スランプ魔法使い君、筋肉を鍛える

 ジョセフィーヌは恋をしていた。

 頬を朱に染め、目をトロンとさせて〝彼〟を間近で見ている。


「この艶やかな肌……」


 彼の表面をそっと指で撫でる。

 スベスベの心地良い手触りを感じる。


「ここなんて丸くて可愛いわ」


 ツンとつついて彼の反応を楽しもうとするが、クールなので無反応だ。


「それに、この重さ・・……ふんッ!」


 ジョセフィーヌは顔を真っ赤にしながら、半年は付き合っている彼――20kgの鉄球を持ち上げていた。

 ずっと山奥の小屋で一人なので、鉄球に話しかけるという悲しいスキルを獲得していたのだ。


 それでも、昨日やってきた元婚約者のトリスと話すより百倍楽しい。

 ちなみに鉄球を普通に持ち上げるのは慣れてきているので、今やっているのは瞬発力重視で一分間に何回持ち上げられるかというトレーニングだ。

 まずはスローペース、一分間に60回で慣らしている。


「……そういえば、トリスよりも前にやってきた自称〝大帝国の第一皇子〟さんは元気かしら」


 数ヶ月前、鉄球でトレーニングしていたところに現れた彼は、よくわからないが腰を抜かしていた。

 モンスターに追われていて、逃げた先でジョセフィーヌに出会って安心でもしたのだろうか?

 そこから彼はたまにやってくるようになってきて、他愛もない話をするのだ。


「まぁ、本物なわけないですわよね。山奥に来るような暇人ですし、トレーニングの邪魔ですわ」


 今はいつものように一人なので、トレーニングに集中できる。

 ジョセフィーヌは雑念を捨てて、一秒間に一回のスローペースで鉄球を上げ下げしていく。

 筋肉に興が乗ってきて速度を上げ、風圧がソニックブームのように周囲に影響を及ぼしている最中――突然の来訪者がやってきた。


「ひ、ひぃぃぃ! モンスターが! もうダメだ!!」


 それが彼の第一声だった。

 換気のために開けっぱなしになっていた戸から、いかにも魔法使いという格好をした、栗色の髪の青年が見えた。

 なぜか驚愕の表情で尻餅をついている。

 何やら見たことのあるパターンだ。


「え、モンスター? もしかして、モンスターに追われていらっしゃるの?」


 ジョセフィーヌは疑問符を浮かべるが、青年が指差している方向に気が付いた。

 それはジョセフィーヌ――つまり鉄球トレーニング中の姿をモンスターと勘違いしてしまったようなのだ。


「まぁ、失礼しちゃうわ」


 ジョセフィーヌは鉄球をポイッと捨てて、青年の方に近付いた。

 背後では鉄球がドゴォッ――と凄い音をたてて地面にめり込んでいる。


「よっぽど混乱しているいらっしゃるのね、平気かしら?」


「ひぃっ!? 喋るヒューマンタイプのモンスター! ボクのデータによると、それは上位魔族と呼ばれる存在で、神話で人類を奴隷に――」


「落ち着きなさい、どこからどう見てもわたくしは人間ですわよ?」


「えっ、人間……本当に? だって鉄球をあんな速度で……」


「本当に本当ですわ。もう、失礼な方ね。鉄球だってたった20kgで……って、あら?」


 ジョセフィーヌが鉄球の数字を見ると、今までの20kgではなく〝40kg〟という表示になっているのに気が付いた。

 それは些末なことなので、とりあえず腰を抜かして起き上がれない青年を片腕で抱き上げて、お茶でも用意することにした。




「実はボク、幼なじみのアースに言われてここにやってきたんです」


「アース? ……あー」


 ジョセフィーヌは思い出した。

 あのたまにやってくる自称〝大帝国の第一皇子〟が名乗っていた名前である。


「アース、はいはい。あの自称〝大帝国の第一皇子〟の彼ですわね。幼なじみにまで名を騙らせるとは、随分と図太いメンタルをしていますのね……」


「いや、自称じゃなくて本物だけど……。って、それはどうでもいいんだ。ボクの名前はグランツ。実は最近スランプで魔法が使えなくなってしまって……」


 ジョセフィーヌは目の前の青年――グランツを観察した。

 杖を持ってローブ姿……どう見ても魔法使いで、体格もスリムタイプだ。

 瞳に生気は薄く、頬が痩け気味になっている。

 食事が喉を通らないのだろうか?


 このような相手が自称〝大帝国の第一皇子〟――アースの紹介で、うら若き女性であるジョセフィーヌの所にやってくるということは、たぶんアレであると察した。

 大丈夫だ、酸いも甘いも知り尽くしていて、そういうことには多少自信がある――とジョセフィーヌは胸を張った。


「つまり恋煩いで! 魔法が使えなくなってしまったというロマンチックなシチュエーションを! このわたくしが恋愛相談に乗って解決する――ということですわね!?」


「いえ、筋トレしてこいと言われました」


「はい?」


 ジョセフィーヌは身体が斜めになるレベルで首を傾げた。

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