一の宝〜神の巻

昨日の出来事が嘘のようだった。


ほのかは、何事も無かったように授業を受けている。

時折視線が合うと、無垢むくな微笑を返してくる。


一体、どういうつもりだ!?


正直、時空ときはまだ状況が理解出来ずにいた。

あの時仄が見せた、急激な変貌と言葉の意味……


あの眼光は何だ!?


とても、人間のものとは思えない。


俺を何かの継承者だと言っていたが……


全く授業に身が入らぬまま午前が終わる。

立ち上ろうとする時空に、たけるが目で合図した。

先に立って教室を出て行く。

後を追うように時空も続いた。

売店で昼食用のパンを買い、そのまま屋上に向かう。


二人とも終始無言だった。

扉を開けると、突風が髪を揺らした。

?」

片手で髪を押さえながら尊が口を開く。

「ああ……」

時空は、仄が立っていた金網の方に目をやった。


昨日の出来事については、あの後尊に連絡をとって話してある。

こんな事を相談出来るのは、コイツしかいない……

信じ難い話だが、尊は肯定も否定もせず黙って聴いていた。


「あなたの言っていた、【神器】について調べてみた」

尊は金網に近付きながら言った。

「その語源は、日本神話にまでさかのぼるわ。神から伝え受けた宝器を意味し、形態はとても多岐に渡っている。一般には八咫鏡やたのかがみ天叢雲剣あめのむらくものつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの【三種の神器じんぎ】と呼ばれるものが有名みたい。本当に実在したかどうかは別にして、日本の歴代天皇の公式行事などでは、今でもレプリカが代用されているわ」

尊は、原稿を読み上げるように説明した。


「ただ、あなたが聞いた八握剣やつかのつるぎというのは、この【三種の神器】とは別のものみたい……その名称が出てくるのは『旧事紀くじき』という古代書物で、その中で記されている【十種神宝とくさのかんだから】と呼ばれる十種類の神器の一つがそう呼ばれている」

「何かややこしいが、神器の書物ってそんなにいくつもあるのか?」

時空は理解が追いつかず、頭を掻いた。


「【三種の神器】はよく知られている『古事記』や『日本書紀』に出てくるもの。編纂は奈良時代だけど、著者については諸説分かれている。一方の『旧事紀』は、正式名称を『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』といって、でもある。成立は平安時代初期らしいけど、筆者は不明……」

全て頭にあるのか、次々と言葉が続いた。

その卓越した記憶力は、圧巻と言うしかない。


「仄が言う神器は、恐らくこの【十種神宝】の方ね……彼女の言葉を借りるなら、あなたはこの【十種神宝】の一つである、八握剣を継承するみたい」

そう言って、尊は肩をすくめた。

あっけらかんとした口調が、余計不安感をあおる。


「ち、ちょっと待ってくれ!俺は八握剣なんて、見た事も聞いた事も無いぞ……一体そんなものをいつ、誰からもらうって言うんだ」

慌てふためきながら問い返す時空。

それには答えず、尊はうつむいたまま、自分の考えに没頭した。


仄が、嘘や冗談でそんな事を言ったとは思えない。

もしそうなら、勘の鋭い時空が気付いた筈だ。

それに、私と話した時に見せたあの表情……

明らかに、何か隠している様子だった。


それと、という現象も気になる。

時空が錯覚では無いというなら、実際に起こったのだ。


総合的に見ても、仄の話が真実である可能性は高い。

少なくとも、神器が関係しているのは間違いない。

ただ、分からないのはその目的だ……


時空が手にするという、八握剣を狙っているのかしら……


でも、なぜ?


そんなものを得て、どうするつもり?


そもそも、伊邪那美いざなみほのかって一体何者なの?


尊は得意の洞察力をフル稼働して、推理にふけった。


「時空、あなた最近変わった事は無かった?」

何か思いついたのか、顔を上げた尊が口を開く。

「変わった事?」

「何でもいいの。伊邪那美仄が転入して来る迄にあなたが体験した事で、いつもと違うような何か……大事な事よ。思い出してみて」

いつになく真剣なその口調に、時空は懸命に頭を捻った。


日々の日課で、特に変わったことをした覚えは無い。

自宅での朝練から始まり、その後学校へ登校──

放課後は剣道部での部活、そして帰宅──

一日五食の食事と、朝夕の汗を流す風呂と、就寝前の正座による精神統一と……


「……待てよ」


時空はハッとしたように顔を上げた。

「そういや、変な夢を見た事があったな」

「夢!?」

その言葉に目を光らせる尊。


「確か……暗闇の中を、遠くに見える光に向かって歩く夢だった。時折誰かが邪魔するが、光が増すたびに何処かへ消えてしまう。そのうち、真っ赤な鳥居が見えてきたのでそれをくぐったんだ。すると、光の中に……が見えたな……もうちょっとで掴めそうだったけど、そこで目が覚めちまった」


時空の話を興味深げに聴いていた尊は、ポケットから小さな手帳を取り出した。

「その模様って、どんなものだったか覚えてる?」

「ああ」

「じゃ書いてみて」

顔を歪める時空に、尊は手帳を渡して促した。

「俺、絵ヘタなんだけどなあ……」

「早く!」

尊の剣幕に押されて、時空は渋々書き始めた。

時折天を仰ぎながら筆を走らす。


「こんなもんかな……」

戻された手帳に目をやった尊は、思わず息を呑んだ。


八卦はっけのような角形かくがたに、そそり立つ刀身──


尊は微かに震える手で、手帳に挟んであった紙片を取り出した。

それは一枚の写真だった。

「さっき話した【十種神宝】だけど、資料の中にがあったのでコピーしておいたの」

その写真を見た途端、時空の形相が変わる。


「これだ!俺が見たのは、まさしくこいつだよ」


写真には、十個の絵柄が並んでいる。

どれも何かのマークか、デザインのように単調なものだ。

そのうちの一つが、時空が記した模様と酷似していた。


「この神宝図は、弘法大師空海が著したとされるものよ。モチーフは【十種神宝】。貴方が夢で目にしたのは紛れもなくよ」


時空は、さらに混乱した。

昨日の非現実的な出来事が、自分が見た夢と関係しているだって!?

そんなバカな事があるのか?


「じゃあ何か、アイツの……仄の言ったように、俺が八握剣の継承者だから、夢に出てきたって言うのか!?……いやそれ以前に、これって全部本当の話なのか!?」

時空は、感情の赴くままにまくし立てた。

これまで、超常現象など信じた事は無い。

超能力も、幽霊も、そんなものは錯覚か作り話だ。

神様ですら、信仰心はあっても、実際に存在しているとは思っていない。


だが、しかし……


その信条も、自らの体験した現実に揺らぎ始めていた。


なんで、俺が!?

どうして、継承者なんてものに選ばれなきゃならないんだ……


時空は、答えを求めるかのように尊を凝視した。


「私にも分からない。ただ……」

尊は、時空の視線を真正面から受け止めた。

「夢の中で鳥居を見たと言ったわね」

頷く時空から目をらすと、尊はまた思案顔になった。

「【十種神宝】は『旧事紀』に表記されているだけに、神道と密接に関係している。もしかしたら……」

一瞬、言葉を詰まらす尊。


「もしかしたら……あなたが夢で見た鳥居ものかもしれない。そして、のかもしれない」

そう語る尊の声は、僅かに震えていた。


「それはつまり……が、どこかにあるって事か?」

勢い込んで問う時空に、尊は肯定の眼差しを向けた。


時空の見たものが、単なる夢で無い事は確かだ。

それが何かの【お告げ】なのか、【予知】なのかは分からない。

ただ、このタイミングで仄が現れたという事は、時空が八握剣と出会う時期が近いのかもしれない。

そして時空の見た夢が、そのヒントを示している。

それが解明された時に、夢は現実となるのかもしれない。

沈着冷静な尊も、さすがに動揺の色を隠せなかった。


「とにかく、それについては私の方で調べてみるわ。何か分かったらまた連絡する……あなたは、仄に十分気を付けて」


真剣な表情で念を押す尊に、時空は大きく頷いた。

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