一の宝〜地の巻

剣道部の部室は中庭にあった。

四十畳ほどの道場では総勢二十名の部員が汗を流している。


時空ときの率いる天津あまつ女学院剣道部は、試合では常に優勝候補に顔を並べていた。

主将である時空の強さは言うまでもなく、部員も粒ぞろいだった。

副主将であるたけるも高い技能を有するが、部の中では補佐役に徹していた。

たまに暴走する時空をフォローし、皆をまとめる。

判断力に富む尊ならではの役割だ。


ノートで部員の練習メニューをチェックしながら、時折道場の隅に視線を送る。

床に正座し、静かに見学する伊邪那美いざなみほのかの姿があった。

長時間の正座にも、苦痛の表情を見せない。

武道の心得でもあるのか、それとも痩せ我慢なのか……

先程は何の躊躇ためらいもなく、時空に案内を依頼した。

尊が引っ掛かっているのは、その点だった。


慣れた者ならともかく、初対面に時空の鋭い眼光はきつい筈だ。

武道で鍛えたその目には、常に相手を威嚇するような光が宿っている。

初めて顔を合わせた者の大半が、萎縮し言葉を詰まらせてしまう。

実際、今のクラスになって暫くは、会話の相手は尊しかいなかったくらいだ。

その動揺が、この伊邪那美仄には微塵も感じられなかった。

まっすぐに時空と向き合い、楽しそうな笑みまで浮かべていた。


……



「よしっ、今日はここまで!」


時空の切れの良い号令がかかる。


防具を外し一礼すると、部員たちは談笑しながら更衣室に入って行った。

「調子良さそうね」

「皆いい動きだ」

尊の言葉に、時空は満足げな表情で答える。

「さてと、お次は……」

道場の隅に目をやると、伊邪那美仄が満面の笑みで立ち上がっていた。


「皆すごいわね。特に時空さんの迫力には驚いちゃった」

「ありがとう。それと俺の事は呼び捨てでいいよ。すぐに着替えるから、ちょっと待っててくれ」

時空も笑顔で答える。

「分かった。じゃ私も、ホノカって呼んでね」

仄は嬉しそうに胸の前で手を合わせた。

「お前はどうする?尊」

時空の言葉に、尊は一瞬声を詰まらせた。

くすぶる疑念を追求したい気持ちはあるが、なぜか同行するのは躊躇ためらわれた。

「私は……片付けがあるので遠慮しとくわ」

仄から視線をらしながら答える尊。

「そっか、悪いな。じゃあちょっと行ってくるわ」

そう言い残すと、時空は足早に更衣室へと向かった。


推古すいこさん……でしたかしら?」

背後から仄の声が聞こえた。

振り返ると、先程とは違い真顔でじっと見つめている。

「私もタケルでいいわよ」

尊も今度は視線を逸らさず、正面から向き合った。

「時空とは長いんですか」

「中学からのくされ縁よ。なぜか、いつも同じクラスになる。あの通りガサツだから、しょっちゅう面倒かけられてるわ」

「仲がいいんですね」

尊の憎まれ口に意外な反応が返ってくる。

「別に、そんなんじゃ……」

うらやましい」

その一言に驚いた尊は、まじまじと仄の顔を凝視した。

目を伏せたその表情は、暗くよどんでいる。

どことなく寂しそうな、何か思い詰めたような姿に、尊は胸のどよめきを覚えた。

尋ねようと口を開きかけた時、時空が更衣室から戻って来た。


「お待たせ。じゃ行くか」

どうにか言葉を飲み込んだ尊は、そっと脇へ退しりぞく。

仄の表情は笑顔に戻っていた。


今の言葉は、どういう意味だったのか……

一体、何が羨ましいというのだろう……


答えを得たくとも、自分はこの人物についてまだ何も知らなかった。

まずは相手の事を知る必要がある。

考えるのはそれからだ。

沈着冷静な尊らしい判断だった。


「尊、行ってくる」

先頭に立って歩き出す時空の横で、仄がちらりと振り返る。

その目に宿る、を尊は見逃さなかった。

談笑する二人の後ろ姿に、言いようの無い不安が湧き上がるのを感じた。



「これで一通りは回ったな」

手に菓子パンを握ったまま、時空がつぶやく。

最後に訪れた売店で買ったものだ。

図書室、実験室、音楽教室、体育館と主要な場所の説明は終わった。

「悪いな。練習の後は、めちゃくちゃ腹が減るもんで」

「いいのよ。気にしないで」

仄は両手で口をおおってクスクス笑った。

「それにしても時空って面白いわね」

照れくさげに頭を掻く時空の腕に、そっと手がからまる。

「ねえ、もう一箇所行ってみたい場所があるんだけど」

首を傾げる時空を促すように、仄は腕を引いた。

今までの気ままな散策とは異なり、歩調が速くなる。

「一体、どこに……?」

尋ねようとするが、無言の表情には質問を許さぬ雰囲気があった。

校舎内の階段を上り、辿り着いた先は屋上だった。


「気持ちいい」

四方に張り巡らされた金網に近付くと、仄は声を上げた。


六月の風は心地よい。

ひしめき合う町の彼方に、絵葉書のような山のシルエットが並ぶ。

金網に向かって立つ仄の目は、しかしながらどこも眺めてはいなかった。



「……そろそろ、話してくれないか」


その様子を眺めていた時空が口を開く。


「あんた、?」


「あら、分かっちゃった?」

背中を向けたまま答える仄。

「意外と勘がいいのね」

その声に先程までのほがらかさは無かった。

「尊ほど賢くは無いが、これでも勘はいい方でね。初めてなのに、辿のでおかしいと思った……知ってたんだろ、最初から」

時空は警戒心を含んだ声で言い放った。

実際、武道で鍛えた彼女の直感は抜きん出ていた。

それは周囲の変化を瞬時に察知するという、武芸者特有の技能でもある。


「やはり、想像してた通りの人だった」

そう言いながら振り向いた顔には、薄ら笑いが貼り付いていた。

「一見ガサツで、思慮が浅いように見えるけど、中々どうして……そう、知ってたわよ。この学校の事も、あなたの事も。一緒に行動してみたけど……やはり、一番注意すべき人物のようね」

そう言って、仄は冷え切った目で時空を見据えた。

先程までの可憐で清楚な面影は、どこにも無い。


「どういう事だ!」


その意味不明の言葉に、激しく反応する時空。

周囲に、異様な殺気が漂い始めているのを感じる。

その源流は、明らかに仄だった。


いにしえより伝え渡る神の宝……そう、。正統な継承者として」


仄が何を言っているのか、時空には全く理解出来なかった。


神器……?


なんだそりゃ……


だが、考えている余裕は無かった。

煌煌こうこうと輝く仄の眼光に気付いたからだ。

それは比喩表現などではなく、

錯覚かとも思ったが、どう見ても現実に起きている現象だった。


「お前は……何者だ!」


時空は、片手でおのれの目をかばいながら叫んだ。

あまりの眩しさに、とても目を開けていられない。


こんな……バカな事が……!?


たまらず叫びかけた次の瞬間、唐突に発光が収まる。

残像の残る視線を向けると、仄がうつむいているのが見えた。


「今に分かるわ。あなたが継承した神器……八握剣やつかのつるぎのこと……」


それだけ言い残し、入口に向かって歩き出す。


時空は押し留めることも、口を出すことも出来なかった。

あまりに現実離れした出来事に、思考が追いついていなかったからだ。


こいつは何なんだ!?


なんであんな事が出来る!?


本当に……人なのか!?


立ち尽くす時空を残し、仄は階下に姿を消した。

漂っていた殺気も、いつの間にか消失している。


その場に立ち尽くす時空の額から、幾筋もの汗が流れ落ちた。

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