三の宝〜明の巻
廃工場は静かだった。
あちこちに機材類の残骸が散らばっている。
校舎の屋上から望めるこの建物は、地元でも有名な心霊スポットだ。
物好きな
「薄気味悪いところね」
時空の肩越しに
残るように言ったが、頑として聞かずついてきたのだ。
時空は黙って頷きながらも、全神経を身辺に集中した。
いつ、どこから襲ってくるか分からない。
もし闘うことになれば、頼りは
時空は神鏡の入った御守袋を握りしめながら、歩を進めた。
何かおかしい……
先ほどから時空の中を、ある疑念が渦巻いていた。
それは突拍子もない思いつきだが、どうしても頭から離れない。
もし自分の想像通りなら……
時空は険しい表情で、己の考えに没頭した。
「きゃあぁぁぁ!」
フロアの中ほどまで進んだ時、突然悲鳴が轟いた。
時空と尊が、同時に後ろを振り向く。
入口を塞ぐように、二つの影があった。
忍者のような黒装束に赤い眼光──
間違いない!
例の異形だ。
そしてその足元には、誰かが
「……先輩っ!」
時空を見て伊織が叫ぶ。
目が真っ赤に腫れていた。
「伊織!」
「キキィ、動くな!」
伊織の首元に短剣をあてがい、黒装束が叫ぶ。
どうやら、こいつは人語が喋れるらしい。
「動けばコイツ 命 無い」
人質を取った者の
時空は身じろぎ一つせず、
「助けたかったら 渡せ 八握剣」
ガラガラしたダミ声で、異形が要求を口にする。
やはり、狙いは八握剣か……
「……断る」
暫しの沈黙の後、時空が言葉を返す。
「キキっ、なんだと!?」
「断ると言ったんだ」
その
「お前 コイツ どうなってもいいのか!」
そう言って、黒装束は短剣を伊織に押し付けた。
「た……たすけて……」
「たすけて……先輩……」
「時空っ!?」
尊も背後から声を上げる。
一体、どうしたというのだ?
時空は、人質を見捨てるような人間ではない。
何故、こんな事を言うのか?
「こんなものが、そんなに欲しいのか」
時空は、神鏡の入った御守袋をかざして言った。
目を閉じ意識を集中する。
我は
今再び一つにならん──
神鏡から薄青い光が
真横に伸びた光の帯は、
鋭利な刀身に、
八握剣がその姿を現した。
時空の眼に闘気が宿る。
「いい加減、下手な芝居はやめたらどうだ」
時空が、吐き捨てるように言った。
まるで人が変わったように、冷めた声色だ。
「ききっ!何の事だ」
黒装束が震える声で叫んだ。
「お前に言ってるんだ……伊織!」
「先輩……一体何を……!?」
「お前が仕組んだんだろ。捕まった振りをして、俺を此処に誘い込むために」
苦しげな伊織の表情を無視して、時空が言い放つ。
「まさか……!?」
今度は尊の驚く声が、背後から響いた。
「まさか、伊織が……そんなこと……」
「最初におかしいと思ったのは、お前からの電話だ」
それに構わず、時空は続けた。
「お前は俺ではなく、尊の携帯にかけてきた。俺が携帯を持っていないと知っていたからだ……俺が携帯を落としたのは、黒装束との闘いの
語りながら、ゆっくりと身を沈める時空。
「伊織は、俺の事を先輩とは呼ばない……主将だ!」
その言葉が終わると同時に、時空は一気に間合いを詰め黒装束に切りかかった。
古武道の体技、
数メートルの間隔を、瞬時に移動する。
「ギャァァァっ!」
獣じみた悲鳴と共に、伊織を押さえていた黒装束の身体が二つに裂ける。
時空は、返す刀を伊織の頭上に走らせた。
たちまち着衣が分断され、肩口が露出する。
透き通った肌の上には、大きな裂傷痕があった。
「きゃあ!」
悲鳴をあげ、肩を押さえる伊織。
「その肩の傷……お前が俺と闘った時に受けた八咫烏の痕だ。形状を見れば分かる」
その台詞に、今まで震えていた伊織の動きが止まる。
「ふん……抜かったか」
それは、もはや伊織の声では無かった。
「その声……電話の奴か!?」
静かに言い放つ時空。
「クックックッ……」
鳥類の鳴き声に似た嘲笑が、空気を震わせる。
次の瞬間、伊織の身体から黒い
すかさず飛び退いた時空は、間合いを取り身構えた。
「クックックッ……」
靄の中から、かん高い笑い声が響く。
ざわざわと蠢動していた靄は、何かに吸い込まれるように一気に消失した。
そこに伊織の姿は無く、代わりに巨大な何かが立っていた。
黒装束の様相に、額に生えた赤い角──
それは土手で時空と死闘を演じた、あの異形だった。
「やはりお前だったか」
特に驚いた様子もなく、時空が
「クックッ……見破られたなら仕方ない」
肩を震わせながら、その
辺りに、死臭を伴った殺気が漂い出す。
「姿形を変えられるとは……やはり化け物だな」
時空は、剣を正眼に構え直した。
「クックッ……もう一度言う。命が惜しければ、八握剣を渡せ」
「お前こそ何度も言わせるな……断る!」
有無を言わせぬ口調で、時空が言い放つ。
「ならば、力づくで奪うまで……キキィィィっ!」
赤角は両手を差し上げると、雄叫びをあげた。
それを合図に、次々と黒い靄が出現し始める。
「キキキっ!」
「ヒャヒャ!」
様々な奇声と共に、何体もの黒装束がその中から飛び出してきた。
全部で、ざっと二十体はいる。
「尊、俺が注意を引き付けるから、その隙に逃げろ!」
立ち並ぶ黒装束を見回しながら、時空が指示する。
さすがに、この数を一度に倒すのは不可能だ。
まずは、尊の身の安全を計らねばならない。
「私なら心配しないで」
意に反して、落ち着いた声が返ってくる。
尊はポケットに手を入れると、
お願い
私に力を貸して!
一心に念じる尊の体から、黄金の光が迸った。
何事かと振り返る時空の眼前で、尊の体が変貌する。
胸元にクロスの文様──
黄金のローブが、尊の体を
「それは……!?」
「言ったでしょ。二つ目の神器を見つけたって」
唖然とする時空に、尊は片目をつぶって微笑んだ。
「さあ、やるわよ!」
尊の力強い号令に、時空も大きく頷く。
突然の状況変化に動きの止まっていた赤角が、ニヤリと笑みを浮かべた。
「これはこれは……」
赤く燃えるその眼光に、妖しい光が宿る。
「八握剣だけでなく、
赤角の命令を受け、黒装束たちが一斉に襲い掛かってきた。
あのかた……?
一体、誰の事だ。
赤角の言葉に、時空の体に緊張が走った。
一瞬、
だが、今はその事を確かめている余裕は無かった。
異形の短剣が、目前に迫っていたからだ。
時空は身を沈め、迎撃の体勢をとった。
「俺は右をやる。左をいけるか」
「まかせて」
時空の問いかけに、前を向いたまま答える尊。
それを合図に、時空は異形の中に身を
縮地法で攻撃をかわしながら、剣を振るっていく。
八握剣の凄まじい破砕力は、一太刀で確実に相手を分断していった。
異形たちの悲鳴が、断続的に巻き起こる。
一方の尊はその場に立ち尽くしたまま、四方から迫り来る敵に両手をかざした。
「
手先から凄まじい光の波が噴出する。
波の衝撃により、黒装束の体が宙に舞った。
「ふん、さすがに下っ端では無理か……ならば、これならどうだ!」
赤角はそう叫ぶと、両腕を胸の前で交差させた。
体に異様な殺気が
やがて影の形は明瞭となり、見覚えのあるものとなった。
それは八体にも及ぶ、赤角の分身だった。
「キキキィ、いくらお前たちでも、これだけの数を相手には出来まい」
勝ち誇ったような赤角の嘲笑が
「くっ、自分を増やすとは……なんてヤツだ!」
時空は唇を噛み締めた。
コイツの強さは、身をもって体験している。
パワー、スピード共に、他の黒装束の比では無い。
八握剣を持った時空でさえ、苦戦したのだ。
そんな相手が、八体も……
たとえ尊と二人掛かりでも、太刀打ちできるか分からない。
さて、どうする……
時空の中を、強い不安と焦りが交錯した。
「そうは行きませんよ」
突如、どこからか女性の声がした。
「な、なんだ!?誰だ?」
不意をつかれた赤角が、慌てて周囲を見渡す。
時空と尊の二人も、声のした方向に目を向けた。
「あなたの思い通りにはならない、と言ったのです」
いつの間にか、戸口に人が立っていた。
学生服に身を包んだ少女だ。
見覚えのある三つ編みに、優しい微笑み……
「ユズハっ!」
時空は思わず叫んだ。
そこにいたのは、今朝別れたばかりの
「遅くなりました、時空さん。あの後嫌な胸騒ぎがしたので、後を追って来たのですが……なんとか間に合ったようですね。やはり私たちの神器は、強く結ばれているようです」
そう言って、柚羽は微かに頬を赤らめた。
「だれ?」
ムッとした表情で尊が呟く。
「今朝、話していたユズハだ。俺を助けてくれた……って、何怒ってんだ?」
「べつに……強く結ばれてるんでしょ。良かったわね」
「良かったって、どういう……」
そっぽを向く尊に、時空は言葉を詰まらせた。
「キィィ!何なんだ、お前らは」
二人のやり取りを聞いていた赤角が、腹立たし気に叫ぶ。
「何だか知らんが、そこの女!お前も神器を持っていると言ったな。ついでにそれも頂くとしようか。命が惜しけりゃ素直によこせ!」
「あらま怖いこと。取れるものならどうぞ」
赤角の威嚇に動じる様子もなく、柚羽が言ってのける。
「キィィっ!馬鹿にしやがって……思い知れっ!」
一体の赤角が短剣を手に、柚羽に襲い掛かる。
少女は床を滑るように移動し、それをかわした。
そして腰に吊り下がる細い筒から、一本の筆を取り出した。
朱塗りの
嵯峨家に伝わる神器……
「
柚羽はそう叫ぶと、文字を書くように宙に筆を走らせた。
その動きと連動するように、空中に赤い閃光が
すると突然、空間に裂け目が出現した。
そして凄まじい唸り声と共に、何かが飛び出してきた。
巨大な日熊だ!
ウォォォォォーン!!
日熊は赤角を睨みつけると、威嚇の遠吠えをあげた。
「これは……!?」
時空が驚きの声を上げる。
「これが、私の神器の力です」
柚羽が、涼しげな眼差しを時空に向けた。
「御霊写しは、文字に命を吹き込むことが出来るのです」
その言葉で、時空の脳裏に自分を救った虎の姿が蘇る。
「じゃあ、あの時もお前が……」
目を丸くする時空に、柚羽はにっこりと微笑んでみせた。
「さあ皆さん、いきますよ!」
柚羽は一声叫ぶと、次々と宙に筆を走らせた。
豹、鷹、狼……
命を与えられた動物が、次々と裂け目から飛び出してくる。
そして柚羽の意思に従うかのように、まっすぐ赤角を攻撃した。
人間を遥かに
動物たちは短刀を突き立てられても、なお刃向かい続けた。
タフな生命力と執拗さは、野生動物特有の強みだ。
相手が怯んだのを見定め、時空も剣を構え身を沈める。
「
得意の居合術で一体、二体と敵を分断していく。
「
尊も、襲い掛かる敵を弾き飛ばす。
三人のコンビネーションは、見事だった。
声をかけずとも、的確に自らの敵を見定め倒していく。
気付けば、残ったのは本体の赤角のみとなっていた。
「キィィっ!く、くそっ……」
さすがに形勢不利と判断したのか、赤角は攻めるのを止め後退した。
「キィっ……このままで済むと思うな!」
捨て台詞を吐いたかと思うと、たちまち赤角の身体から黒い靄が立ち上った。
その中に、ゆっくりと後退していく異形。
「待てっ、伊織はどこだ!?」
慌てて時空が叫ぶが、すでに赤角の姿は見えない。
ほどなく黒い靄も立ち消え、廃工場に元の静寂が戻った。
苦悶の表情を浮かべる時空を、尊と柚羽が不安そうに見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます