第92話 ドワーフの子
「えっと、この子は?」
僕はギルガスの奥さんであるチルリスが抱きかかえている赤ん坊を見ながら尋ねる。
「ワシの子に決まっておるだろ」
キエダたちがチルリスが泊まっている港町の宿屋へ辿り着くと、そこにはお腹を大きくした彼女がいたのだという。
しかも夫であるギルガスが戻ってきたことに安心したのだろう。
突然彼女は産気づき、その日のうちに元気な女の子を産んだ。
「生まれたばかりの子を連れてきて大丈夫だったのか?」
人間の子供であれば生まれてすぐはとても弱く、直後に船旅なんてもってのほかだろう。
だが僕のそんな心配をギルガスは豪快に笑い飛ばす。
「がはははっ、ドワーフの子は人間の赤ん坊と違って丈夫だからな。一ヶ月もすれば立ち上がる」
「い、一ヶ月でですか!」
「おうよ。ワシなんか半月目にゃあ鎚を振り回してたってオヤジが言ってた位だ」
流石にそれは親が大げさに言っただけだろうとは思うが、何せドワーフ族のことは僕らには何もわからない。
頭ごなしに「嘘だ!」とも言い切れないだろう。
「わかりました。子供のことは僕たちにはわからないので親であるギルガスさんが大丈夫だと言うならそうなんでしょう」
そう言ってから僕は今度は赤ん坊を抱きかかえているチルリスに目を向ける。
「ギルガスさん。本当にこの人が奥さんなんですか?」
「どういう意味だ」
「だっておかしいじゃ無いですか。彼女、どう見てもドワーフじゃ泣く人族でしょ?」
赤ん坊を抱いている女性の顔にはドワーフ族なら誰もが生えているはずの髭が一切生えていなかったのである。
確かに体型だけ見ると小柄で少し丸っこい体型はドワーフらしいとも言える。
だけれどそれ以外は僕らと同じ人族。
しかも背丈も顔のあどけなさも含めて成人前の女の子にしか見えない。
「未成年に手を出すなんて犯罪ですよ?」
「何がだ馬鹿もん。こいつはワシと同い年だぞ。もうババァだババァ」
ガスッ。
その鈍い音はギルガスの短い足辺りから聞こえた。
ガスッガスッ。
「ぐはっ、すまんっ、つい言葉のあやってやつだ。許してくれっ」
ガスガスガスガス。
音が響く度にギルガスの顔が苦痛に歪み、それと共にゆっくりと地面に崩れ落ちていく。
どうやらギルガスの足をチルリスが蹴り続けているらしい。
だが、そのチルリスの顔は先ほどまでと変わらず優しげなえみをうかべたままで。
僕は背中に悪寒を覚えながら、たしかに彼女はドワーフ族の女性なのだと理解したのだった。
その後、痛む足を押さえしゃがみ込んだギルガスから聞いた話によると、ドワーフ族の女性は結婚すると長い髭を剃る者が多いという。
もちろん髭を伸ばしたままの女性もいるが、出産や子育てなどの時に髭が長いと色々と不都合があることが多いというのが理由らしい。
僕はとりあえずチルリスを自分の代わりに椅子に座らせるとアグニに温かいお茶の準備を指示してからキエダの元へ向かう。
何やら先ほどからキエダが僕に何か伝えたいことがあるような気がしたからだ。
長い付き合いのおかげで他の人よりはお互いそういう所に気が付くようになっている。
「キエダ、何かあったのか?」
「実はエルから知らせがありまして」
「エルから? どんな知らせだ」
「ここではちょっと」
キエダの目が領主館を示す。
「わかった、執務室で話は聞かせて貰うよ」
僕はその場にいる皆に「休養が出来た。先に領主館に戻っている」と言い残すとキエダと共にその場を後にして急ぎ足で領主館に向かう。
キエダが口にしたエルという人物。
彼は僕の家臣の一人で主に諜報活動を行っている。
貴族というのは誰もが子飼いの諜報員を持っていて、常に情報収集を欠かさないのが当たり前。
だけれど僕はそんな貴族社会が嫌だった。
それでも生きていくためには情報を入手する手段が必要になる。
悩んでいた僕の前にキエダが連れてきたのがエルという青年だった。
彼は昔キエダに命を救われ、それ以来密かにキエダの元で修行をしていたのだという。
「私の一番弟子のようなものですな」
そう言って紹介されたエルは一見すると普通のどこにでも居る青年に見え、その普通さが隠密活動には重要なのだとキエダは説明してくれた。
「兄妹共々よろしくお願いします」
エルを家臣に取り立てることを伝えると、彼は直立不動のままそう答え僕は一瞬何のことだと首を傾げた。
なぜなら当時キエダからは彼の妹の話など聞いたことなど無かったからである。
「……キエダ様、兄は元気でしたか?」
領主館に向かう途中、後ろから追いかけてきたのだろうアグニがキエダに問いかける。
「元気でしたぞ。アグニ宛てに手紙も預かっております」
キエダは振り返ると懐から一通の封書を取り出し「後で渡すつもりでしたが」と言いながらアグニに手渡した。
エルとアグニ。
彼らは兄妹で僕に仕えてくれている。
彼らの忠誠心は最初こそ僕にではなく二人の命を助けたキエダに対してだったかもしれない。
だけれどきっと今では二人とも僕のことも少しは好きになってくれていると信じている。
「……ありがとうございます」
アグニはキエダに小さくお辞儀をすると「……お茶のお替わりを取ってきます」と言って僕らよりも先に封書を大事に抱え走り去っていくのだった。
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