ただの一滴が大海を覆す

「これだけで、いくらかけてるんですかね」


 思わず賢い単語を忘れて溢すマルク、そっと城壁に指を這わす。


 灰色の石を両手でやっと抱えられるかぐらいの大きなブロックに切りだし、整形し、間に粘土を挟んで積み重ねたオーソドックスな造り、だけども問題は石そのもの、表面に目を凝らせば煌く粒子、触れると冷たい感触に独自のピリリとした感覚、この石にはミスリルが含有していた。


 ミスリル銀、軽くて丈夫で、金よりは多いが銀よりは少ない貴金属、その最大の価値は魔力を弾く性質にあった。その効果は絶大で、純ミスリルでなくメッキ加工であっても目に見えて魔法攻撃を散らし、緩和できる。


 当然、身に着けていると魔法の出も悪くはなるが、それを気にしない金持ちの騎士などはこれで作られた鎧甲冑が一つの人生の目的とも成りえていた。


 そのミスリルが含有した石のブロック、砕いて溶かして抽出すれば一つでコイン一つ分ぐらいは取れるだろう。


 それがずらりと、上まで積み重ねられている。


 その価値、外周だけでも中の城が二つは買えるお値段、べらぼうに高かった。


 そんなお宝のような石を城壁に使う理由はただ一つ、防衛のため、魔法攻撃への備えだ。


 石造りの城がいくら頑強とは言え、動かなければただの的、時間と魔力をこめた攻撃魔法を何度も受ければ個人の力だけでも破壊は可能だった。


 そのための対抗策として結界を張ったり、撃たれる前に先制攻撃したりと色々ある中でのこの金にものを言わせた造りは、下品だが確実でもあった。


 実際、マルクの魔法で破壊は不可能、触手を這わせることも難しい。


 ただ、だからといって突破する手段がないわけではなかった。


「あまりこの手は使いたくないのですが」


 城壁に背を向け、代わりに向かいの建物、ミスリルではないただの石でできた壁に向かうとそっと触れ、そして呪文を詠唱する。


「Detta är den mest effektiva metoden」


 周囲にはそこそこの通行人、そこそこの人の目がありながら通報するものも妨害するものも現れず、呪文はどなくして完成した。


 にゅるり、水の触手が二本、生えたのは壁の上の方、指示する間もなくシュルリと折りて伸びて、マルクの体に巻き付いた。


「Gör det snabbt」


 最後の一言、加えると触手は一瞬うねったかと思えば、そのまま捲るの体を上空へと放り投げた。


 加速の重圧にずれる眼鏡を押さえながら、たどり着いたのは城壁の遥か上、重力が消える一瞬の後、落下する。


「Vik in och dölj för att skydda kroppen」


 次の呪文、触手が生えたのはマルクの背中、そこからシュルリと前に流れて、その身を包み隠して毛玉とする。


 どちらも水触手の応用、それ相応の魔力と技術が必要なさりげない高等魔法、だが実際はやぼったい肉体労働もどき、この神髄を理解できない無能に笑われるのは、それはそれで苦痛ではあった。


 しかし、今回は笑うものはいない。


 べちょり、城壁上の通路に着地と同時に毛玉、粘土のように柔らかく変形して衝撃を吸収、ミスリルに弾かれ霧散しても中のマルクは無事だった。


 ……城壁突破、マルクが選んだのは恐らくは姫がいるであろう玉座への最短ルートだった。


 表門だろうと裏門だろうと、相手が想定しているルートをたどっている段階で負けみたいなもの、真の強者は己で道を作る、との便を賢い単語と共に並べた有言を実行したに過ぎなかった。


 そうしてのぼった上にはまばらな見張りの弓兵、騒がれるかと思ったが反応が鈍い。


 まさかの侵入者に反応できてないのは洗脳の影響下故、これはいつかの吸血鬼と同じ状況だった。


「邪魔です平均値」


 思い出した賢い単語に続いて更なる呪文、詠唱に従い背中に触手が三本、ぬるりと生えてうねり、そして薙ぎ払った。


 応用でも何でもない、ただ生やした場所を変えただけの凡庸な魔法、むしろ土台が不安定なだけ打撃力は劣る。


 それでも、今更弓を構える洗脳兵など敵ではなかった。


 右へ左へ、ケルズスよろしく振り回すだけで難なく倒せるどころか、刷っ転んだだけで気絶か、あるいは戦闘不能となっている。


 手応えの無さ、弱兵の束、洗脳の影響下かと疑問に思っていた矢先、触手の一本が弾き斬られた。


 不可視の攻撃、飛び散る水しぶきから方向を推察、外の城壁と中の城壁を結ぶ空中廊下、そこを渡ってくるローブを羽織った、それでも隠し切れないでっぷりの腹、見覚えがあった。


 スノーノイズ、あの時以来の出会い、名前と魔法しか知らない相手、だけどもマルクはその正体にある程度感付いていた。


 ……魔法文化全盛の時代、アーティファクトを用いなくとも、そこに才能の差異がるにしろ、誰でも使える技術にまで昇華されていた。


 火を点ける。水を出す。風を流す。病を癒す。


 それらを学び、鍛え、習得するほどに魔法使いとしての恪というものが上がっていく。その中の最高峰、みんなが憧れる夢の職業に『宮廷魔術師』があった。


 簡単に言えば王族貴族に遣える外部から招き入れられた魔法のスペシャリスト、その仕事は教育から相談役、さらには魔法を用いる実働隊の長ともなり、その影響力は雇い主の王族貴族に次ぐともいわれている。


 当然、それだけの権力、実情は腐敗していた。


 必要とされるのは政治、それを動かす資金、陰謀権謀渦巻いて、派閥に縁故に裏切り脅迫、魔法以外の要素がものを言った。


 小国の近衛騎士ならば兼任していても不思議ではないだろう。


 そんな相手に、マルクは嫉妬など覚えなかった。


 ただ、そんな相手に不覚を取ったことにただいら立ちを覚えていた。


 それは相手の体型にも及ぶ。


 でっぷりとぜい肉を蓄えた腹、魔法を使えばその分ごっそりと体力を消費し、筋肉がつかずに痩せやすい中で、太っていることはそれだけ上手に使えるか、あるいはまったく使っていないかのどちらかだった。


「……あなたは、どちらなんでしょうかね不当記号!」


 呟くと同時に正面へ駆け出すマルク、背後に流れた長い髪が一瞬遅れてかき乱され、切り裂かれる。


 魔法の基本は呼び出し、操ること。その中での風の魔法の特徴、そこらにある空気を操るからその分操る方に集中できる。


 斬撃、打撃、障壁に、より集中すれば様々な音色を奏でることもできる。


 対するマルクは水の魔法、呼び出すのはそこそこ、操るのは難しく、代わりい契約した精霊毎に追加の効果、回復なり触手なりが付随する。


 属性ごとの優劣などは素人考え、マルクの触手がスノーノイズの風に負けているのは純然たる実力差、ここまでは、あの時からの答え合わせだった。


 だからこそ、今度こそ出し惜しみなしで全力を持って穿つ。


「ただの一滴が大海を覆す」


 覚悟をもってマルクが踏みとどまったのは空中廊下入口、正面にはスノーノイズ、間に障害物は無い。


 逃げ隠れ不能、残るは正面勝負、無表情で金の杖を構えるスノーノイズに、マルクは右手に白の杖を、そして左手でナイフを引き抜き、口に咥え、そしてその左手の掌に走らせる。


 べぇとナイフを吐き捨てると、ボタボタとこぼれる鮮血、だけどもその雫は落下せず、代わりにふわりと浮かんでマルクの正面で渦を作り、中空の一点にて集まり一つの血玉を作る。


 その意味、スノーノイズ、聞き取れない小声で呪文を紡ぎ、金の杖を突き出し魔法の完成、何もかもを吹き飛ばす突風を放つ。


 その威力、まるで嵐、受けたマルクはその身が浮かび上がる感覚に襲われながらもその口は閉じなかった。


「Skjut igenom med blod!」


 それを前に、マルクが呟くと同時にその左手を突き出し血玉を押し飛ばす。


 そして両者の魔法が激突する。


 途端に周囲にまき散らされる千切れた風とその悲鳴、視覚以外の全てがその力を伝えてくる。


 正面一点にただある血玉、しかし突風を受けてなお不動の一点は、それだけで突風をかき乱し、マルクに届くころにはただの強風にまで弱めていた。


 しかし風も負けてはおらず、流れる風には少なくない血の臭い、舌を出せばほんのり味も感じられる。つまりそれだけ、血玉は削り取られていた。


 風と血、魔法と魔法、力と力の激突、その余波にガランガランと飛んでいくのは吐き捨てたナイフ、それどころか倒れている弓兵も風に流されていく。


 それほどまでの強風、だけどもじりじりと押し勝っているのはマルク、風を受けて減速しながらも放った血玉は確実にスノーノイズに迫っている。


 にもかかわらずスノーノイズに焦りはない。ただ一度、呼吸を整えるやより一層力み、魔力を注ぎ込む。


 途端、音程跳ね上がる風の悲鳴、それに比例して血玉はみるみる小さく削られ、引き裂いていた突風が勢いを取り戻す。


 そして、終に届かず、突き出された杖の先に触れるか否かで霧散し、消え去った。


 激突の敗北、途端にもろに風を受けその身が押し飛ばされるマルク、その背後は城壁の縁、落ちたら終わりの文字通りがけっぷち、だけどもその口には笑みが浮かべた。


「Upptagen!」


 追加の呪文詠唱、動いたのは血液、ただし血玉ではなく、削られた方だった。


 突風に吹き上げられ、上空に飛ばされたいくらか、それが糸に、細い触手となって舞い上がり、誰に知られることもなく、静かにスノーノイズにまでたどり着いていた。


 それが、動く。


 触手の本分、這いずり、巻き付け、締め上げる動き、いつの間にか吸い込まれていた血液、それが繋がり細すぎる触手へ、へし折るにも折り曲げるにも弱すぎる力でも、舌を捻じるぐらいはできた。


 途端閉じられる口、洗脳されても動揺するのか突風弱まる。


 だがそれは一瞬、すぐに取り直したスノーノイズが杖を構え直した。


 その額に、スコンと穿ったのはマルクが投げた、白い杖だった。


 押し飛ばされた距離を助走に変え、体重載せた投擲、ほぼ直線で突っ切った魔法使いの必須アイテム、命の次に大事な杖の一投、実はひそかに練習してた最後の一手、カランと落ちるとともに額の割れたスノーノイズがばたりと倒れた。


「魔術師が魔法に縛られては、まだまだです……ね」


 勝利しながら言葉に詰まるマルク、続きにつける賢い単語が思いつかない。


 考えてる間に次々と現れる新手、放たれる矢を前に杖を手放していたマルクは、慌てて回収に走った。



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