第105話 模擬戦の結果を見届けよう!

「キエダの爺さんが頼むから一度だけやってやるけどよ。女を殴る訳にもいかねぇから俺からは手は出さねぇ。それでいいか?」

「ふむ……まぁ貴方がそれでいいのなら構いませんが。それでは始めますぞ」


 前庭で向かい合うヴァンとフェイル。

 その中央に立ったキエダが片手を上に上げる。


「私が『そこまで!』と言ったらすぐにお互い離れる様に。では――始めっ!」


 キエダの手が振り下ろされる。

 同時に動いたのはフェイルだ。


「いっくよー!」

「なっ」


 強く地面を蹴って飛び出した彼女の速度に、誰もが驚きの表情を浮かべた。

 だが一番驚いていたのはヴァンだろう。


「ていっ!」


 素早く近づいたフェイルが蹴りを放つ。

 しかし、僕だったら絶対に避けられなかったそれを。


「おっと!」


 ヴァンは一歩後ろに飛び退くことで避ける。

 さすがの身体能力だ。


「ふーっ。危ねぇ危ねぇ。ちょいと油断し過ぎちまった」


 口調とは裏腹に、ヴァンの表情には以前として余裕が見える。

 口元に浮んだ笑みからもそれは明らかだ。


「でもまぁ、不意打ちの一撃すら当てられないんじゃ、この先はもう一発も俺様の体をかすらせることも出来ねぇぜお嬢ちゃん」

「むうっ。馬鹿にしてぇっ。目にもの見せてやるですっ」


 連打連打連打。

 小柄なフェイルの体から放たれるパンチと蹴りは、たぶん普通の人間であれば避けられなかっただろう。

 だけど獣人族であるヴァンにはその全てが見切られていた。


「はっ、ほっ、ふっ。当たんねぇ当たんねぇ。そんなへなちょこパンチじゃあ魔物に襲われたらイチコロだぜ」

「なんでっ、あたんっ、ないんですかぁっ!」


 じゃれついてくる子供を構う大人。

 そうにしか見えなくなった頃。


「フェイル。そろそろ本気を出してはいかがですかな。ほれっ」


 僕の横で戦いを見守っていたキエダがフェイルに向かって何かを放り投げた。

 それは一本の木の棒。


「あーっ、わすれてたですぅ」


 フェイルは攻撃の手を一時止めると、ヴァンから少し離れたところでキエダが投げた棒を受け取る。

 木刀というよりも、森の中に落ちていた枝の葉を落としただけのようなそれは余りに弱々しい。


「キエダ。あれって」

「真剣ではヴァン殿の命が危ないですからな」

「いや、そういう意味じゃ……って命!?」


 ちょっと待って欲しい。

 今までの戦いを見ている限り、たかだか棒きれ一本手にしてリーチが伸びたところでフェイルがヴァンの体に攻撃を当てるなんて想像出来ない。

 なのにキエダの表情はとてもではないが冗談を言っている風には見えなくて。


「何か忘れてるっておもったですが、これでしたぁ。じゃーん!」


 天高くフェイルが木の棒きれを掲げる。

 それはまるで聖剣を手に入れた勇者――ごっこをしている子供にしか見えない。


「おいおいキエダの爺さんよ。武器はありなのかい?」

「言ってませんでしたかな?」

「ま、いいや。そんな棒きれ一つで何か変る訳もねぇしな。ハンデだハンデ」


 ヴァンはそう言ってから、今まで殆ど棒立ちのままだった姿勢から初めて構えをとる。

 別に本気になった訳では無いのはニヤニヤ笑いを浮かべている顔からわかる。


「で、そろそろ時間ももったいねぇし終わらせて良いんだよな?」

「構まわないですぞ。どちらかが気絶、もしくは降参するまでと思いましたが」

「なら一瞬で気絶させて終わらせてやんよっ」


 その言葉を残した次の一瞬だった。

 勝負が本当に一瞬でついてしまったのは。


「がっ……」


 苦悶の表情を浮かべ、地面に横たわったのはフェイル――ではなく。


「ヴァン!!」

「まさかっ」

「ほほう。これは驚いたな」

「あらやだ。何が起こったのかしらぁん」


 白目を剥いて地面に横たわりピクピクと尻尾を揺らすヴァンと、その横で枝を震った姿勢のままのフェイルを見て誰もが目を見開いて、僕はしばらくの間言葉を失ってしまった。


「……キエダ。説明してくれるかな」


 やっとその声を絞り出せたのはどれくらい経ってからだろう。

 僕は隣で「まぁまぁですな」などと呟いているキエダに問い掛けた。


「フェイルは私の弟子の中でも一番飲み込みが早かった天才でしてな」


 キエダはエルだけでなく、フェイルやアグニ、驚いたことにテリーヌにも自らの技を教えようとしたらしい。

 もし自分に何かあったときに母や僕を守ることが出来るようにと。


 しかし人には向き不向きがある。

 アグニやテリーヌは戦いに関しては不器用でキエダは早々に別の道へ彼女たちを導くことにした。

 一方エルは慎重な性格と冷静な判断力によって隠密として開花。

 そしてフェイルは――


「あの子は天才なのです」


 最初キエダはフェイルには最低限身を守れるだけの護身術を教えるだけのつもりだったという。

 予想外だったのは彼女に初めて木刀を持たせたときだった。


「エルに剣を教えていた時にフェイルが『自分もやってみたいですぅ』と言ってきましてな」


 戯れに木刀を渡し、エルに遊んでやる様にとキエダは任せることにした。

 相手に怪我をさせない様に手加減をする技術というものもエルには必要だと考えたからである。


 もちろん本当にフェイルに怪我をさせそうなら自分が間に入る。

 そんな心づもりで。


「ですが結果は予想外のものでした」

「まさか」

「そのまさかですぞ」


 キエダはその時のことを思い出すかの様にヴァンとフェイルを見つめながら。


「あの日のエルとフェイルを再現したかのような景色ですな」


 弟子の成長を喜ぶような笑みを浮かべたのだった。

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