第二章
天才芸術家の苦悩には筋肉トレーニング
人々が往来する大通りで、ジョセフィーヌは静かに佇んでいた。
ここはいつもの山奥ではなく――
「……なぜ、わたくしが王都に舞い戻ってきていますの」
「ふははは! なぜだろうな!」
ジョセフィーヌの横を歩くアースは、いつものように元気だ。
今日は伊達メガネをかけていて、ほんの少しだけ知的に見えなくもない。
そして、ジョセフィーヌの格好は――
「王都を追われる身でありながら、わたくしは鼻眼鏡というふざけた格好……」
「なんでも似合うぞ、ジョセフィーヌ!」
「……コイツに向かって、筋トレの成果を右ストレートに載せてみたくなりましたわ」
しかし、王都ともなれば結構な人目もあるので、アースをぶん殴ることもできなかった。
なぜこんなことになったかというのを――ジョセフィーヌは大道芸人のような鼻眼鏡を付けながら、小さく溜め息を吐いて思い出していた。
***
それは数時間前――まだ早朝のことだ。
いつもの山奥の小屋に、やかましい男の声が響き渡る。
「ふははは! おはようございます、俺が来たぞ!」
「相変わらず、うるっさいですわね……今、何時だと思っていらっしゃるの……」
小屋の戸を開けて出てきたパジャマ姿のジョセフィーヌは、片手にナイトキャップを持っていた。
普段は
開いた戸からそれを見てしまった来訪者の男――アースは思わず息を呑んでしまった。
「かわわっ……」
「かわわ?」
アースは『かわわわわいい』と壊れたように叫ぼうとしてしまったのだが、その言葉を尋常では無い精神力で飲み込んだ。
「……川ワ……ニと猪の肉、どっちが好みだ?」
「モンスターの肉ですわね」
「そうか! ははは!」
再び豪快に笑い出すアースに対して、もうこのテンション高い男に慣れてしまったジョセフィーヌであった。
アースとの出会いは数ヶ月前――
初めて小屋に尋ねてきた人間ということもあって、それなりに仲良くなってしまった。
アースはそれからも、なぜか度々尋ねてくる始末だ。
今の関係的には友達……くらいだろうか。
趣味がトレーニングなので、そこだけは気が合う感じだ。
「アースさん、今日もトレーニングしていきますの?」
「そうしたいのは山々だが、今日は頼みがあって来たのだ」
「……頼み」
ジョセフィーヌは、つい先日のことを思い出していた。
アースの紹介でやってきたという魔法使い――グランツだ。
つまり、今回もそういう頼みだろう。
「また誰かここに筋トレしに来るんですの?」
「いや、そうではない。今度は俺と一緒に出向いて欲しいんだ」
「まぁ、トレーニングする以外は暇なので別にいいですわ。あ、遠くにお出かけするなら、物資を運んできてくれるあの子に置き手紙でもしておかないと……」
食料や日用品などを山奥まで運び込んできてくれるジョセフィーヌの家の者が、空の小屋を発見したら驚いてしまうためだ。
「それで、どこまでお出かけするのかしら?」
「王都だ!」
「……は?」
***
「……というわけで王都まで
ジョセフィーヌが追放された小屋は、位置的には西の帝都、東の王都と挟まれた位置にあった。
事情があって、未だにどちらの領土でもないらしい。
その小屋から、二人は走ってやってきたのだ。
もちろん、それなりに距離があるので普通は徒歩で数日、または馬を使って移動したりするのが当然だ。
それを――
「ははは! 良いトレーニングになっただろう?」
「まぁ……それはたしかに……」
馬のような速度で、しかも休み無く二人は走り続けたのだ。
ジョセフィーヌだけではなく、アースも尋常ではない身体能力を持っていた。
「でも、さすがにこの鼻眼鏡は……」
「こんな見た目でもグランツが作ってくれた高性能な魔道具だ。実際に誰もジョセフィーヌだと気付いていないだろう?」
関所にいたはジョセフィーヌと顔見知りの兵だったが、たしかに気付いていなかったようだ。
ちなみに身分証や通行許可証はアースが偽造してきている。
「う……たしかに、わたくしはとある理由で王都から追放されましたのですが……。でも、わたくしがオモシロ鼻眼鏡で、アースさんが普通の伊達メガネってどうなんですの!?」
「それは我が親友に言ってくれ。あいつは性能さえ満足すれば、他の細かいことは気にしないからな」
「……むぅ」
まだまだ文句を言いたいが諦めた。
ジョセフィーヌは気分を切り替えて街並みを眺める。
もう二度と戻ってこられない場所だと覚悟していたのに、こうもあっさりとやってきてしまった。
懐かしさで胸が一杯になってきた。
ここまで導いてくれたアース、彼は不思議な男である。
「まぁ、頼みのついでとはいえ再び王都を見られたことは……感謝……していますわ」
「え? なんだって?」
「だっ、だから、ありがとうと……」
「おっと、強風が吹いて声がかき消されてしまったぞー」
「絶対に今、聞こえてましたわよね!?」
「ははは!」
「こ、この男は……」
ジョセフィーヌには彼が付きまとってくる理由もわからないし、実はただ本当におちょくってきているだけなのかわからない。
ただ、悪い人間ではないとは思っていた。
「はぁ……それで、ここに来た目的はなんですの?」
「それはだな――悩み多き天才芸術家を帝国側に引き抜きたい」
「わたくしが役に立つのですか?」
「まぁ、いつもの筋トレでなんとかなるんじゃないか? ただし、このメガネの効果が続く時間は三日だ。それまでにやり遂げないと、第二王子トリスの婚約者――カロリーヌと鉢合わせになる」
「か、カロリーヌですって!? それに三日……筋トレの効果を出すには不可能な時間ですわ!?」
「では、レッツゴー♪」
ジョセフィーヌの抗議を聞かず、アースはその手を握ってどんどん人混みの中を進むのであった。
「もう……話を聞かない人ですわ……」
今まで感じた事のないゴツゴツした男らしい手の感触に、少しだけ頬を赤らめてしまう。
(男性の方と二人きり……これってもしかして、デートというやつ――いえ、アースさんがそんなことを思っているわけないですわね)
もちろんアースはメチャクチャ思っていたが、口には出さなかった。
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