三の宝〜神の巻

翌朝、時空とき嵯峨柚羽さが ゆずはの家を後にした。


傷口はすっかり癒合ゆごうし、痛みも無い。

柚羽とは、学校での再会を約束し別れた。

家族には、暴漢に襲われ手当てを受けていたと連絡を入れてある。

父親は「未熟者」と時空を一喝し、その後電話を代わった柚羽に何度も礼を言っていた。

勿論、相手が異形である事や、神器については触れていない。

家族にまで、危害が及ばないとも限らないからだ。


その後、推古尊すいこ たけるにも連絡した。

時空の話に驚くと同時に、無事を知って安心したようだった。

そして、すぐに話したい事があると言ってきた。

微かに震える声でだ。

その様子に胸騒ぎを覚えた時空は、尊の元へと急いだ。


とんでもない大豪邸が、眼前に広がる。

尊の家に来るのは初めてでは無いが、何度見ても驚いてしまう。

さすが、父親がIT企業の重役をしているだけの事はある。

時空の家も決して小さくは無いが、道場が大半を占めているため住居部分はわずかだ。

一方の推古邸は三階建てで、敷地の半分は日本庭園のような庭が広がっている。

錦鯉のいる池とシェパードが二匹。

名前はロバートとジェイク。

ちなみに、時空の飼い猫は『トキの助』だった……

いや、ペットの名前で赤くなっている場合ではない。

時空は気を取り直して、呼び鈴を鳴らした。


「はい」

インターホンから、聞き慣れた声が流れる。

尊だ。

「俺だ。神武時空」

名乗り終わると、すぐに外門が開いた。

時空は、まっすぐ玄関へと向かった。


「良かった。無事で……」

出会って開口一番の尊の台詞だ。

「ちっとも連絡がつかないので、心配したわよ」

「すまない。心配かけて」

時空の袖口を掴む手が震えている。

これほど動揺した姿を見るのは初めてだった。

「何か、あったのか?」

優しく声をかける時空の顔を、尊はじっと見つめた。

「私…………」

「なんだって!?」

驚く時空の前で、尊はポケットから何かを取り出した。


「これは?」

「USBよ」

時空が、不思議そうに首を傾げる。

「それって……神器の暗号か何かか?」

「違うわよ。普通にUSBよ……データ保存に使うやつ」

なおも首を傾げる時空に、尊は肩をすくめた。

「言い方が悪かったわ。つまりこれは、なの」

その言葉に、時空の目が丸くなる。

「そりゃ……えらく今風いまふうの神器だな。俺は古臭いものだとばかり思ってた」

「私だって驚いたわよ。神宝図に同じ図柄を見つけた時は、心臓が止まりそうになったわ」

そう言って、尊は携帯画面に神宝図を映し出した。

写真をデータ保存しておいたのだ。

十種神宝とくさのかんだから】の一つ、品々之物比礼くさぐさのもののひれの図とUSBを交互に見せる。


「なるほど……そっくりだ」

「それに何より確かな証拠は、私自身が身をもって体験したということ」

尊は、神社で襲われた一件を話して聞かせる。

USBがローブに変容し、異形を撃退したいきさつも説明した。

一瞬、時空の顔がこわばる。

「それで、怪我は無かったのか」

「大丈夫よ。これが守ってくれたから」

心配顔の時空の鼻先に、尊はUSBを近付けた。

「こいつが……」

「その話は後回しよ。それより、あなたに話しておく事があるの」


部屋に入ると、尊は机上のパソコンを起動した。

先ほどのUSBを差し込み、キーボードを操作する。

ほどなく、古文書のような紙面が映し出された。

「これ、八刀神神社やとがみじんじゃの社務日誌の抜粋よ。あなたと別れた後、図書館で記録データを探し出してコピーしたの」

そう言って、尊は画面を拡大した。

かすれてはいるが、確かに【八刀神】らしき文字が見て取れる。


「コピーって……いいのか?そんな勝手な事して」

「いいわけないじゃない。でも、あまりお父さんに頼ってばかりだと、その内気付かれてしまう。今はまだ、話を公にする段階じゃないと思うし。まわりの人たちが、危険にさらされる可能性もある……」

どうやら彼女も、自分と同じ危惧を抱いているようだ。

時空は何も言わず、大きく頷いた。


「それで、一体何を調べてたんだ?」

時空は、モニターから尊の方に目をやった。

「始めは、私たちを襲ったあの黒装束の事を調べるつもりだったの。八握剣やつかのつるぎが奉納されていたあの神社になら、何か手掛かりがあるんじゃないかと思って……そしたら、この社務日誌が見つかった」

「何か分かったのか?」

興味深げな表情で尋ねる時空に、尊は首を振った。

「黒装束に関しては、何も……その代わり、気になる記述を見つけた」

尊は一呼吸置くと、古文書の画面に目を向けた。

眉間によせた皺が、その内容の重要性を物語っている。


「……この日誌には、神社に関する【ある秘密】が記されている事が分かった。翻訳された文献が無かったから、読み解くのにかなり苦労したけど……実質、廃棄されたような神社だし、歴史的価値は薄いと見なされたのかもね。仕方ないので、古文辞書とにらめっこしながら、自分なりに翻訳してみた。断片的だけど、何とか内容は把握出来たわ。今から、ポイントだけ説明するわね……」


時空も穴が空くほど画面を睨んだが、いにしえの仮名文字など、ちんぷんかんぷんだった。

こんなものを自力で解読するとは、まさに天才だな……

時空は、尊敬の眼差まなざしで尊を見つめた。


「神社の創建時期については、前にも言ったようにはっきりしない。仮名文字の普及が平安時代だから、それ以降であるのは間違いないけど……とりあえず分かったのは、例の神鏡が八握剣である事はだったらしいということ。祭神の呼び名も、『八握様やつかさま』と記されているから確かだと思う。そして一般的な神社と違って、祈祷や祭司に関わる行事は一切行っていなかったみたい。神事や参拝に関する記録が全く無いから……外部との交流を絶った、一種の隠れ里ね」

まるで、朗読するかのような声が室内に響く。

時空は、ただ黙って聞いていた。


「でも、神主はいたみたい。文中に系譜があって歴代の神主の名前が記されているわ」

尊が画面を切り替えると、細かく傍線の引かれた系譜らしき図柄が現れた。


「そして、次が驚く話なんだけど……この神社の神主は世襲では無く、。選任方法までは分からないけど、系譜の名前の横に『〇〇村〇〇』とただし書きが入っている。現代ならともかく、身分制度の厳格な当時としては考えられない事よ」

時空が目を凝らすと、確かに名前の横に小さな但し書きが確認出来る。


当時、最低の身分であった農民が神官を務める……


歴史にうとい時空でも、それがどれほどイレギュラーなものであるかは理解できた。

単に特異な風習だったのか、それとも他に何か理由があったのか……

当然ながら、何の答えも思いつかない。


「文中には、当時の村人の人数は三十人だったとある。そして神主の系譜を数えてみると……」

尊の言葉を待たず、時空は系譜の名を数えた。

「……さんじゅう」

大きく目を見開く時空。


何だ、これは!?

これでは、……

そんな、バカな事があるのか?

時空は、思わず尊をかえりみた。


「そう……前任者が神職を果たせなくなると、すぐに次の農民がその任につく。そうやって、入れ替わり立ち替わり神主を務めた。最後の一人に至るまで……」

「一体、何故そんな事をしたんだ?」

声を上げる時空を見て、尊は肩をすくめた。

そして、系譜の最上段を大きく画面拡大した。


「一つだけ……その答えらしきものを見つけた」


そこには、二つの仮名文字が記されていた。


【供儀】


「これ、『供儀くぎ』って読むの。この系譜に記された人たちの総称みたい。今の言葉で言えば、一種の……そう……『生贄いけにえ』という意味かしら」


時空は耳を疑った。


「いけ……にえ!?」

信じられないといった顔で、尊を凝視する。

「そう……あなたの言いたい事は分かる。私も同じ反応だったから……」

尊は大きく深呼吸すると、意を決したように説明を続けた。


「この社務日誌から導き出した、私の結論は次の通りよ……」

そう言って、少女は真正面から時空の顔を見据えた。


「神主に任命された者の役目は、神事を行う事じゃない。彼らは【何か】に対し、。表向きは神主という名目でね……そしてそのために、村人全員が犠牲となった。系譜に記された人数が、それを物語っている」

「それは……一体、何の犠牲になったって言うんだ!?」

思わず声を荒げる時空。


尊の推測は、恐らく正解なのだろう。

村人全員を神主にえる理由として、全く筋が通っている。

そして、自分が今放った問いの答えも、時空には察しがついていた。

分かっていても、聞かずにはいられなかったのだ。

心奥に、どす黒い恐怖心が渦巻き始める。


「……それは恐らく、この神社の祭神……

予想通りの返答が返ってくる。

驚きよりも、耐えがたい嫌悪感が心中を満たした。


はるか昔──

三十人もの命を喰らった神器──

自分は、その継承者だと言われている。

何故だ?

何故そんな悪魔みたいなものを、自分が引き継がねばならないのだ?

八握剣と自分には、どんなえにしがあるというのだ?


「……ここに書かれている事は、本当なのか?」

時空は、質問とも独り言ともつかない口調で呟いた。

この日誌そのものが、作りものであって欲しい……

何処かに、そのあかしはないものか。


「分からない」

抑えた声色で、尊が答える。

「実際、この日誌を誰が書いたのかも分からない。最後に残った農民かもしれないし、それ以外の第三者かもしれない。ただ……」

一瞬言葉が途切れ、尊の表情が曇る。

「ただ、もし……もしこれが事実だとしたら、……」

それ以上は言葉が続かなかった。


尊の端正な顔に、苦悶の色が浮かぶ。

大切な者を失う事への恐怖心が、彼女を苦しめていた。


それが痛いほど分かる時空も、返す言葉を思いつかない。



突然、沈黙を破るように尊の携帯が鳴り響いた。

二人はハッとして、顔を見合わせた。

尊が、ポケットから携帯を取り出す。


「もしもし……」

「……せ、先輩を……時空先輩を……」

「だれ?……いおり!?」

「時空……せんぱ……」

「どうしたの、伊織?……伊織っ!?」

「なんだ……伊織からか?」

困惑する尊を見て、時空が声をかける。

そのまま携帯を受け取り、耳にあてた。


「どうした伊織。何があった?」

「……たす……けて……」

「しっかりしろ!今どこだ」

「…………」

「おいっ、どうした!?」

「…………」

「何があ……」


「クックックッ……」


会話の途絶えた伊織に代わり、気味の悪い声が流れてきた。


「クックックッ……」


鳥の鳴き声にも似たそれは、笑っているようだった。


「誰だ、お前は!?」


時空が叫ぶ。


「クックッ……女は預かっている。助けたくば、廃工場跡まで来い」


神経を逆撫でするような、不気味な声だった。


「なんだとっ!貴様、伊織に何をした!?」


怒りの声で、問いただす時空。

しかし、相手の音声はすでに途切れていた。


「どうしたの?」

「分からない……伊織の身に何かあったようだ。変な奴が、廃工場跡に来いと言ってきた」

「廃工場跡って、学校の裏山の……?」

そう言って、尊は戻された携帯を操作した。

発信音が鳴り続ける。

「……駄目だわ。伊織が出ない」

尊が青ざめた表情で、時空の顔を見る。

一方の時空の顔は、怒りに強張こわばっていた。


迂闊うかつだった!


身辺に危険が及ばぬよう、今回の件は公にしていない。

だが、長須根伊織は別だ。

剣道場では、彼女も黒装束に襲われたのだ。

口止めしたとは言え、彼女が標的にされる可能性はあった。


何やってんだ、俺は!


伊織を守れなかった悔しさが、時空の胸を締め付けた。


「あなたのせいじゃないわ」

心中を見透かしたように、尊が囁く。

「それでも……俺の責任だ」

そう言い放つと、時空は立ち上がった。


助けに行かねば……


時空の全身に、燃えるような闘気がみなぎった。

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