エピソード7 亀の覚醒
安芸国(あき・のくに)に滞在中の狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)たち天孫一行は、水稲耕作教育と灌漑事業、そして出雲の協力提携を求める運動を続けていた。
そんな中、海岸に呆然と立ちすくむサノの姿があった。
サノ「これは・・・カメ・・・か?」
長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)が応える。
長兄イツセ「どう見ても、亀やな。」
マロ眉の天種子命(あまのたね・のみこと)と目のまわりに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)も感想をこぼした。
天種子(あまのたね)「どこをどうやったら、亀になるんやろか。」
大久米(おおくめ)「ですよね?広島弁しゃべる奴が来るのかと思ってましたよね。」
落胆する一行に対し、椎根津彦(しいねつひこ。以下、シイネツ)は必死に弁明した。
シイネツ「いや~。うちも、いろいろ連絡してみたんですよっ。ホントに。でも、みんな忙しいのか、全くつながらなくて・・・。そこで、急遽、お願いしたわけですよ。」
サノの妃、興世姫(おきよひめ)が冷たい眼差しをシイネツに向けた。
オキヨ「でも、亀じゃなくてもいいんじゃない?」
シイネツ「えっ!? じゃあ、何なら良かったんや?」
オキヨ「カラスとか?」
サノ「興世よ。それはまだ先の話っちゃ。今回は亀で我慢するしかないっちゃ。」
シイネツ「我が君まで、そんなこと仰って・・・。みなさん、ちょっと誤解してるに。」
三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと。以下、ミケ)が、みなを代表して尋ねる。
三兄ミケ「誤解って何ね? どう見ても、普通の亀やろ?」
シイネツ「確かに、こいつは・・・見てくれは、ただの亀や。でも、人の言葉を理解し、ちゃんと先導も出来るんやに。いわゆる、覚醒した亀っちゃ。」
そのとき、亀が鳴いた。
ンア~。
オキヨ「言葉をしゃべることは出来ないのね。」
三兄ミケ「この世界では、蛸でもしゃべれるんやぞ。なのに、この亀はしゃべれんのか?」
シイネツ「くっ・・・悔しい。反論できない自分が悔しいっちゃ。」
長兄イツセ「まあ、仕方なか。この亀の先導で進むほかないっちゃ。」
シイネツ「亀語の翻訳については、うちにお任せくだされ。」
三兄「ホンマに役に立つんか? どうも信じられん。」
再び、亀が鳴いた。
ンア~。
そこへ、前回登場した剛風彦(たけかぜひこ)がやって来た。
剛風彦「お取込み中、申し訳ござりませぬ。何やら、大船団が来たので、至急、港に来てほしいと安芸津彦(あきつひこ)様からの言伝てにござりまする。」
天種子(あまのたね)「剛風彦? 鬼退治伝説だけの登場やなかったんか?」
剛風彦「実際は、そうなんじゃが・・・。それだけで終わらせるのは勿体ないと、作者の考えで、安芸津彦様の補佐役として出演することになったんじゃ。」
天種子(あまのたね)「せやったか。良かったのう。」
サノ「ところで、剛風彦よ。大船団が来たというのは、まこち(本当か)?」
剛風彦「ま・・・まこち!」
サノ一行が、剛風彦に誘われ、港に向かうと、そこには、大小幾艘もの船が浮かんでいた。全ての船が、どう見ても新品である。
埠頭では、安芸津彦(あきつひこ)と一人の髭もじゃ・・・もとい男が言い争っていた。
安芸津彦(あきつひこ)「おどれ、なめとんのかっ! 邪神でない証拠を見せぇ言うとるんじゃ。」
謎の男「ないモンはないっ言うとろうが! 無理難題言うな!」
白熱する二人の間隙を縫って、駆け寄ってきたサノが割り込んだ。
サノ「おちやああん!久しぶりっちゃ。」
叫ぶと同時に「おちやん」と呼んだ男に抱き着くサノ。かなり嬉しそうである。それに反して、気持ち悪そうな表情の「おちやん」。
おちやん「ちょっ、離せっ。わしがオナゴを抱くことはあっても、わし自身が抱かれることはないんじゃ。」
サノは、おちやんの言葉を無視し、抱き着いたまま離さない。その傍らで、長兄イツセが顔を綻ばせた。
長兄イツセ「おちやん。久しぶりっちゃ。ついに船が出来上がったんやな。」
おちやん「おお、いっちゃん。待たせたぞな。注文通りの数じゃ。数えてみてくれ。」
次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)も会話に加わる。
次兄稲飯(いなひ)「数えんでも大丈夫っちゃ。汝(いまし)が約束を破ったことなど、一度もないやろ?」
おちやん「おお、いなやん。それにミケッチ(三毛入野命のこと)も!」
安芸津彦(あきつひこ)「ちょっ、こいつは誰なんじゃ?」
サノ「ああ、わしらの遠い親戚で、伊予二名島(いよのふたなのしま)を治める小千(おち)殿や。わしらは『おちやん』と呼んでるんやじ。ちなみに、伊予二名島いうんわ、四国のことっちゃ。」
安芸津彦(あきつひこ)「貴殿が小千殿か。貴殿も、お人が悪い。名前を名乗ってくだされれば、このような諍いにはならなかったんですぞ。」
おちやん「急に、貴殿がつっかかってくるけん、わしも熱うなってしもうた。すまんかったな。」
小千命(おち・のみこと)は、伊予の豪族、越智氏の祖といわれる人物である。
愛媛県今治市(いまばりし)の島、大三島(おおみしま)には、小千命が自ら植えたという楠(くすのき)があり、「小千命御手植の楠」と呼ばれている。推定樹齢二千六百年と伝わっている。
この楠の所在地が、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)である。
神社の由緒書には、こう書かれている。
<神武天皇東征のみぎり、祭神の子孫、小千命が先駆者として伊予二名島に渡り、瀬戸内海の治安を司っていたとき、芸予海峡(げいよかいきょう)の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる>
大山祇神社は、その名の通り、山の神である、大山祇神(おおやまづみ・のかみ)を祀る神社である。
同神社には、小千命の楠以外にも天然記念物の楠群があり、古代から楠の産地であったようである。楠は腐りにくく、船の用材にも適した木である。
のちの世の話になるが、第三十八代天智天皇(てんじてんのう)の時代、白村江(はくすきのえ)の戦いで捕虜になった越智直(おちの・あたえ)が、造船の知識で、自ら船を作り、敵地から脱出し帰国した、という記録がある。
「日本霊異記(にほんりょういき)」に書かれた話なので、事実かどうかは分からないが、越智氏が造船に長けた一族であったことは間違いないであろう。
小千命の御手植えの楠があるのは、木を伐採して船を造るにおいて、大山祇神に対して、お詫びと感謝の意を捧げるためのものだったのではないだろうか。
おちやん「ほんじゃ、わしは帰ってこうわ。」
サノ「えっ!? 帰るんか? 一緒に東征してくれるんと違うんか?」
おちやん「一緒に行きたいんじゃが、伊予二名島の治安維持もあるけんな。すまんのう。」
こうして、小千命は伊予二名島に帰っていった。新木の香りが漂う船団を残して・・・。
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