第7話


「死ね!」


 直球な言葉だな、と俺は振り返りながら冷静に男を観察する。

 手に持っているのは刃物だ。それ以外に武器はない。

 催涙スプレーだったり、スタンガンだったり……そういったものを警戒していた俺としては拍子抜けするほどだ。

 

 男のポケットなどを見ても、それらしい膨らみはない。……つまり、彼にとって唯一の武器がこのナイフだ。


 友梨佳を真っすぐに狙った男と友梨佳の間へと入り、その突き出されたナイフをもつ腕を殴り付けた。


「ぐえ!?」


 男は短い悲鳴を上げ、ナイフを落とした。

 他に何か隠し持っていないとも限らないので、彼が動き出すより先に、その腹に蹴りを叩き込み、意識を奪った。

 怪我はさせないようにした。過剰防衛と言われたら困るからな。


「……凄い」


 驚いたように友梨佳がこちらを見ていた。


「いや、見てないで、警察に連絡しておいてくれ」

「え、あっうん。やっぱり手際良すぎ」

「こんぐらいは普通だ」


 ぼーっと俺を見ていた友梨佳にそう伝えながら、男を観察する。


 顔にはサングラスとマスク。肌すべてを隠す服装だった。マスクとサングラスをずらすと……レストランで見た男と一致した。

 

 至って普通のサラリーマン風の中年男性だな。

 俺が気になって周囲を見てみても、仲間などの気配は感じられなかった。


 大丈夫、そうだな。

 そう思った時、友梨佳がこちらへとやってきた。


「電話……終わった。すぐに来るって」

「了解だ。とりあえず、他に仲間はいそうにないな」

「……そっか」


 そういった友梨佳だが、どこか不安げに俺の腕をつかむ。

 ……まあ、直接狂気を見せつけられたのだ、怯えてしまうのも無理はないだろう。


「……さっきの、雄一、やっぱりすごい」

「あれが仕事だからな。友梨佳が歌を歌うのと一緒だ」


 ひらひらと手を振る。俺からすれば、友梨佳の歌のほうが凄いと思うがな。

 俺がどれだけ力をつけても、助けられるのは一人だ。

 けど、友梨佳の歌はそれ以上の人を救う可能性があるからな。

「……守ってくれて、ありがとね」

「それも、仕事だ」

「それじゃあ……もうちょっとくっついていてもいい?」

「それは仕事じゃない」

「まだ、依頼主は怖がってます」


 友梨佳にそう言われたら、仕方ない。友梨佳の心身の安全を守るのが仕事だからな。


「それで不安が解消されるなら」


 俺がそういうと、友梨佳はぎゅっと抱きついてくる。

 ……その安堵した笑顔に見とれかけるが、仕事中であることを思いだし、心を落ち着けた。


 しばらくして警察がやってきて、男を引き渡した。


 警察に軽く状況を説明して……その場でのやり取りは終わった。


 それから、俺たちはアパートに向かって歩きだした。

 道中、友梨佳は随分と不安げな顔をしていたが、俺の部屋に入ったところで、


「……あー、疲れたぁ」


 ぐだーっと友梨佳が床に寝そべる。


「安心できたか?」

「……うん、ここに来てやっと戻ってきた感じがする。くんくん、うん、雄一の匂いが充満している」

「……それ臭いとかじゃないよな?」

「私は好き」


 そして体を起こした友梨佳が、ぴょんと俺のほうに飛びついてきた。


「……おい」


 柔らかな感触に驚く。俺も仕事を終えた、と思っていたところへの不意打ちだったからだ。


「うん……やっぱり、一緒にいるとドキドキする」


 友梨佳はそういって頬を赤らめて、こちらを見てくる。……俺は仕事モードのスイッチを入れながら、彼女を見る。


「それはたぶん、アレだ。さっきの男にビビっているのが残っているんだ。勘違いだ、勘違い」

「勘違いじゃない」


 むすっと友梨佳が頬を膨らませ、続ける。


「まず好きなところその一。仕事で嫌なことがあったときに、嫌な顔一つしないで話を聞いてくれる」

「……アフターケアってのも大事だって教えられたからな」

「その二。今回みたいにいきなりきても、相談に乗ってくれる」

「どうせ暇だからな」


 ひらひらと手を振ってあしらうと、友梨佳は上目遣いにこちらを見てきた。


 その可愛らしい表情に、まったく何も感じないわけではなかったが、あくまで彼女は依頼主だと言い聞かせる。


 ボディーガードの教え! ボディーガードの教え!

 依頼主と恋仲には決してなってはいけない!

 何度も自分に言い聞かせた。


「そして私が雄一を好きな理由の最後」


 そこで区切った彼女は、ふわりと笑った。


「――ずっと、普通の幼馴染として接してくれる」

「それは……俺が普通の幼馴染が欲しいだけだからだって」


 友梨佳は俺の言葉に、嬉しそうに微笑む。


「私は自分の夢だったから、歌手を目指した」

「……それで本当に歌手になれるんだから、たいしたもんだな」

「ありがと……でも、時々……普通の一人の女性になりたいときもある。そんなとき、私を普通に扱ってくれるのは雄一くらいだから」

「……そうか? わりと有名人として扱ってもいるぞ?」


 普通の生活が送れないから、会いたくない、というときだってちょくちょくあるしな。

 けど、友梨佳は首を横に振った。


「態度が違うもん。私をこんな風に扱ってくれる人、中々いない……だから、大好き」


 友梨佳の言葉に、俺は小さく息を吐いた。


「ああ、そうか。まあ、これからも普通の幼馴染としては仲良くやっていくつもりだ」

「むー、雄一の馬鹿」


 頬を膨らませた友梨佳に、俺は苦笑を返しながら、彼女を引きはがした。


「もう今日は遅いんだ。寝ようぜ。ベッドは使っていいからな」

「ベッド、一つしかない。一緒?」

「おまえが使っていいから。俺は寝袋で寝る」

「……別に一緒でもいいのに」

「いいから、おやすみ」

「うん、おやすみ」


 俺が強引に彼女を寝室へと押しこむと、友梨佳は口元を緩めてそちらへと向かった。

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