閑話 閑話 死出の旅路は奇跡へ続く

 あの日、あっちが初めてめまいで倒れたのはコーカ鳥の世話をしている時だった。


 最初一体何が起こったのかわからなかったけど、気がついたら家の布団で横になっていた。

 心配そうにあっちの顔を覗き込んでいた妹とメリメは、あっちの目が覚めたのに気がつくと直ぐにお父さんを呼びに家を出て行く。

 そんな姿を見送ったあっちは、一体自分に何が起こったのかわからなかった。


 慌てたように家に帰ってきたお父さんは、何故か青ざめた顔をしていて。

 そして、こっちも何故かわからないけど村長の爺ちゃんもその後に続いて家にやってきた。


「あれ? 村長の爺ちゃん?」


 あっちは布団から体を起すと、お父さんと同じように今まで見たことも無いような顔をした村長の爺ちゃんを見上げる。

 お父さんはあっちに「大丈夫か?」と聞いてきたけど、その時のあっちはいつもと変わらないくらい元気で。

 むしろどうして布団に眠らされていたのかもわからないくらいだった。


「うん。あっちどうかしたの? コーカ鳥の世話をしてた所までは覚えてるんだけど」

「お前はな、倒れたんだ」

「倒れた?」

「ああ。もしかしたら病気かもしれないと思ってな。それでお父さんは病気に詳しい村長を呼んできたんだ」


 そっか。

 前に死んだお婆ちゃんに聞いたことがある。

 あっちたちレッサーエルフはめったに病気をしないらしい。

 たしかにあっちも妹も、村の人も病気にかかったという話は聞いたことが無かった。

 だけど……。


「病気って、死んじゃうんでしょ?」

「……まだ病気と決まったわけじゃ無い。ただ単に疲れていただけかもしれないだろ。最近お前は働き過ぎていたからな」


 お父さんはそう言ってあっちの頭を撫でると、後ろで待っていた爺ちゃんに「それじゃあ頼みます」と頭を下げて場所を入れ替わった。

 いつもは優しい笑顔を浮かべている爺ちゃんなのに、そのときは全然笑っていなかった。

 今考えるとお父さんから話を聞いたときにはもう、あっちがスレイダ病に掛かっていることを見抜いていたのかも。


「それじゃあコリトコ。服を脱いで背中を見せてくれるかのう」

「うん。わかった」


 あっちは上着を脱ぐと布団の上で爺ちゃんの方に背中を向けた。

 爺ちゃんは不思議な力で人の体の中を流れる魔力……とかいうものの流れがわかるらしい。

 そして病気の人はその流れがおかしくなっているのがわかるのだとか。


「……コリトコや。もう服を着て良いぞ。それとトアリウト、ちょっと外で話をせぬか?」

「……はい」


 トアリウトというのはお父さんの名前だ。


「それじゃコリトコ。お父さんは少し村長と話をしてくるからお前は無理をせず横になって休んでなさい。あとメリメはキオルキくんの家に遊びに行っておいで」

「はーい」

「わかった」


 キオルキはメリメより少し年下の男の子で、いつもメリメに無理やり引っ張り回されている気の弱い子だ。

 多分これから今日も彼はメリメ相手に大変な目に遭うに違いない。

 あっちはそんな事を考えながらもう一度布団に横になる。

 疲れているとお父さんは言ったけど、確かに最近は働き過ぎだったかもしれない。

 それもこれも、少し前からコーカ鳥の言葉がだんだんとわかるようになってきて、相手をするのが楽しくなってきていたせいだ。


『倒れたって聞いたけど大丈夫?』


 玄関からお父さんと入れ替わりに入ってきたのはエヴォルウルフのファルシだった。

 子供の頃に親に見捨てられていたところをお父さんが拾ってきて、あっちやメリメと一緒に育ってきた兄弟のような魔物。

 朝から姿が見えないと思っていたら、どうやら森の奥で狩りをしてきたらしく、体中に枯れ草がまとわりついている。


「美味しい餌は食べられた?」

『ウサビを二匹捕まえられたよ』

「そっか。それは良かった」


 あっちはファルシとは普通に会話が出来る。

 それは一緒に育ってきたからというだけじゃない。

 なぜなら村の中でも魔物と言葉が通じるのはあっちのお父さんとあっち、そして妹のメリメだけだからだ。


 お父さんが言うにはお婆ちゃんも同じような力を持っていたらしいけど、おじいちゃんは普通の人だったという。

 なのであっちらはお婆ちゃん似なんだねって言ってよく笑ってたっけ。


『コリトコのために美味しいもの狩ってくる?』

「いや、いいよ。もう本当になんともないんだ」


 心配そうに鼻をこすりつけてくるファルシの頭をあっちは横になりながら撫でてやった。

 そうするとファルシはそのままあっちに添い寝するように転がった。


『無茶しないで』

「うん。これからは気をつけるよ」


 あっちとファルシはそれから、今日の狩りのことやコーカ鳥のこと、妹に振り回されるキオルキの心配とか色々話をした。

 そして気がつくとあっちは眠ってしまっていた。


 それがあっちが村で眠る最後の日になるかもしれないと、漠然と不安を感じながら……。



     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 翌朝あっちは、まだ夜が明けきらないうちに村の集会場にお父さんに連れられてやって来ていた。

 ああ、やっぱりか。

 あっちの心はその時には既に何がこれから行われるのかを理解していた。


『村の掟』


 それは、あっちらレッサーエルフの民がその種を守るために代々受け継がれてきた不可侵な掟。

 例え村長であろうと、それが年端も行かぬ女子供であろうと守らねばならないものだと、小さな頃から教えられてきた。


「やっぱりあっち、病気だったんだね」

「……」


 無言であっちの手を引くお父さんが、あっちの手を握る力を強める。


「痛いよ」

「ああ、ごめんなコリトコ……」


 お父さんの声が、いつもと違ってなんだか今にも泣き出しそうに聞こえ。

 あっちは「大丈夫だよ」と意味の無い言葉をつい言ってしまった。


 やがてたどり着いた集会場には、村長の爺ちゃんの他にもこの村のお年寄りが殆ど集まっていた。

 そして全員があっちに向かって涙を浮かべて頭を下げる。


「掟……だもんね。うん……大丈夫。あっちはもう大人だから。仕事だって……もう……」


 強がっていた。

 だけど、何かを口にする度にどんどんその強がりが剥がれていって。

 最後には大声で泣いてしまったんだ。


 泣いちゃダメだって。

 お父さんたちを心配させるだけだから絶対泣かないって決めていたのに。


「コリトコ……すまない……すまない……」


 泣きじゃくるあっちを、お父さんが謝りながら大きな体が抱きしめてくれる。

 しばらくぼくはその体にしがみつくように泣いて、そしてやっと落ち着くと村を出る準備を始めた。

 といっても旅支度は既に村長たちが調えてくれていたようで、数日分の食料と旅に使う道具が入ったリュックを受け取ると、あっちは村の出口に一人向かった。

 ここからは誰ももう助けてはくれない。

 病気が悪化して、村中に病気をまき散らすようになる前になるべく遠くへいって……そして一人で死ぬのだ。


「さようなら。お父さん……メリメ……皆は元気で生きて……」


 村の出口で振り返り、あっちはそう呟くと森に向けて歩き出す。

 最初の目的地はこの道をしばらく進んだ先にある聖なる泉だ。


 そこには聖獣様がいて、この村の周りと聖なる泉の周りに凶暴な魔物が出ないようにいつも見守ってくれている。

 あっちも一度だけその姿を見たことがあるが、額から生えた立派な一本角を今も鮮明に覚えている。

 そしてその体はうっすらと淡いピンク色に包まれていて、泉で遊んでいたお姉ちゃんたちを慈しむような瞳でじっと見つめていたっけ。


「でもあっちがお姉ちゃんの所に行ったら、途端にどこかに消えちゃったんだよなぁ」


 それ以来あっちは聖獣様の姿を見ていない。

 けれどあの泉の周りは今でも凶暴な魔獣は出ない。

 あっちは一旦そこまで歩いてから泉の水を汲んで次の行き先を決めるつもりだった。


『まってー!!』


 だけど歩き始めてしばらくした頃、後ろからそんな声が聞こえてきた。

 この声はファルシだ。


 あっちは立ち止まって振り返ると、その胸にファルシが勢いよく飛びついてきて一緒に倒れ込んでしまう。

 そのままペロペロと顔を舐めるファルシを無理やり押しのけるとあっちは言った。


「どうして来ちゃったんだよ」


 あっちはファルシは村においてくるつもりだった。

 これから森の奥深く。危険な場所に死にに行くあっちに付き合う必要は無い。


『置いていくなんて絶対ダメ』


 だけど、どれだけ説得してもファルシはあっちに付いてくると言う。

 あっちはファルシの必死さに遂に根負けすると、共にゆくことをゆるすことにした。


「でもあっちが死んだら、その時は村に戻るんだよ」

『……わかった』


 これからあっちは自分の命が病気に冒されて死ぬための旅を始める。

 それはたった一人の寂しい旅だと思っていた。

 だけど、ファルシのおかげでもしかするとこの最後の旅は少しくらいは楽しいものになるかもしれない。


「じゃあ行こうか! まずは聖なる泉だ」

『あの聖獣さんが居るところだね』

「もし聖獣様に会えたらお別れの挨拶もしたいしね」


 そしてあっちは弟ファルシと共に死出の道を歩き出す。

 この道の先に待つ出会いが、あっちたちに奇跡をくれるなんて知らず。


「あっちはもう泣かない!」


 その誓いを破った涙が、とても暖かいものであるなんて想像することも無かったのだった。

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