眠たげな家

「何よ。吸血鬼なんているわけないじゃない」


「いやいやぁ」


 否定するリーアへケルズス、子供を諭すように語りながら下ろす。


「この世にはなぁお嬢ちゃん、吸血鬼っておっかない化物がちゃぁんといるんだよぉ。子供らを怯えさせるためのおとぎ話じゃあねぇんだぜ」


「知ってるわよそんなの。吸血鬼は実存する。けれど、ここにいるわけないじゃないって言ってるのよ」


 リーア、負けじと睨み返す。


「吸血鬼、その名前が示す通り『血を吸う鬼』で、生き物から血液と、それを介して魔力を補給することによってアンデットに属しながら単独での魔力補給、自己修復、記憶や学習といった自己進化をも行えるハイスペックな化物よ。製造や隠蔽は妾の国に限らず重罪で、発見し次第報告の義務が発生する。違う?」


「はぁん。後半の法律は知らねぇが、ま、合ってんじゃね?」


「合ってますよ」


 マルク、眼鏡をクイッと上げる。


「付け加えるとすれば吸血鬼は吸血することで増えるということですね。吸血の時に血液が混ざりあって呪文が伝播してくんです。ほっとくと疫病のように広がって、下手すれば国が落ちる、なんてこともあり得ない話ではありませんから」


「そこまでわかってるなら、吸血鬼がいないのもわかるでしょ?」


 リーア、挑発的に睨み上げる。


「ここは聖都よ。つまりこの国に限らず医療関係の最上位、対吸血鬼の部署も詰めてるのよ? その目と鼻の先で吸血鬼が暗躍してるとか、しかも元とはいえ枢機卿様が住まう老人ホーム、それ相応の警備が敷かれてる中ででよ? あり得ないわ」


「それ相応の警備? はぁん。そうは見えねぇがなぁ」


「何よ」


「現実を見ましょう。吸血鬼はいます」


「だからー」


「そこまでおっしゃるのでしたら、この傷跡は何ですか? 内太ももの怪我しにくくて見えにくい場所、なのにしっかりと動脈に噛みついている。そしてまだ傷は塞がり切れておらずに湿ってます。噛み立てほやほや、これであの中に吸血鬼がいないと考える方が不自然でしょう」


 眼鏡をクイクイ、やたらと饒舌なマルクにリーア、言葉に詰まる。


「ここは周囲に人目もなく、捨てられた老人ともなれば外から昔を知るものも来ない。それに餌の血液も、先ほどおしゃってた善行云々で飛び入りで来るボランティアを騙すなり眠らせるなり催眠するなりすれば定期的に補充出来ます。なかなか良い立地じゃあないですか」


「それは、でも」


「おい、あれを」


「何よ今考えてるんだからあっち行って猫じゃらしでも探して遊んでなさい」


「私に八つ当たりする余裕があるならあちらを見ることだ」


 そう言ってダン、まだ開いてた女性の足をやっと束ねて空いた右手で指さしたのは、老人ホームの出入り口、半開きのドアからこちらを覗いている男だった。


 やせ細った人ばかりのこの聖都の中でなお細い顔体、頬がこけているのはもちろん、それ以上に額や目の周りの肉が落ちて、肉も皮もあるのに頭蓋骨がうっすらと見えるほど、茶色い髪も水気が乏しく見えるのにもかかわらず半開きの口から見えている前歯だけが輝いているように白かった。


 その姿、リーアの目から見ても、常人ではない、不気味な男だった。


 そんな男がすぅうっと影のように、ドアの向こうに消えていった。


「……見られちまったな」


「うむ」


「うむじゃねぇよ使えねぇ珍獣、女ぶん殴る以外はてんでとろいのな」


「あれが最速の報告だった。それすらも気が付けない目が節穴の貴殿に何を言われたところで何も響かないな」


「何よ。見られたからって何なのよ」


「そんなの決まってるだろお嬢ちゃん。いかにも強そうなナイスガイに存在を嗅ぎつけられたってなりゃ、逃げるか隠れるか」


「その前に証拠隠滅ぐらいは図るかもしれませんね」


「証拠って、何よ」


「そりゃあおめぇ、食べ残しだろうさぁ」


「それって、証人ていうんじゃないの?」


「そうですね、生きていればの話ですが」


「大変じゃない!」


叫び、リーア駆けだす。


いきなりのことに反応遅れる四人、ケルズスは女性抱えて迷うダンとぶつかり、その横をすり抜けたトーチャとマルクが辛うじて追いすがる。


「待てって! ちょっと待てって!」


「何よ待てるわけないでしょ! 命かかってるのよ!」


「待ってください! いくら吸血鬼の証拠があるからって好きに調べられるわけじゃありませんよ! まずは関係各所に報告して! 許可を得て! それからです!」


「だったら妾が許可を出すわ! その関係各所の上の上の一番上にいずれなる妾なら問題ないでしょ!」


 かなり無茶苦茶なことを叫びながらリーア、半開きのドアに体当たりし、中に入ると、思ったより広かった。


 正面には広くてまっすぐな廊下が奥まで続いていて、一番奥には二重らせんのオブジェ、ジーン教会のシンブルをかたどった石像が置かれてあった。右手側には受付らしいカウンター、左手側には開けっ放しのトイレがあった。


「危ないだろ! 待ち伏せあんかもしれないんだからいきなりはいんじゃなよ!」


トーチャ、追いつくなり叱りつける。


「だから待ってて、言って、もう」


マルク、息を切らして会話もできない。


「おぉ、よく考えたら俺様、老人ホームは初めてだなぁ」


ケルズス、のんきに辺りを見回す。


「それより、いい加減この女をどこかに下ろしたい」


ダン、女性をいつの間にかお姫様抱っこで、最後に入ってきたくせに追い越して奥へと入っていった。


その後にぞろぞろ、残り四人も続く。


 更に少し入ると左手側に団らんの場らしい広い空間、いくつかのソファアに椅子にテーブルに布でできた偽物の鉢植え、小さな二重らせんの置物もある。壁際には本棚に戸棚、空いている壁には水彩画が何枚もかかっていた。


 描かれているのは風景画に宗教画、人物画、どれも作者は素人らしい。そんな水彩画を、老人四人、並んでソファアに座ってぼんやりと眺めていた。


「すまない。急患なのだが」


 ダンの言葉に反応を見せない四人、嫌な予感がして、ダンはそっと手前のテーブルの上に女性を寝かせると、そぉっと近寄っていく。


「もし」


 耳元で声をかけ、やっと振り返った右端の首に大きなネックレスをかけた老婆、しげしげとダンを頭の先から足元まで観察する。


「宗教の勧誘なら間に合ってるよ!」


 ぴしゃり、言い放つと目線を切って老婆はまた水彩画に戻った。


「おい猫、フラれちまったな」


 嬉しそうにあざ笑うトーチャ、その背後よりのそりと現れた手に捕まった。


 手の主はテーブルの下、のそのそと現れたのはしわくちゃの顔の老人、パクリと歯のない口を開いたかと覆えばパクリとトーチャを口に入れた。


「あ」


 リーアが反応するより先にもごもご、そして老人はぺっと吐き捨てる。


 べと、テーブルの上に張り付くトーチャ、涎ねばねばなのを除けば、手足も首も無事らしい。


 フルフルと立ち上がり、ふわりと飛んでボっと燃えたトーチャ無視して、履き捨てた老人はふらふらと行ってしまった。


「何でぇ、ボケた年寄り様ばっかじゃねぇか」


 ケルズス、のんきに言いながら受付の中を覗き込み、手を突っ込んでガサガサ漁っている。


 そこへ受付の影からあの痩せた男が飛び出した。


 「ちぇすとおおおお!」


 甲高い掛け声、手にはモップ、さほど重そうに見えないそれを両手で持ちながらも上げきれず、半端な高さからの打撃、ケルズスに打ち付ける。


 無情、当然ながら巨体には無傷、それどころかケルズスが軽く払っただけで男は弾かれ、壁に当たるとそのまま倒れた。


 慌ててリーアが覗き込むと男は床に臥せって動かない。お腹は動いているから生きてるようだけど、気は失っているようだった。


「はぁん。吸血鬼見つけたぜぇ」


 痩せた男を見下ろしながらケルズス、背中の大剣に手を伸ばす。


「あぁ俺っちも、待ってろ。いまチャチャッと焼き殺してやる。


 フラフラとトーチャ、履き捨てた老人の方へと飛んで行く。


「このような姿に変えられ、さぞや無念だろう。今、介錯しよう」


 すぅっと右手を振り上げるダン、目の前の老婆に狙いを定める。


「え、全員そうなの?」


「違います」


 わかってないリーアのすぐ横で、マルクが床をカン、と杖で突く。


「皆さん。その手を止めてください。始末する前に、何故目の前の相手か吸血鬼なのか、各自その理由をおっしゃってください」


「はぁん? 見りゃわかんだろぉ」


「こいつは俺っちを食おうとしやがった。吸血鬼じゃなくとも天誅はいるだろ」


「臭いだな。貴殿らにはわからなくとも私の鼻には臭いとわかる」


「皆さん馬鹿ですか?」


 マルクの一言に、三人手を止めにらみつける。


「いいでしょう。特別です。これから皆さんに吸血鬼の見分け方をお教えしましょう」


 そう言ってマルク、また眼鏡をクイッとやった。

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