マロの代わりに数えてもらいたい

 城襲撃を分散して行うという考えは、ダンが発案したものだった。


 理由は確実性をとるため、偽の姫が城にいることは城下町で話を聞けばほぼ確実に思えた。そしてリーアがどこに攫われているかを確実に知っているのは彼女であり、取り逃がさないよう、囲って襲おうとの考えだった。


 つまりは逃げ道を塞ぐための分散、表門と裏門からの挟み撃ち、しかし四人はもう一つ、リーアが脱出した非情出口があるのを知っていた。


 それを見つけ出すのに難儀した。


 リーアは追われる身になりながらセキュリティーだなんだとその具体的な場所を口にしてなかったが、それでもヒントは沢山残ってはいた。


 朝食の時間から城を抜け出しあのレストランまで逃げてこられるだけの距離、非常時ならば人気の多い場所は避けられ、かつ略奪の起こりえる場所でもない。城の建築とほぼ同時期に作られた場所で、ちゃんと国が管理している場所、ともなればおのずと場所は限られてきた。


 そうして目星をつけたのは『聖剣広場』の、人気のない場所、観光客も寄り付かない、あえて人気の無いようにしている場所、と探し回って見つけたのが花畑だった。


 わざわざ看板まで付けて、覗いて見れば花はあっても畑ではなく、ただ雑草を放置しただけの一区画、ご丁寧にあれするなこれするなとの禁止の看板に、入口らしき通路から伸びる石畳の道、まっすぐ丁寧に並べられた真四角の石が一つ、目に見えてずれていた。


 ひょいとめくれば地下通路、やっと見つけたころには一日が終わっていた。


 それから誰が入るかで揉め、灯りの準備に揉め、それから襲撃のタイミングをどう合わせるかで揉めた。


 ……突入前から相応に苦労しながらもダンは安物の蝋燭片手に奥へと進む。


 入ってからずっと続く石の床に天井に、先の見えない闇、裸足の足音さえも響く暗闇の中、ダンの表情に恐怖は無く、それどころか何かを考えている風には見えなかった。


 そうして、少しカーブしているな、ぐらいの変化の無い通路を進み続け、ようやく出くわしたのは木でできた壁、そっと触れると動くようで、蹴り破ると別の灯りが差し込んだ。


 タンタンタンタンタンタンタンタン。


 同時に、心地よいリズムが耳に届く。


 室内、地下室、低い天井に沢山の灯り、壁際には木で作られた武具の数々、地面は土むき出しで、開けた中央に吊るされた大きな袋、サンドバックを一心不乱に殴る男の姿があった。


 その姿、ダンには見覚えがあった。


 名前はトビ、相変らず血色悪く、ひび割れた肌、艶の無い髪、そして今だからわかる、生気のない眼差し、服装はあの時と同様に、実は白かったトランクスと両手拳に巻き付けた包帯だけだった。


 変わらぬ姿、前と同じ、その前とも、恐らくいつもこの格好なのだろう。


 その姿、ダンが目にしたのは、実はこれが三度目だった。


 手合わせしたのが二度目で、一度目は見たと言っていいのか、ポスターに描かれた姿をチラリと見たことがあった。


 この国に着てすぐ、どこかのレストランに張られていたのをチラリと見ただけ、文字もちゃんとは読んではないが、辛うじて『ボクシング無差別級統一王座』との肩書だけは読み取れた。


 文字の意味をそのまま受け取るならば、この男はボクシングと言う格闘技の中で最も強い男、となる。


 敵ではない、が一度目の感想だった。


 余裕で勝てる、が二度目の印象だった。


 うっかりしなければいけるいける、が三度目の今だった。


 タン。


 サンドバックを殴るのを止めるトビ、軽く乱れている呼吸、だけどもその肌に発汗は無い。


 それは水分不足だとダンは察し、そしてそれは狙ってのことだともわかっていた。


 極限まで体重を軽くするための渇き、そこまで体を追い込むストイックさ、武道における求道者としての姿に、ダンは珍しく表情を引き締め、蝋燭を置いた。


 タン。


 胸の前で左手に右の拳を当ててのお辞儀、経緯の表れ、ダンの誠意にしかし洗脳中のトビは気が付けず、吊るした袋を背に、影を乗せながらすぐさま構えを取った。


 拳を固め、左半身を前に突き出し、重心は前に、軽く跳ねる姿勢、ボクシングスタイル、より細かく見えるのはダンが落ち着いているから、トビの構え自体はあの時と同じ、それだけ鍛錬を重ねてきた証でもあった。


 対するダンもまた前に数歩出て構える。


 右足はまっすぐ前に出し、左足は曲げて腰を落し、肘は曲げて顔の横に両手を並べて人差し指中指立てた拳の、独特の構え、蟷螂拳、だが今の構えには揺れがあった。


 腰より下は微動だにせず、だけども上半身は常に揺れ続ける、それも体と揃えた両手で微妙にリズムの狂った二つ、並ぶ時もあれば離れる時もある。そこに独立して動いていない顔、滑稽に見える動きは実のところ高度な視線誘導、手と体の動きに合わせて足を素早くこっそり動かすことでいつの間にか距離を詰めていく。


 幻惑の動き、高等技術、だけどもあの残り三人からは馬鹿にされる蟷螂拳の奥義、だけどもそれは洗脳の影響か、ためらいなくトビは進み出る。


 すぐさま潰れる間合い、先に仕掛けたのはダンだった。


「ヒョイ!」


 間抜けな掛け声と共に繰り出したのは蹴り、それも小さく細かな下段、足首狙いのこすい攻撃だった。


 ボクシングの足技がないのを知ってての、それだけ本気の一蹴りを、トビはまるで飛んでいるかのように背後へホップ、着地と同時に今度は前へとステップ、慌てて防御に両手を交差するダンの顔面へ左のジャンピングパンチをめり込ませる。


 ガチリとなったのは打ち合った牙と牙、脳内に響く嫌な痛みを感じながらもダンの反撃、左手二本は喉元に、裏返した右手二本はわき腹に、左右同時の突き攻撃、挟み込む。


 が、しかしトビこれを曲げてた左腕を上下させ、左手を拳で、右手を肘で叩いて潰し、さらに開いた両手の中へ、裏拳飛ばしてダンの顔面へカウンターをかます。


 速い。


 ふらつき、目まいを覚えながらもダン、頬を歪めて笑う。


 ……トビの速さは純粋な移動の速さではない。反応の速さだった。


 見慣れぬ構え、幻影の動き、実は隠されていたフェイント、実はそれらに引っ掛かっておきながらなおダンの動きを読み切り、当たるように拳を置ている。


 優れた動体視力に加えて歴戦の経験値がなせる先読み、それに追いつけるよう極限まで軽量化した体、だというのにその拳は重い。


 それなりに頑強さにも自信があったダンだが、たった数発の拳で頭がぐらつき、口の中が血なまぐさい。


 大ダメージ、回復のための時間稼ぎ、苦し紛れに口の中の出血を霧にし吹きかけるもそれさえも軽々とバックステップで全て回避される。


 霧が土に落ちてからそれを踏み越え戻るステップ、これにダンは外見も蟷螂拳も捨てて両手で頭を守り、全力でバック走、無理やり距離を作った。


 そうしてできた間合い、できた時間に、ぷーと息を吐く。


「これは、謝らなければならないな」


 ダンの弱気な発言に、だけどもトビに変化は見られず、ただ構えを正して間合いを詰めてくる。


 迫る強敵、前にして、ダンは皮肉に笑う。


「すまなかった。正直学ぼうと、手を抜いていた。だが、これからは本気だ」


 そう言ってダンは、改めて構え直す。


「ただ、一つだけ頼みがある。どうかマロの代わりに数えてもらいたい」


 そう、呟くと、ダンの雰囲気が一気に変わった。


 その変化を前にトビの前進が止まる。その表情は未だに洗脳の中、あくまで無表情、だけども前屈だった構えから重心を後ろへ、防御にずらした構えから、警戒を強めたと見てとれる。


 そうさせるのは、ダンの表情、三人とリーアには時折見せていた、あの間抜け面だった。


 半開きの口、うつろな目、耳まで凭れて、そこには理性も知性も、恐怖どころか緊張感すら残っていない。


 それを、戦いの最中に、意図して見せられる姿は、洗脳されたトビさえも一歩引かせる狂気があった。


 そう思われていることさえも理解できていないであろうダンは、それでも両手を上げる。


 だらりとただ立っているだけの両足、過剰に曲げた両肘に肩の高さにある両の拳、その指はこれまで見せてきた蟷螂の形ながら人差し指と中指はそろっておらず、それどころか残る三本も力なくほどけている。


 構え、と呼ぶには憚られる格好に、だからこその狂気があった。


 そんなダンと対峙し数瞬、トビが動く。


 華麗なるステップ、駆動する肩、伸びる肘、放つのは左のジャブ、パンチを構成する最低限の動きだけで作られた、格闘技最速の攻撃だった。


 上級者が格下と戦う際も当たる、当てられるのが前提の攻撃、それだけ早い打撃、ましてや放つのはトビ、チャンピオンの一撃、それよりもダンの方が早かった。


「ほあちゃ!」


 奇声と共に走るダンの蟷螂の手、その中指と人差し指が、まるで本物の鎌が麦を刈るように弧を描き、迫るジャブを引っ掻け弾き飛ばしていた。


 偶然と呼ぶにはあまりにも的確なカウンター、ボクシングでは想定してない部分へのダメージ、それも出血を伴う一撃受けて、トビは引いた左手と共にバックステップで一歩分退く。


 けれどダンはそれを許さない。


 退いた一歩分だけピタリと一歩分、進んで距離を変えさせなかった。


 それでもとトビは更にステップを重ね、目まぐるしく逃げ回るも、だけども逃げられなかった。


 それら全て、まるで事前に練習を重ねてきたダンスのようにぴったりと、同じタイミング、同じ距離、つかず離れずにダンはいた。


 躓きにさえついてくるこの動きは先読みではない。これらは完全に、見てからの反応、その速度が尋常ではなかった。


 それに動揺があったのか、トビは右の衝撃にステップが止まる。


 思わず振り向いた先にはサンドバック、逃げるのに夢中でぶつかった諸具合仏、そして正面向いた時には、もう詰んでいた。


 ヴォン!


 様々な音が一音に重なり、凝縮された重低音、鳴りやんだ時には終わっていた。


 トビ、咄嗟に固めたガードの上、ありとあらゆる関節部分と内側柔らかい部分、ほぼ同時に浮かび上がる数多の内出血、無表情を崩す間も与えられずに吐血し、どっと倒れた。


 それと同時に隣に吊るされていたサンドバックからトビの影が退くと、その影の輪郭に沿うようにいくつもの穴が穿かれていた。


「ここまで、無駄が、多いとは、マロも、まだ、まだだな」


 倒れたトビを見下ろすダンの表情には知性が戻るも、その呼吸は乱れ、そして一気に汗が噴き出していた。


「恥じる、ことは、ない。貴殿を、破った、マロは、立派な武人、そして穿ったのはマロ奥義だ。人は物事を意識するのにも時を有する。そしてそれが必ずしも正しいとは、限らない。故に会えて意識を眠らせ、無意識に身をゆだねる。無我の境地、というものだ」


 大きく息を吸って、吐き出すダン、そして改めてトビを見下ろす。


「名を『白心』と言う。ただ見ての通り、思考が跳ぶため見境が無くなる。集団では使えないのだ」


 そう言い終わるのを待っていたかのように穴だらけのサンドバックが千切れて落ちた。


「……あの連れ共やリーアは、マロが普段はぼんやりしているだけに見ているようだが、実際は高度な鍛錬なのだ。貴殿なら、真実だとわかってもらえるだろ?」


 そう言い返し、返事を待たずにその場を立ち去ろうとする。


 ……見渡すダンの目には、出口が見当たらなかった。






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