赤い刃を月夜に照らす

 深夜、虫の声しか聞こえない暗闇に動く人影があった。

 それは山小屋の中を静かに歩き、ベッドで無防備に腹を出しながら寝ているジョセフィーヌに近付く。


「魔族との混血だと知ったのに、我を信頼するとは不用心な女だ」


 そう小さく呟くのはドレッド・モーレであった。

 帯びていた剣を鞘から引き抜き、不気味な赤い刃を月夜に照らす。


「魔族が裏切るというのは、昔は常識だったのだがな」


 彼はジョセフィーヌに視線をやった。


「……」


 しかし、時が止まったかのように動けない。

 その寝顔を見て、何か思うところがあるかのように不機嫌な表情になってしまう。


「この女――ジョセはなぜ我をこうも受け入れられる……。どうして紫の血の存在である我を……」


 この山小屋は基本的に一人用なので、ジョセフィーヌが使っているベッドの横に布団を敷いて、少し前までそこでドレッドは寝ていたのだ。

 当然、間には鍵のかかったドアなどは存在しない。

 外で寝ると言っても断られ、ベッドを使えと返される始末だ。

 結果的に、ドレッドが折れて床に布団を敷いて寝るということになった。


 魔族に対してここまで優しくしてくれる人間はそうそういないだろう。

 たとえ魔族の恐ろしさが歴史から忘れ去られても、その肌と血の色や、額から生えた角という外見で差別されるのが当然である。

 本来の人間というのはそういうものだ。

 自らと違う姿のドワーフやエルフを迫害するのと一緒で――。

 故に、異端は異端と繋がりを持っているケースが多い。


「これが我の役目か……カロリーヌめ……」


 逡巡と怒気の籠もった声で言い放ち、ドレッドは剣を鞘に収めた。

 無防備に寝過ぎているジョセフィーヌに布団をかけ直してやり、自らもまた就寝した。




 翌朝――ドレッドの闇を祓うかのように、窓から眩しい陽光が差し込んできていた。

 目を細めながらそれを見ていると遮る影――ジョセフィーヌが仁王立ちしてきた。

 ドレッドは何か昨日のことを感付かれたのではないかと警戒したのだが。


「ドレッドさん! 今日の朝ご飯はわたくしが〝卵かけご飯〟をご馳走いたしますわ!」


 予想外の発言に虚をつかれた。


「た、卵かけご飯……? なんだそれは……」


「白米に生卵をぶち込んだご飯ですわ」


 皇帝の婚約者になった令嬢らしからぬ発言に、まだ夢でも見ているのかという表情を見せるドレッドだった。


「夢の中でもジョセは変な奴だな」


「寝ぼけてらっしゃる?」


 しばらく経っても夢は覚めない。

 ジョセフィーヌが背負っている大きな籠……とその中身も気になる。

 そもそも、生卵を食べるというのは論外だ。

 戦場で他に食べる物がなくても、生卵を食べることはしない。

 付着しているどくで腹を壊すからだ。


「夢じゃないのなら、卵の生食は止めておけ。火を通さないと大変危険だ」


「ふふ、それは身をもって経験しましたわ!」


「食べて腹を壊したことがあるのか、令嬢なのに」


 なぜかジョセフィーヌは自信満々の誇らしげな表情だったが、何が誇らしいのか理解できなかった。


(もしかしてジョセは……すべてを受け入れる寛大さを持つというより、ただのバカなのだろうか……)


「この火食鳥の卵は、近くにある溶岩地帯で産み落とされて耐火性があるので、生で食べても大丈夫ですの!」


「火食鳥の卵……? 溶岩地帯……?」


「ドレッドさんが寝ている間に、早朝産み落とされたのを回収してきましたわ」


「危険なコカトリスが生息する洞窟といい、ここは地獄か」


 普通の人間にとっては地獄かもしれないが、ジョセフィーヌにとってはトレーニングもできるし食材も確保できる天国に違いない。

 赤い火食鳥の卵を、鼻歌を歌いながら皿に割り落としている姿から、そう想像できた。


「さぁ、これが〝追放後の悪役令嬢風・卵かけご飯〟ですわ!」


「前後のミスマッチ感」


 そう言いつつも、ドレッドは卵かけご飯という物に興味があった。

 卵を生で食べるには大変な手間がかかるが、溶岩で殺菌されていれば問題はないだろう。

 長生きの楽しみの一つが料理や食事になってきているが、こういう高ランクのモンスターを食材とするのは珍しい。

 運び込まれた物資の中にあった、ドワーフ豆から作った黒い液体調味料をかけて頂く。


「これは……パエリアなどとはまた違う、生の卵の旨さが米とよく合うな」


「でしょう!? 卵をかき混ぜたのも、米を炊いたのもわたくし! 立派なお料理! これで昨日の借りを返しましたわ……!」


「この山は面白い食材が多いんだな……トレーニングの楽しみが増えたかもしれない」


 ちなみに筋トレは食事制限をしなければいけないというイメージがあるのだが、暴飲暴食レベルでもなければキチンと食べた方がいい。

 身体を作るのにはタンパク質以外の様々な栄養もいるし、プロのボディビルダーのような極限までの見せる筋肉でもなければ、ある程度は脂肪がなければ日常生活に差し支えるからだ。

 戦場を駆ける騎士ともなれば、兵站が滞ったときのことも考えておいた方がいい。


「そういえば、ジョセは他にどんなものを作れるんだ?」


「野菜をちぎってサラダを作れますわ」


「そ、そうか……」


「あ、なんですの……その残念そうな者を見る目は! ドレッシングも作れますわよ! さすがに肉と違って、野菜はそのままでモッシャモッシャ食べても味気がなかったので!」


「よし、今日からジョセはサラダ担当。我は他の料理を作る」


「キーッ! 今に見てなさい! 絶対に料理のレシピを盗んでやりますわ!」


「それなら我は、ジョセから筋トレ方法を盗むから――おあいこだな」


 こうして混血魔族と筋肉令嬢の、奇妙な筋トレ共同生活の二日目がスタートしたのであった。

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