第32話


 俺が逃げるように部屋へと入ると、美月もニコニコ笑顔とともに入ってくる。


「……何のことかさっぱりだな」

「どう見ても、センパイなんですよ」

「そこにいるのは綺麗なお姉さんじゃないか。俺は男だぞ?」

「女装ですよね? 昔から得意でしたし」

「得意じゃねぇ! 勝手にさせられているだけだ!」

「口ではそういって体は正直なんですから。似合っているから、良いと思いますよ」

「まったくもってそんなことはねぇよ!」


 俺が声をあげると、美月はくすりと笑った。


「……で、つまり何が言いたいんだ?」

「万が一、私が外でバレてもですよ? 男性と一緒にいるよりは、女性と一緒にいたほうが問題ないですよね? つまり、そういうわけです」

「……どういうことだ?」

「センパイが女装してくれれば、一緒に出掛けても問題ナッシング、ということです。分かりましたか?」

「理解はしたくない」

「それじゃあ、理解するまで、み、耳元で囁いてあげます」


 彼女がすっと体を寄せてきて、唇が耳に近づく。

 俺はその額を小突き、距離をとった。


「もう、センパイ。意地悪しないでください」

「してねぇよ。女装はもうしないんだよ」

「でも、そこにあるの女装グッズですよね?」


 ちら、と俺は段ボールにまとめられていた服を見る。

 ……マネージャーが用意してくれたスーツとウィッグはそこに放り込まれていた。

 俺用に合わせたものなので、他に着れる人もいないからとプレゼントしてくれたのだ。……着る機会はないだろうけどな。


「土曜日のマネージャーは、確かに俺だ。その時に、もらっただけで、いずれ処分するつもりだったんだよ」

「そうなんですね。とりあえず今は、それを着てくれれば一緒に行動できますから」

「……外で飯を食べるのか?」

「はい。奢ってあげますよ?」

「……マジか? なんでも食っていいのか?」

「はい。私がセンパイを養ってあげますから。ほら、行きましょ? 化粧もしてあげますからね」


 確かに、奢ってもらうのは魅力的だ。

 とはいえ、女装はなぁ……。


「ほら、センパイ。椅子に座ってください。化粧しますから」


 ……美月の親父の言葉を思い出す。

 美月も色々と苦労しているんだろう。……仕方ない、付き合ってやるとするか。

 俺が椅子に座ると、彼女は楽しそうに俺の顔を見ていた。


「近いですね」


 息が当たるようなほどに顔が近くなる。


「そ、そんなにじっと見ないでくださいよぉ……見とれているんですか?」

「最近の声優は顔がいいだろ? おまえも例にもれずそうだと思ってな」

「か、カワイイ、って素直に言ってくれていいんですよ?」

「カワイイな、と思ってな。おまえが他より仕事多いのはそういう部分もあるんじゃないかと思って」

「むっ、失礼ですね。私の実力知ってますよね?」

「もちろんだ。さっきのは冗談みたいなものだ」

「それならいいです」


 ……彼女の演技力の高さはよく知っている。

 俺もたまにアニメを見るのだが、「え、このキャラ美月がやっていたのか!?」ということがよくあるほどだ。


 七色の声を持っている、と言われているが、七色どころかもっと多い気がする。声帯に小人が住み着いている、なんてファンの間では言われているほどだ。


 声優として仕事を始めたときは、親のコネ、だとか、顔がいいだけだから、とか言われていたが今ではそんなアンチは少なくなっているようだった。

 ……まあ、何をやってもアンチがゼロになることはないので、理不尽な理由をつけていちゃもんつける輩はいるようだったけどな。

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