第2話 台風一過の日の飲み屋にて(2011年9月22日記)
私は今勤めている会社の大阪支店から奈良営業所に赴任してきて、そろそろ3年が経過しようとしています。
前に勤めていた大阪支店はJR大阪駅の近くにあって社員も多かったので、会社の仕事を終えるとついつい周りに沢山ある飲み屋に誘われて、私は毎晩ワイワイやりながら社員と飲んでいたものです。
ところが奈良に赴任してきたとはいえ、営業所とは名ばかりの社員一人の事業所ですから酒を飲む同僚もおらず、飲み助の私は仕事が終わると最近はまっすぐ生駒市の自宅に帰って家内相手の一人酒の日が多くなってきております。
でもたまに、仕入れ先や同業者の方から、私の営業所のある西大寺近辺で酒を飲もうというお誘いがあり、その時は頭の中で「今回は相手先の領収証でか、うちの会社での領収証でか、どちらの方で今日は飲むのか」という事などを計算しながら、私は二つ返事でそのお誘いを受けます。
しかし困った事に、私の事務所のある近鉄・西大寺駅近辺に、いまだに私のお気に入りのこじんまりした飲み屋が見つからないのです。
近鉄・西大寺駅は奈良では交通の要所なのですが、どうもこのあたりは大阪への通勤者の住居エリアになっているので飲み屋も少なく、やはり以前勤めていた大阪梅田近辺のように商業エリアでないと、飲み屋は発展しないのかもしれません。
そんな中で月に一度必ず私を飲みに誘ってくれるのが、大和郡山市の某生コン工場のS社長です。
S社長はセメント・生コン関連の販売を手掛けている小さな店も経営しており、その方面では私と同業者となることから、お互いの情報交換のために西大寺に寄られます。
そしていつも二人が西大寺で飲むところは、S社長お気に入りの昨年開店したばかりのWというお店です。
しかし、S社長はいつもお忙しい方なので、私と飲みに行こうというお誘いの連絡は当日間際となるケースが多く、Wにその日の予約を入れるのですがいつも店が混んでいて、S社長とは大体がカウンター席での飲み食いとなります。
そして今日も台風一過のあとで、突然1ケ月ぶりにS社長と飲むことになって、やはりいつものようにWの店のカウンター席での飲み食いとなります。
席に着くと、初めはお互いが知り得た情報交換から話を始めるのですが、S社長も私も飲み助ですから、
段々酔いが回ってくると、他人なんぞ構わず声も大きくなってきて、聞こえよがしな話題になっていきます。
やがて情報交換の話題が尽きてくると、私はいつものとおり「S社長、なんか面白い話ありませんか?」が口癖で、カウンターの灰皿は私の吸ったタバコの吸い殻で瞬く間に一杯になります。
隣に座っている女性二人が時々こちらの方に目線を寄せ、手の甲でタバコの煙を追い払うようなしぐさを見せるのですが、私の方といったら、酔った勢いでおかまい無しのていたらくです。
私は最低の男です。
時々二人の女性の話も耳に入ってくるのですが、どうも二人は教職に身があるようです。
この二人の女性も相当飲んでおります。
ところがしばらくして、二人の女性の内一人が化粧室に向かって席を立った時に、残った女性の方から驚くべきことに、この私に向かって話かけてきたのです。
「お客さん、先ほどから、面白い話ありませんかという事なのですが、一つ私の面白い話を聞いてくれませんか」と若い女性から声をかけられて、私は驚きビックリです。
若い女性の話の内容は、以下のとおりです。
その女性は、名前が山崎という人で、今年の3月に武庫川女子大学の教育学部を卒業して、4月から奈良先端技術大学の付属小学校に教諭として赴任したそうです。
そしてすぐに小学1年生のクラスを担当し、そこで初めての「さんすう」の授業をやった時の話です。
山崎先生は、黒板に大きく “1+1” と書いて、
「さー、この答えの分かる人、手を上げて」と、26人のクラスの生徒に問うたそうです。
「ハーイ」と手を上げた生徒は、そのうちの24名。
しかし、2名が手を上げておりません。
ただその2名は、印象がかしこそうに見えただけに、山崎先生は一瞬ふっと不安なものを感じたそうですが、とりあえず挙手した24名の中から、A子を選んで回答を求めると、A子は当たり前のごとくに、「に~(2)です」。
手を上げなかった二名の中のB雄に、山崎先生が「分からなかったの?」と問いただすと、B雄は待ってましたとばかりに、「だってさ、1たす1のイコールは“5-3”もそうだし、“100-98”もそうだし、どう答えていいのか、ボク分からなかったもん」と自慢気味の返事です。
山崎先生、B雄に向かって、「ワー、B雄君ってすごいんだ」と言ったものの、心の中で“無邪気そうな顔をしながらも、やはり、こういう生意気な生徒っているんだ。今からこういう子供と付き合っていかなきゃならないのだから、なめられんように気を引き締めていかなくっちゃ”と思ったそうです。
気になるのはもう一人のC男の方です。
小学校1年生とはいえ、C男の顔つきが、他の25名の生徒と全く違うのです。
山崎先生、武庫川女子大学に在籍の頃に、所属クラブの活動で、よく他の大学に行ったことがあるそうです。
そして私立大学も公立大学も行った中で、京都大学のキャンパスに立った時に、山崎先生はつくづく思ったそうです。
“他の私学の人と違って、京大生の顔つきはそもそも形が違う”京大生のほとんどの顔つきは、鼻筋がピンと立って目線がどこか遠くを見つめている印象が強く、その時に“頭の良い人はそもそも顔つきが違うんだ”と山崎先生は、この時に確信したのだそうです。
まさしくC男に初めてあった時、山崎先生のC男への印象は、小学1年生ながら、そいう京大生の顔つきだったそうです。
だから、山崎先生は、C男はB雄よりももっとひねくれた回答、たとえば2×1とか4÷2とか答えるのかと思って、恐る恐るC男に向かって「どうして手を上げなかったの?」と問うたのだそうです。
幼さの残っているC男は、憮然とした態度で先生に向かって、こう答えたそうです。
「だって、その問題の条件が僕には分からんもん。確かに2という答えもあるのだろうけど、それは十進法が条件であって、二進法だと答えは10だよ」
山崎先生ショックで、その時の「さんすう」の時間をどのようにやり過ごしたのか、未だに思い出せないのだそうです。
奈良先端技術大学付属小学校に赴任して未だ6ケ月あまりの山崎先生、それ以来授業でいつもC男に見透かされているようで、寝ても覚めてもC男の事で頭が一杯になり、その現象が最近では段々ひどくなってきているようです。
そして今では真剣に、6歳になったばかりのたった一人の小学生のために、山崎先生は学校を辞めようと考えているそうです。
真っ赤な顔で酔いがかなり回った山崎先生、度のきつそうなメガネの奥で目をランランと輝かせながら、私に向かって
「どうですこの話、お客さん面白かったですか?」
飲み処Wを出て、近鉄西大寺駅までの間、私は山崎先生の話を頭の中で反芻しながら寡黙でありました。
そして西大寺駅のプラットフォームで二人で電車を待つ間、S社長がポツリとひとこと・・「やられたね~」と。
「え~。話の論点は、すべてつじつまが合っていると思うのですが」という私の言に対して、S社長
「あんさん、かなりのヘビースモーカーやもん。
で、あの二人、相当あんたのタバコの煙をいやがっていたもん。
それで、あんたがよくしゃべっていた“何か面白い話ありませんか”で、見事にあんたをひっかけて、タバコの仕返しをした、というのが今回の本筋。
第一、 奈良先端技術大学の付属小学校なんて聞いたこともないし。
しかしまあ、職が先生に間違いないのだろうけれど、瞬時にこんな話をでっちあげるなんて、大した
玉やねえ~、相当頭いいでえ~。
そしてあんたもこんな話好きなものだから、真剣に聞き入っていて、そばで見ていてかわいらしかったわ。
今頃あの二人、腹かかえてゲラゲラ笑っているでえ~」
もう私の頭の中は、酔いも吹っ飛んで、恥ずかしいやらなにやら自己嫌悪でGURIGURIです。
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