大草原の小さな目的地

 周囲は絶景だった。


 澄み切った空気、どこまでも青い空、緩やかな起伏の丘には青々とした芝が生え揃い、そこに黄色い花が混じっている。最果てには雪と雲を被った岩山がどこまでも連なっていてその間を遮るものはポツリと生えている数本の木が点在してるだけだった。


 何の障害物のない、地面の起伏だけの広大な空間、だから澄み切った空気は岩山から吹き下ろされた冷たい風、それが唸るような風速で流れて容赦なく体温を奪っていく。


 絶景、だけども過ごしにくい場所、だからここら一帯は町でも村でもなく地方と呼ばれ、国土ではあるものの開発などは一切手つかずだった。


 そんな土地に生きるのは僅かなヤギぐらい、こんなところに何があるのだと、普段の四人ならばとやかく言っていた。


 しかし、今の四人は普段とはかけ離れた、酷い状況だった。


『次の目的地まではついてってやる。だがそこまでだ。失敗しようが何だろうが俺っちは降りる』


 何の皮肉か、五人の中で一番冷静なのはトーチャの提案にリーアは無言でうなずき了承した。


 頭に上った血が沸騰を通り越して焦げ付いて、不機嫌な高熱を持って飛行する。


 その周囲に四人、固まって進む。


「嘘は良いんだ。本当のことを聞かせてほしい。俺様はハゲてない、よな」


 錯乱が悪化しているケルズスが最後、フルフル首を振る度毛を落としている。


「四則演算。決算。筆算。筆談。談合」


 賢そうな単語を並べるマルクが右手側に、必要以上に眼鏡をクイクイしている。


 ……ハァ。


 シンプルにため息を吐くダンが左手側に、耳と肩と尻尾を落としてトボトボしている。


 そして先頭がリーア、むっつりと不機嫌に、速足で進み続けていた。


 こんなバラバラな五人が固まって歩いているのもトーチャのお陰、その不機嫌な高熱が、冷たい吹きさらしの草原では貴重な暖だった。


 不機嫌でも、酷い状況でも、寒いものは寒く、だから温かい方へと近寄るのは本能によるものだった。


 そうしていくつかの丘を越え、遠くに見えたのは細い線にしか見えない道と、その先にポツンと建ってる一軒家だった。


「あれか?」


 背後から急かすようなトーチャの問いに、リーアは振り返りもせず頷く。


「だったらさっさと行けよ。こっちはちゃっちゃとすましちまいんだ」


 言われるまでもないと再び歩き始めるリーアに、付いて行く四人、無言で気まずく、険悪な空気、ただでさえ見た目よりも遠い道のりが更に引き伸ばされる苦痛、だけどもリーアが心に思うのは、一軒家へ向かうことへの抵抗感だった。


 ここは、できれば来たくなかった。来るべきではない。


 リーア、頭の中で何度も繰り返すも、だったら別の、と思い浮かべられる目的地もなく、新たに思い付くための時間も残されていない。


 追い詰められた先での目的地、それでも、だけど、でもと考える内に足は動き続け、果てないように見えた距離がいつの間にか終わっていた。


 草原の中の道に出て、いよいよ正面に一軒家を見つめる。


 青い円柱の三階建てに細い煙突が伸びてる赤い三角錐の屋根、先端には風見鶏がパタパタ動いている。家の正面には石を積んだグリル、さらに外側周囲の草原は他とは色が違っていて、刺さったままの鍬から畑に耕されている風に見える。


 手紙に書いてあった通りの住所に書いてあった通りの家、来るのは初めてだけども、リーアには懐かしい感じがした。


 と、不意に周囲の空気が変わった気がして、リーアが振り返ると、四人は立ち止まっていた。


「何よ」


 リーア、呟いて、次に吸った息で理由を知った。


 澄み切ってた空気に混ざった異臭、鉄の臭い、地のい臭いだった。


「一応だ。一応、仕事だから見てきてやる。邪魔だ」


 トーチャ、ふわりと飛びあがりリーアの頭上を飛んで行く。


「ここで待っていてください見積。危なくなったら一人でも逃げてください寸志」


 マルク、何かが致命的に壊れたような言葉を残して行く。


「しかし貴殿は、よほどもめごとに縁があるようだな」


 ダン、言葉とは裏腹に疲れ切った顔のままで行く。


「大丈夫だぁお嬢ちゃん、俺様はハゲてねぇからな!」


 ケルズス、笑いながらも大丈夫じゃなさそうに行く。


 四人、なんだかんだ言って仕事をしてくれると思うのと同時に一人残して行くことに、リーアは残っているものと残されてないものを痛感していた。


 一方の四人の方も、誰かは残った方が良いのでは、とはそれぞれ思うのだが、互いに誰かが戻るだろうと、会話を端折って進みすぎて戻るに面倒な距離に、最終的にはこれだけ見晴らしがいいなら問題ないだろうと自己完結する。


 そうして四人、建物の正面入り口にたどり着く。


 石造りの土台、一段上がった玄関前には屋根とベンチ、汚れも埃も血痕もなく、掃除が行き届いている風に見える。


 それに左右の壁には白枠の大きなガラス窓、ちらりと中を覗こうとそれぞれ動くのと同時に、ドアノブがガチャリと鳴った。


 緊張、それぞれ身構え凝視する中でゆっくりとドアが開き、出てきたのは、大柄だった。


 身を屈めて潜らなければならないほどの背丈はケルズスとほぼ同じ、だけどもケルズスを岩と例えるならば、出てきたのは壁だった。


 暑い胸板に太い手足は、だけどもぜい肉全てがそぎ落とされ、純粋筋肉だけで作り上げられていた。


 着ている服は薄いベージュ色のワンピースに白いフリルのついたエプロン、右の手には血の付いたナイフがあった。


 短く切りそろえられた白髪に、縦長で尖った顎、血管の隆起に混じって深い皺がある。その目は大きな黒いサングラスで隠されていた。


「おやおや、お客さんとは珍しいねぇい」


 渋く、男にも女にも聞こえる声、身構える四人を前にして緊張も恐怖もなかった。


 そしてもう一人、大柄の肩越しにひょこりと顔を出す。


「ゲヒヒ、お客さんお客さん」


 巨体と比べなくても小柄で細い手足、そのままシャカシャカと、まるで虫かトカゲのように四つ足で這い出て、不動の巨体の胸の前に張り付いて顔だけを上げ、四人を順にみている。


 服は巨体と同じデザイン、ウェーブのかかった白髪、皺だらけの色白な顔、ぎょろついた大きな目にギザギザの口からは長居したがはみ出ている。


 異形、敵、四人は判断し本格的に戦闘態勢へと入る。


 けれど、それよりも小柄の方が早かった。


 四つん這いに張り付いた態勢から巨体の胸を蹴ると矢のように飛び出し飛来し、空中にてトーチャの身を掴み捕らえる。


 そして着地と同時に駆けまわるとダンの前へと向かう。


 これにダン、人差し指と中指だけ立てた右の拳を突き出し迎撃に出るも、小柄はするりとこれを掻い潜り、ひゅるりとその背後を取るやへばりつき、その手でグワシグワシと頭を撫でつける。


「ゲヒヒヒヒヒヒ可愛いのぉ可愛い可愛い」


 狂気、恐怖、逃れようと暴れるダンにトーチャ、だけども小柄は剥がれなかった。


 その間にケルズス、抜剣、正面の大柄へ、刃ではなく腹の部分にて横薙ぎに殴りつける。


 これを大柄は手にしたナイフ一本で受け取んる。


 ズサリ、踏ん張る足が押されて立ち位置ずれるもダメージは皆無だった。


 その隙にマルク、呪文を完成させる。


「Fånga den!」


 途端に地面より伸びる水の触手が四本、伸びて大柄の体を捕らえるも、そこまでだった。


 一本でケルズスの巨体を持ち上げられる力の触手が束になっても動かな大柄、マルクはたらりと汗を垂らす。


「おやおや、ずいぶんとやんちゃだねぇ」


 涼しい声、そしてフンと小さな掛け声とともにナイフ持つ右腕を振るうと、それだけでケルズスの大剣と触手四本、まとめて振り払った。


 強敵、これまでで最高、四人は思わぬ出会いに本気を出すことを考え出す。


「やめなさい四人とも!」


 そこへ、声が響いた。


「その二人は! 敵じゃ! ないわ!」


 声の主はリーア、叫びながら全力疾走、途中で転びかけながらも四人と二人の元へとやってくる。


「違うの。二人が、目的なの」


 膝に手を突き、呼吸を整えながら、リーアが説明する。


「二人は、モカとモコは、妾の、昔のナニー、双子の姉妹の、妾の元子守りよ」


 説明しながら、呼吸を整えて、同時にリーアに罪悪感が沸き上がる。


「二人とも、妾の小さなころから面倒見てくれて、だけどモカは目を、モコは足を悪くしちゃって、それで、引退してたんだけど、だけど」


 言葉を濁すリーアを前に、サングラスを外して存外に野菜い目の大柄のモカに、トーチャを捨ててダンを蹴って戻っていく小柄のモコ、二人の表情はあっという間に緩やかになった。


「ゲヒヒ、姫様だぁ、姫様だぁ」


「これはこれは、嬉しいサプライズだねぇ」


「お久しぶりです。そして、ごめんなさい。二人はもう仕事を止めてて、関係ないのに。だけど妾には、他に、もう」


 また言葉に詰まるリーアに、モカは両手を広げた。


「姫様、どうか近くでそのお顔を見せてください」


「ゲヒヒゲヒヒ、ほらほら」


 優しい言葉に、リーアは口を閉じ、涙目になりながら同じく両手を広げて駆けて、その胸へと飛び込んだ。


 そしてがっしりと抱きしめられる姿を前に四人、戦闘態勢を解除した。

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