ああ、ごめん」

その人物はすぐに謝った。

反射的に相手の顔を見る。

射るような眼光が飛び込んできた。

思わず目をつぶる凛。

その際手に持っていた財布が落ち、小銭が床に散乱した。


「あちゃ、やっちまった」

ひょうきんな声が耳に響く。

恐る恐る目を開けると、その人物はあわてて小銭を拾い集めていた。

凛も急いでしゃがみこんだ。


「しまった!こんなとこに」

見るとその人物は、自動販売機の下をのぞき込んでいる。


「あの……もう……いいですから……」

凛は震える声で言った。


「ちょっと待ってて」

相手はそう言うとそでまくり上げ、販売機を横にずらした。

凛は驚きのあまり声も出なかった。

まさか、そんな事までするとは思ってもいなかった。


「おっ、あった、あった」

嬉しそうな声で床の十円玉を拾い上げる。

「はいよ。ホントごめんな」

そう言って差し出しながら、申し訳無さそうに頬をいた。

おかげで、手の汚れが鼻に付いてしまう。

その顔を見て、思わずクスッと噴き出す凛。

相手も笑顔になる。

人懐っこい、日の光のような笑顔だった。

凛の中に、何かしら温かいものが流れ込んできた。


その人物の名は、神武じんむ時空ときと言った。

三年生で剣道部の主将。

学年の間では人気も高く、さして調べる手間もかからなかった。

その日から凛は、校内で彼女を見かけるのが楽しみになった。

学校を楽しく感じるなど、生まれて初めての事だ。


「もう一度、お喋りしたいな」

自宅のベッドで愛猫を膝に乗せながら、凛はつぶやいた。

「みょ〜」

猫が返事をする。

名前をミョウという。

凛が小学生の時、捨てられていたのを拾って育てたのだ。

名前はその変な鳴き声から付けた。


「ねえ、どうしたらいいと思う。ミョウ」

「みょ〜」

「え、無理だよ。そんな事出来ないよ」

「みょ〜」

「そりゃ、私だってもう少し勇気があれば……」

「みょ〜」

「きっかけか……う〜ん……何かないかな」


不思議なことに、凛はミョウの言葉が理解出来た。

最初はびっくりしたが、今ではもう慣れてしまった。

勿論、なぜかは分からない。

だが友達のいない彼女にとって、ミョウは唯一の話し相手だった。


「明日も会えるかな」


自分を撫でながらため息をつく凛を、ミョウは紫紺しこんの瞳でじっと見つめた。



その【機会】はすぐにやってきた。


廊下で会話する時空を見かけたのだ。

相手は鳥肌が立つような美女だった。


名前は確か……


伊邪那美いざなみ……ほのかさん……?


一年生の間でも、かなり噂になっている転入生だ。

その美貌とかもし出す雰囲気は、生徒のみならず教師ですら魅了されているらしい。

お団子ヘアに丸眼鏡の自分など、近寄ることすら出来ない存在である。

その伊邪那美さんと時空さんが何か喋っている。

しかし時空さんの表情は、笑顔ではなく強張こわばっていた。

あんな顔は初めて見る。

ひどく気になった……

だからいつものように、教室の陰から聴き耳を立ててしまった。


「……前と同じ場所でね」


確かそんな事を言っていた。

どこかで会う約束のようだ。


デートかな……


一瞬胸が詰まったが、すぐにそうでは無いと気付いた。

時空の顔には、嬉しさの欠片かけらも無かったからだ。

むしろ、苦悩しているようにさえ見える。


どうしたんだろう……?


凛は嫌な胸騒ぎを覚えた。

二人が会う事に対し、言い知れぬ不安感がつのる。


……


そんな予感が脳裏をぎる。

それは理屈では無く、直感のようなものだった。


なんとかしないと……


凛は震える手を握りしめ、必死で考えた。


時空さんを……


次第に、その思いはふくれ上がっていった。


やがて、何かを決意したように顔を上げる。


その眼差しに、いつもの曇りは無かった。

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