第123話 カイエル食堂

 商業ギルドに表の市場に流す分の赤崖石せきがいせきと光石だけ預け、僕とギルガスはオミナの中心部へ向かっていた。


「なかなか面白そうな男だったな」

「そうですね。少々胡散臭かったですけど、キエダがあそこまで心を許してる人ですから信用しますよ」


 僕はギルドで別れたキエダとディアールのやりとりを思い出す。

 今頃二人はディアールおすすめの酒場とやらに向かっているころだろう。

 僕たちも誘われたが、今日はこれから行くところがあるとキエダだけを残してきたのである。


「でもやっぱり帰りを明日にして良かった」

「ふむ、たしかにな。再会の酒を酌み交わした後に船に揺られては人間族は辛かろう」

「ドワーフ族と違ってね」


 商談がどれだけかかるかわからなかったのと、買い出しのために一日欲しかったのもあって今日は例の宿に泊まることになっていた。

 

 オミナの街にある宿は四件。

 そのうち上から三番目に良い宿を僕たちは選んで契約をした。


 一番上の宿は視察などで貴族が泊まることもあるらしく出くわしたくなかったというのが大きい。

 二番目の宿は資金的にも僕たちがお願いしたい長期契約には向かず。

 四番目の宿は基本的に治安が悪くても構わないという客相手のもので論外。


 というわけで三番目の宿にお願いしたのだが、その判断は正しかったと思っている。

 消去法で選んだというのは失礼に当たると思うほど宿の店主もその家族も僕は大好きになっていた。


 彼らは親子三代で宿の経営をしていて、元々は他の街から移住してきた祖父が碌な宿の無いこの街のために始めたのだという。

 今でこそ漁師町としてや王国の交易船が立ち寄る港として整備された街となってはいたが、当時はまだ寂れた漁港でしかなかったらしい。


 そんな街のためにと始めた宿という成り立ちを知ると、あの宿が僕たちの頼みを色々と引き受けてくれる理由もわかるというものだ。


 さて、そんな宿に帰る前に僕たちが向かっているのは町の中央付近にある市場からほど近い場所で。

 こぢんまりとした酒場や屋台が数件並ぶ飲食街であった。


「ここだ」


 ギルガスが足を止めたのはそんな飲食店街の真ん中あたり。

 小さめの家を改造した大衆食堂だった。


「ここがアリシアさんのお店ですか。なかなか味のある――」

「素直にボロっちい薄汚い店って言っていいんだぞ」

「そ、そんなこと思ってないですよ」

「気にしなくて良い。店主本人がそう言ってたからな。お邪魔するぞ」


 ガラガラと引き戸になっている扉を開いて先にギルガスが店の中に入っていく。

 僕は店の外観をもう一度見る。


 確かに外観はかなりくたびれてはいる。

 だけどきちんと手入れされているのか薄汚くは思わなかった。


「あっ」


 それよりも僕の目を惹いたのは店の上方に掛けられていた看板の文字だ。


 そこには『カイエル食堂』という文字が大きく書かれていて。

 一度は消え去ったその名を語り継いでくれている人がいたことがたまらなく嬉しくなってしまった。


「アレッタさんか……一度会ってみたかったな」


 僕はしみじみとそう呟くとギルガスの後を追って店の中へ入る。


「まだ準備中なんだけどね」

「すまねぇな。ちょいとお前さんに紹介したい人がいてよ」

「あたしゃ旦那も子供も居るんだよ?」

「そういうんじゃねぇよ。わかってるくせに。ホント母親の悪いところばかり似ちまって」


 僕が後から入っていくとギルガスが一人の女性とそんな会話を交していた。

 その女性がアリシア。

 ギルガスの人生を変えたアレッタという女性の娘だ。


「おや、アンタがギルが今言ってたお人かい?」


 そう言って背の低いギルガスの頭越しにこちらを見て笑うアリシアに僕は軽く頭を下げる。

 年は四十代くらいだろうか。

 いかにも肝っ玉母さんといった風格を漂わす彼女に僕は自己紹介をした。


「初めまして。僕はレストです」


 ギルガスが僕のことをアリシアにどれだけ話しているかわからない。

 なのであえて『カイエル』とは告げなかった。


「レスト……まさかギルがこの前言ってた」

「ああそうだ。このお方がレスト=カイエル様だ」

「ええええっ。まさかレスト様!? あらやだあたしゃなにも用意してないよっ」


 先ほどまでの泰然自若とした姿は一瞬で消え、突然慌てだし髪や服に手を這わすアリシアに、ギルガスは「今更なにを作ろっとるんだ」と笑った。

 どうやらギルガスは僕のことをある程度は彼女に伝えていたらしい。


 仕方なく彼女が落ち着くまで僕は苦笑いを浮かべながら待つことにした。


「ちょ、ちょいとお待ちになってくださいね」


 そう言い残し店の奥へ消えるアリシアを余所にギルガスは店のカウンター席にさっさと座ると僕を手招きした。


「落ち着いた様に見えて、あやつもまだまだ若いな」

「そりゃギルガスさんからすれば若いでしょうけど」


 僕はギルガスの横に座ると店の中に改めて目を向ける。

 六人掛のテーブルが四つと八人が座れるカウンター。

 カウンターの中には調理道具と開店前の準備をしていたのだろう仕込み中の食材が置かれている。

 奥にあるのは魔導冷蔵庫だろうか。

 かなり古いそれはどこか中古で仕入れてきたのか、もしかするとこの店自体が居抜き物件で、元から設置されていたのかも知れない。

 テーブルの上にはメニューらしきものが書かれた板が置かれていて、壁にもメニューと値段が書かれた板がそこら中にぶら下がっている。


「ごめんなさいね。少し慌てちゃって」


 そうこうしている内に奥から少し身だしなみを整えたアリシアが戻ってきた。

 僕はそんな彼女に苦笑いを浮かべたまま尋ねる。


「いったいギルガスさんから何て聞かされてたんだい?」

「ワシはただ、カイエルの血を継いだ者が王国を出て国を興したと言っただけだがな」


 アリシアから受け取ったジョッキいっぱいのエールを飲みながら、ギルガスが無責任に笑う。

 よほど彼女の慌てた姿が面白かったのか、未だにニヤニヤ笑いが治まっていない。


「ギルガスさんって昔からこんな感じだったの?」

「昔はもっとこう真面目で堅物の職人って感じだったはずなんだけどねぇ。暫く会わないうちにただのがっはっはオヤジになっちまってがっかりだよ」

「誰がガッハッはオヤジだ。失敬な」

「アンタだよ! ったく。レスト様もこんな人を部下に持って大変でしょう?」


 文句を言いながらも空になったジョッキを突き出すギルガスと、それにエールを注ぎ込むアリシア。

 そんな二人の関係に僕はうらやましさを感じながら応える。


「いや、ギルガスさんには色々と教えて貰うことが多くてね。大変だなんて思った事は無いよ」

「聞いたか小娘」

「あたしゃもう小娘って年じゃ無いよ。っと娘が帰ってきたみたいだね」


 聞くとアリシアには息子と娘が一人ずついるらしい。

 長男は父親と一緒に漁に出ているらしく、娘は大体この時間になると港で父親たちが獲ってきた新鮮な魚を受け取りに行くのだという。


「漁師さんって朝の内に漁を終わらせるんじゃ無いの?」

「内の場合は店で出すために昼から出て夕方に帰ってくるんだよ」


「ただいまー。お母さん、持って来た魚どこに……ってあれ? ギルおじさんまた来たんだ」

「またとはなんだ、またとは。お得意さんは大事にしないといかんぞ」


 店の奥から顔を出したのは十代後半くらいの女の子だった。

 彼女がアリシアの娘なのだろう。


「まだ開店前なのにおかしいなって思ったのよね。ところで隣りの人はギルおじさんのお友達?」


 どうやら客がもういると思って裏口から入ってきたらしい。

 ちょっと悪いことをしたかもしれない。


「お友達か……まぁそんなもんだ」

「どうもレストです」


 僕の正体についてギルガスはまだアリシアにしか話していないらしい。

 なのでここから僕はギルガスの友達を演じることにした。


「はじめましてアリエルです。この店の看板娘してます」


 ぺこりと頭を下げる彼女の後頭部でお下げが揺れる。

 人なつっこい笑顔を浮かべ名乗った彼女は、少しギルガスと会話を交すと「今日は良い魚が入ったから食べてってよ」と僕の腕くらいある魚を持ち上げて見せる。

 見かけと違って僕より力がありそうだ。


「そうだね。せっかく初めてのお客さんが来てくれたんだ。腕によりを掛けて最高の料理を食べさせてあげるよ」

「私も手伝うよ」

「そいつぁ楽しみだな。この店の料理は最高だからな」


 ギルガスの話だとこの店で出される料理はオミナの新鮮な魚介類を使ったものに加え、旧カイエル領でよく食べられていた穀物と山菜を使った郷土料理もあるのだという。

 それに加えアリエルが発案した両方を組み合わせた創作料理が更に絶品なのだとか。


「今日はそれを食べに来た様なもんだからね」

「期待に添える様に頑張るよ。アリエル、下ごしらえの続きまかせるよ」

「はーい」


 手際よく料理を始めた母娘を見ながら僕はアリシアが用意してくれた甘いミード酒に口を付ける。

 お酒がそこまで好きでは無い人でも楽しめるように発酵度合いを調整して甘みを強調させたそれはまるでジュースの様で。


 その日僕は、初めて味わう母のふるさとの味と新鮮な魚に心も胃も溢れんばかりに満たされた後、宿への帰路につくのだった。

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