三の宝〜地の巻

目覚めると、黒塗りのはりと木目の天井が目に入った。

布団の柔らかい匂いが、鼻を撫でる。


「ここは……?」


時空は一言呟くと、ぼんやりとそれらを眺めた。


白いふすまから差し込む仄かな明り。

水墨画の描かれた障子。

小さな床の間には、掛け軸が掛かっている。

どこかの和室のようだ。

混濁していた意識が、次第にまとまり始める。

ふいに、今までの記憶が脳裏に蘇った。。


……そうだ!


自分は赤角の異形に襲われ、闘ったんだ。

そして、突然現れた虎に助けられ……

手傷を負ったまま気を失って……


ハッとして、反射的に起こそうとする。

全身に激痛が走った。


「あっ、いてて!」

「あ、まだ寝てなきゃ駄目ですよ」


どこからともなく、女性の声がした。

身を起こしたまま目を向けると、静かに襖が開けられ若い女性が姿を現した。


色白で小柄な少女だ。

左右に垂れ下がった三つ編みが、童顔を更に幼く見せている。

歳の頃は、時空と同じくらいか。

優しく微笑んだ表情は、見る者を安心させる不思議なオーラを放っていた。


八握剣やつかのつるぎの力で回復はしていますが、完治にはまだ時間がかかりますから……」

そう言って、少女は時空のそばに正座した。

「あ、あんたは一体!?」

その言葉に、驚きの声を上げる時空。


この子は……


なぜ、八握剣の事を知ってるんだ!?


時空は、慌てて服の上を探った。

右胸のポケットに手応えがある。

手を入れると御守袋が入っており、中には神鏡が収まっていた。

時空は、安堵の吐息を洩らした。


「失礼しました。驚かれるのも無理はありませんね」

少女は、申し訳無さそうに首を傾げた。

「私は嵯峨さが柚羽ゆずはと申します。あなた様と同じ、天津あまつ女学院の二年生です。此処は私の家ですので、ご安心ください。気を失っておられたので、お連れしました」

柚羽と名乗る少女は、丁寧な口調で説明した。

言葉の端々から、品の良さが伝わってくる。


「二年生……そうか……助けてくれてありがとう」

時空は、素直に頭を下げた。


助けたという言葉に、嘘は感じられなかった。

危険な人物ではない。

時空の直感が、そう告げていた。


「どれくらい気を失っていたんだろう」

時計の無い室内を見回しながら尋ねる。

「見つけましたのが昨日の夕刻でしたから、ざっと十二時間ほどですか」

「えっ、そんなに……!」

思わず声を上げ、驚く時空。


もう……翌日なのか。

時空は溜息をついた。

家の連中、心配してるだろうな。

あとたけるも……

とりあえず、連絡だけは入れないと。

ポケットを探るが、携帯が見当たらなかった。

どうやら昨日の闘いで、どこかに落としたらしい。

仕方ない……


「とんだ迷惑をかけたな。おうちの方にも、お礼を言わないと……」

「ああ、それならお気遣い無用です。この家には、私と家政婦の二人しか住んでおりませんので」

にこやかに答える柚羽。

「旅行か何か?」

「いえ、両親とも早くに他界しまして……通学に便利という事で、祖父の持ち物であるこの屋敷を使わせてもらってます」

「そうか……申し訳ない」

知らぬ事とは言え、時空は自分の配慮の無さを後悔した。

家族を失った悲しみが幾ばくのものか、経験の無い彼女には想像すら出来ない。


「どうぞ、お気になさらないで下さい。哀しみは一時のもの……今は、学園生活を満喫しておりますのよ」

そう言って、柚羽は鈴を転がすような声で笑った。

時空の心中を、おもんばかっての振る舞いだった。

心根こころねの優しい子だな……

時空は、感心したように頷いた。


「ところで嵯峨さん、聞きたいんだが」

時空は、思い切って切り出した。

「どうか、ユズハとお呼び下さい」

「そうか、なら俺の事もトキでいいよ」

時空の言葉に、柚羽は嬉しそうにうなずいた。

「なあ柚羽、君は何で八握剣を知ってるんだ?」

その質問にニッコリ微笑むと、柚羽は腰にぶら下げた小さな細い筒から何かを取り出した。

それはだった。

掛紐の部分に、赤い涙形るいけいのストラップが付いている。


「これ、生玉いくたまといいます」


両手で大事そうに抱えながら呟く柚羽。


「いく……たま?」

「嵯峨家に代々伝わるですの」

「しんきっ!?」

時空は思わず叫んだ。

まさか、こんな所でその名を聞くとは思わなかった。

「それって……」

「はい。時空さんの八握剣と同じ、【十種神宝とくさのかんだから】の一つです」

事もなげに言い放つ柚羽の顔を、時空はまじまじと眺めた。

その目には、一点の曇りもない。

嘘や冗談でないことは、明らかだった。

「驚いたな……ひょっとして、君も継承者とかいうやつかい?」

言いながら、時空は改めて筆に目を移した。


形そのものは、ごく普通の筆だ。

よく手入れされているのか、筆先も綺麗に整っている。

ただ涙形のストラップには、なぜか惹き付けられた。

水晶のような輝きを放ち、見ていると吸い込まれそうになる。

不思議な力を宿している事は、肌で感じ取れた。


八握剣を除けば、初めて見る二つ目の神器である。


「嵯峨の名を継ぐ者が、受け継ぐものです。その意味では、確かに継承者と言えますね。これは、亡くなった両親から渡されました」

そう言って、柚羽はいとおしげに筆を握りしめた。


「そして嵯峨家には、この生玉と共に【ある口承こうしょう】も受け継がれています」

「口承?」

不思議そうに首を傾げる時空に、少女は小さく頷く。


「八握剣目覚めし時共に道を歩まん。されば深き眠りにいざなうべし」


朗々と語る柚羽の声が、室内に木霊する。


時空は、その言葉に目を丸くした。

八握剣の名が、ストレートに入っているからだ。

時空は顎に手を当てると、思案にふけった。


前半部分の意味は理解出来る。

神器をたずさえた者同士は協力しあえ、という意味だろう。

だが、後半部分が分からない。

深き眠りに誘う、とはどういう事だ……

時空は、問うような視線を柚羽に向けた。

しかし、少女は黙って首を横に振った。


「おっしゃりたい事は分かります……でも残念ながら、伝えられるのは言葉のみで、。代々そういう、しきたりなんです」

申し訳なさそうに、言葉を返す柚羽。


「……でも、私なりに色々調べてはいます。神器はその種類に応じて、様々な力を宿しているようです。共通しているのは、所持しているだけでする力があるということ……時空さんの怪我の回復が早いのも、神器の力によるものです」


その言葉に、道場での一件が思い起こされた。


あの時、壁に叩きつけられた自分は、相当のダメージを負っていた。

だが神鏡が八握剣に変容した途端、痛みは消え体内に力がみなぎった。

怪我そのものが、あっという間に治癒してしまったのだ。

これも柚羽の言う、神器の力なのか……


「昨日、戦っている時空さんをお見受けして、一目で八握剣だと分かりました。ああ、これこそ……と確信しました」

胸前で手を組み、目が輝かせる柚羽。

言葉以上の想いが、ひしひしと伝わってきた。


「そ、そうか……ところで、君の家というのは?」

何となく照れ臭くなった時空が、慌てて話題を変える。

柚羽は真顔に戻ると、居住まいを正した。

凛とした空気に変わる。


「嵯峨家は代々、書道家を生業なりわいとしてきた家系です。天皇や公家くげの代筆をにない、決しておおやけの場には姿を現しません。それゆえ筆法は一子相伝いっしそうでん、嵯峨の名を継ぐ者のみに伝えられてきました。そして今は、私が継承者という訳です」

柚羽は一言一句いちごんいっく、噛み締めるように続けた。


「嵯峨家筆法を継いだ者には、継承のあかしとしてこの生玉が与えられます。これがどういう経緯で、我がいえに存在しているのかは分かりません。ただこれが稀有けうの神器であること、八握剣と命運を共にする事のみが伝えられてきました」


柚羽の話を聞きながら、時空は己の立場と対比せずにはいられなかった。

自分の場合、伊邪那美いざなみほのかとの出会いが、神器を手にするきっかけだった。

それからは、おかしな化け物に襲われ、闘わざるをえなくなる。

平穏な日常は奪われ、運命が大きく変わってしまった。

今もって、なぜ自分が選ばれたのか分からない。


ところが、柚羽の場合は全く違う。

生まれながらに神器の継承者たる資格を持ち、本人もそれを当たり前の事と受け止めているのだ。

これこそまさに、継承者たる要件ではないのか。

いまだに心のどこかで、神器に不信感を抱く自分とは大違いだ。

時空は、尊敬にも似た眼差しを柚羽に向けた。


その視線に気付き、柚羽も笑みを返す。


「神器には、お互いを引き寄せる力があると聞いています。私が時空さんを見つけたのも、決して偶然ではありません。私の生玉とあなたの八握剣が、お互い惹き合ったのです」

そう言って、柚羽は恥ずかしそうに頬を赤らめた。

見つめ過ぎた事に気付き、時空は慌てて視線を逸らす。

「なるほど……話してくれてありがとう」

罰が悪そうに、頭を掻く時空。


「……とにかく、今はお休みください。何でしたら、お家の方には私からご連絡させて頂きますので」

柚羽の進言に、時空は暫し思案した。


考えねばならぬ事は、山ほどあった。


自分を襲った黒装束や赤角は何者なのか?

その目的は何なのか?

突如現れた、あの虎は何だったのか?

敵なのか、味方なのか?


そして何より……


伊邪那美仄は、この件に関与しているのだろうか?


頭の中を、疑問ばかりが累積していく。

それに反し、いまだ一つの答えも見出せないでいる。


時空はため息をつき、首を振った。


この子の言う通りだ……

今は、あせっても仕方ない。

幸い明日は休日だしな。


時空は柚羽に頷き返すと、寝心地の良い布団に再び横になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る