混血の魔族

「みっ、見るな! 近寄るな! 人間!」


「えっと、石鹸と新しいタオルを置いておきますわ。では、ごゆっくり」


 見られるのが嫌らしいので、ジョセフィーヌはそそくさと退散した。

 そして、風呂でのドレッドの姿を思い出す。

 黒い鎧とは対照的に青白い肌をしていて、かなり若かった。

 紫髪の青年……いや、少年という感じだろうか。

 顔はまだ幼さを残していて、どこか仔犬を思わせるような雰囲気がある。

 特徴的なのは、その尖った耳と、額から生えた小さな二本の角だ。


「うーん、エルフ……? は耳が尖っていますが、角はありませんわね。見たことのない種族。まぁ、本人が隠していたのなら、触れないでおいてあげるのが良さそうですわ」


 大らかなジョセフィーヌは気にせずキッチンに移動。

 コカトリス肉の下準備をし始める。

 包丁を使い、巨大な固まりから、食べる分だけ切り出していく。

 そうしている内に、風呂から上がったドレッドがやってきた。

 もう黒鎧は着けていない白シャツの状態だ。


「あら、もう上がってしまったの?」


「人間、我の姿を見て逃げないのか……?」


 ドレッドは物凄い剣幕で睨み付けているが、今の少年の姿だと威圧感はそこまで感じられない。


「なぜ逃げる必要があるのかしら?」


「ククク……そうか。我のことを理解していないだけか。外見を誤魔化していたのが馬鹿らしいぞ……。いいか、よく聞け。我は魔族だ」


「ま、魔族……!?」


 さすがのジョセフィーヌでも聞いたことがあった。

 過去、人間を滅ぼそうとした種族で、勇者と敵対していた存在だ。

 もはや神話に近いような過去だが、今でも各地にその痕跡が残されている。

 ジョセフィーヌはワナワナと震えた。


「ど、どうしましょう……。魔族さんって、鶏肉は食べられるかしら……? 明日からのトレーニングも人間向けのままで平気なの……!?」


「いや、ちょっと待て」


 意味深な含み笑いをしつつ眉間にシワを寄せていたはずのドレッドは、ひどく冷静に突っ込んだ。


「我は魔族だぞ。もっと恐れるとか……」


「恐れる? なぜドレッドさんを?」


「いや、だから我は実は魔族で……正確には混血だが……」


 ジョセフィーヌはキョトンとした顔で答える。


「私も、私の周りの方々も魔族さんが悪いことをしているのを実際に見たことがないし、そもそも過去の出来事すぎて……」


「そ、そうか……もしかして、寿命の短い人間は意外と気にしていないのか……」


「それにドレッドさん本人が悪いことをしたのですか? そうでなければ、種族なんて関係ないですわ。食べ物の好みや、トレーニングが適切かというほうが百倍大事!」


 嘘偽りのない言葉に、ドレッドは眉間のシワを緩めて諦めの表情になった。


「変な人間だな……」


「先ほどから人間人間・・・・とお呼びになっていますが、わたくしはジョセではなかったのですか?」


「わかった、我の負けだジョセ。確かにお前にとっては彼我ひがの種族なんぞより味の好みの方が大事そうだ。我の好きな物を伝えよう……って、その鶏肉はどう料理するのだ?」


 ジョセフィーヌがダンダンダンダンと包丁でぶつ切りにしている鶏のささ身を見て、ドレッドはコミュニケーションのとっかかりとばかりに優しく問い掛けた。


「塩をかけて焼きます」


「他は?」


「身体に取り入れて良質なタンパク質へと――」


 お嬢様であるジョセフィーヌは、普段は自分で料理はしてこなかった。

 そのため、ひとり暮らしの部分は未だに手探りで発展途上なのだ。

 最初は生肉や木の皮を囓っていたので、焼いたり塩をかけたりするというのはかなり進歩している。


「……という感じでわたくしの料理の腕はメキメキと成長してきているのですわ!」


「ワイルドすぎだろう悪役令嬢!!」


 ドレッドは両手で頭を抱えたあと、深く溜め息を吐いた。


「ったく、今日は我が料理してやる。ジョセはそこで座って見ていろ」


「ふふん、知っていますよ。殿方は料理が苦手で、下手の横好きというやつが多いのですわ」


「ほざけ」


 ドレッドはまず、散らかり放題だったキッチンを整理し始めた。

 同時に山小屋にある調理道具や調味料、蓄えられている食材などをチェックしておく。


「……山小屋のクセにやたら調理道具や調味料が豊富だな。使われた形跡がないが」


「ギクッ」


 思わず擬音を口に出してしまったジョセフィーヌ。ベルダンディーから色々と説明を受けたはずなのに全く覚えていない。


「ほう、最新トレンドの蒸し器まであるな」


「虫木?」


 昆虫料理でも作るのかな? とジョセフィーヌは素で思った。


「脂質の少ない料理を作ればいいんだな?」


「あっ、はい。良質なタンパク質さえ取れれば筋肉が喜ぶ感じですわ」


「ならば、舌も喜ばせてやろう」


 ドレッドはグイッと腕まくりをして、男性特有の筋張った上腕を見せて気合いを入れた。

 放置されていたエプロンを装着して、腰の前の所で紐を結ぶ。


「こ、これは……!?」


 そこからは嵐のようだった。

 最初に整理されたキッチンは計算されて物が置かれていたのか、ドレッドの手が迷いなく動いていく。

 一瞬のうちに洗われる食材で水しぶきが弾け、適切に包丁で切られ、調理道具がぶつかる音がリズムを奏で、芳醇な香りが正座のジョセフィーヌを襲う。


「思い……出した! 昔、入ってはいけないという屋敷のキッチンに忍び込んだとき、プロの料理人がこんな感じでしたわ……!」


「我は見た目以上に長く生きている。自ずと料理の腕もそれなりになる」


「そ、それなり……!?」


 火を通して、塩をファサァッで上達したと思っていたジョセフィーヌの自信は粉々に撃ち砕かれた。

 しばらく放心状態でいると、テーブルに料理が運ばれてきた。


「今日は手早く鶏の香草蒸し、サラダ、川魚のすり身を入れたスープだ。ライ麦パンは最初から用意されていた、有り難いな」


「ふぁああ……」


 食卓に載せられた皿は彩りが美しく、ジョセフィーヌの目はキラキラと輝いていた。

 この山小屋に来て数ヶ月、こんな美味しそうなものは見たことがなかったのだ。


「お、おっと……この悪役令嬢であるわたくしが食事程度で懐柔されてしまうところでしたわ……」


「懐柔ってなんだ」


「しかし、見た目がよくても実際に食べて判断するのは筋肉ですわ! 筋肉を喜ばせない限り、わたくしも喜びません……! で、食べていい!?」


「そうだな。今日は動きすぎて腹が減った。喰おう、頂きます」


「頂きますわ!」


 ジョセフィーヌはフォークが曲がるような握力で掴み、蒸し鶏に突き刺した。

 スッと奥まで通る。

 この時点で予感がした。

 いつもの焦げ跡が付いた鶏のささ身より柔らかいのだ。


「もしかして、生?」


「そんなわけあるか」


 生肉の怖さは知っているので、恐る恐る口に運び入れる。


「ん!」


 香草の良い香りが渦巻き、舌に鶏の表面が触れるだけで濃い旨みを感じる。


「んん!!」


 思わずアゴが動き、鶏肉を一噛みする。


「んんん!!!」


 鶏肉とは思えないほどの柔らかさと、洪水のように溢れ出てくる肉汁の旨み。

 まるで良質なハムを食べているような感じすらある。


「んんんんんーッ!!!!」


 ジョセフィーヌの身体中の筋肉がビクンッと脈動した。


「美味しい! 筋肉が美味しいと言っていますわ!」


「食事のリアクションでそれは初めて見たぞ……」


 ドレッドは引き気味になりながらも、料理を褒められてまんざらではなさそうだ。


「脂質、栄養、彩り、タンパク質など考えたらこうなった。トレーニングで世話になるんだ。これからは毎日、我が料理を作ってやってもいいぞ」


是非お願いしますわせひおなひゃいしまふわ!」


 食事によって筋肉をコントロールされているジョセフィーヌは、リスの食事のように頬を膨らませながら答えていた。

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