エピソード3.5 ようこそ菟狭へ

 前回は、狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)らの旅立つ前の伝承を紹介させていただきました。今回から、再び旅の物語を綴って参ります。


 ここで、新たに仲間となった水先案内人、椎根津彦(しいねつひこ。以下、シイネツ)がツッコミを入れてきた。


シイネツ「前々回の宣言通り、3.5にしてきたな。まこち(本当に)呆れてしまうに。」


 呆れてもらって結構です。さて、話を進めていきましょう。


 激しい潮流の豊予海峡(ほうよかいきょう)こと、速吸之門(はやすいなと)をシイネツの案内で見事突破した天孫一行は、筑紫(つくし)の国の菟狭(うさ)に辿り着いた。現在の大分県宇佐市といわれている。


 ここで、筋肉モリモリの家来、日臣命(ひのおみ・のみこと)と妃の興世姫(おきよひめ)が勝手に解説し始めた。


日臣(ひのおみ)「ちなみに『古事記』では、豊国(とよくに)の宇沙と表記されとるじ。筑紫っちゅうんわ、今の九州全体を差す言葉や。そんで、豊国っちゅうんわ、今の大分県のあたりを差す言葉やじ。」


興世(おきよ)「補足説明すると、豊国は、のちに豊前(ぶぜん)と豊後(ぶんご)に分かれるわ。これはもう少し先の話、奈良時代のことね。」


 話を戻そう。


 菟狭では、サノたちを驚かす状況が発生していた。


 人だかりができていたのである。それは、天孫一行をお迎えする人たちであった。


 この地の長である、菟狭津彦(うさつひこ)が代表して挨拶してきた。


菟狭津彦「ようこそ菟狭へ!御一行の到着を今か、今かと待っておりましたに。途中で高千穂の話に戻られましたけん、どうなることかと、ヒヤヒヤしておりましたぞ。」


 ここで本編の主人公、サノが口を開いた。


サノ「心配かけてすまんかったな。じゃっどん、どうしてわしらを歓待してくれるんや?」


菟狭津彦「我らと高千穂は、ずっと昔から、交流があるんやけん、当然のことっちゃ。」


サノ「まこっちゃ(本当に)?」


菟狭津彦「さしより(とりあえず)、説明するっちゃ。宇佐市には、九州最古といわれる古墳があるんじゃけんど、副葬品に大和(やまと)の鏡や装身具がたくさん出てるっちゃ。ここは高千穂と瀬戸内を結ぶ玄関みたいなところやに、交流が盛んじゃったんでしょうな。」


 彼らが出迎え、天孫一行が船を停泊させた地は、柁鼻(かじはな)であるという伝承がある。宇佐市和気(わけ)の小高い丘に鎮座する柁鼻神社(かじはなじんじゃ)の由緒書によるものである。


 鼻とは、海に突き出した岬のようなところという意味で、ここに船をつなぎ止め、サノたちは上陸したのであろう。


 ちなみに柁鼻神社には、サノと父親のウガヤフキアエズ、それから長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)が祀られている。


 ここで予想通り、二人の人物が食いついてきた。次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)と三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと。以下、ミケ)である。


稲飯(いなひ)「ちょっ、ちょっと、わしはなんで祀られてないんや。」


ミケ「それを言うなら、わしもやじ。一緒に旅立ったのに、不公平っちゃ。」


 すると、サノの息子、手研耳命(たぎしみみ・のみこと。以下、タギシ)がツッコミを入れてきた。


タギシ「叔父上、仕方なか。わしも祀られてない。残念だが、仕方がない。ま、そういうことや。」


稲飯(いなひ)「タギシよ。可愛い甥っ子よ。いいのか?それでいいのか?」


タギシ「父上が祀られている。それだけでいいっちゃ。」


稲飯・ミケ「ええ子に育ったなあ!」×2


 アホなやりとりはこれくらいにして、次に進もう。


 菟狭津彦(うさつひこ)は、サノにこう語った。


菟狭津彦「御一行のために宿泊地となる宮(みや)を建造致しましたけん、ゆっくりしていってな。」


 一行が案内された宮殿が足一騰宮(あしひとつあがり・のみや)である。


 柱一本を階段のようにして使った建物とも、屋根を一本の柱で支えた建物ともいわれている。また、川か海の中に片側を入れ。もう一方を岸にかけて構えられた宮ではないかとの説もある。


サノ「要するに、よく分からんってことやな。」


菟狭津彦「答えは、我々だけが知っちょるということですな。言っちゃいますか?」


サノ「やめておこう。人々からロマンを奪ってはダメっちゃ。」


 この宮があったとされる場所であるが、宇佐市内に三つもある。


 まず一つ目が、宇佐神宮(うさじんぐう)の境内にかつてあった、弥勒寺(みろくじ)の跡地のそばにある。


 騰隈(とうのくま)と呼ばれる地で、顕彰する石碑が立てられている。


 ちなみに、宇佐神宮とは、全国にある八幡神社の総本宮で、サノたち天孫一行が訪れた時には、まだ存在していない。なぜかというと、八幡神は、第十五代応神天皇(おうじんてんのう)だからである。


 話を戻そう。


 二つ目が、宇佐市安心院町(あじむちょう)にある妻垣神社(つまがけじんじゃ)である。同神社には、下記のような由緒が語り継がれている。


<宇佐に立ち寄った神武天皇(じんむてんのう)は、安心院(あじむ)盆地の美しい風景に感動し、母であるタマヨリビメの魂を祭るため祭祀を行った。すると、川の中の岩にタマヨリビメの魂が現れ、山の上へ舞い上がって山中の巨石に降臨した。神武天皇はこの石を足一騰宮と名付けた。>


 母親の玉依姫(たまよりびめ)が降臨した巨石は、妻垣神社の社殿から数百メートル離れた共鑰山(ともかきやま)の八合目あたりに祀られている。苔に覆われた石で、これが同神社の上宮で、社殿が下宮となっている。


 ここで、予想通り、菟狭津彦(うさつひこ)が噛みついてきた。


菟狭津彦「ちょっと待てい!うちらが建造した宮殿っちゃ。それが、なんでサノ様が作ったことになってるんじゃ。そ・・・それも石が宮?どういうことっちゃ。」


日臣(ひのおみ)「菟狭津彦殿、仕方なか。そういう伝承もあるっちゅうことで、ここは勘弁してくいやい。文句なら、作者に言ってくいやい。」


菟狭津彦「納得いかんっちゃ!はげらしか(むかつく)!一生懸命建てたんじゃ!かなりの出費やったに!菟狭の民、総出で作ったんやに!」


サノ「しゃあしい(うるさい)!母上を祀りたかったんや。母上は海神、大綿津見神(おおわたつみ・のかみ)の娘や。高千穂と菟狭をつなぐ海が、幾久しく平穏であるようにとの願いを込めたんや。」


菟狭津彦「そうだったんですか。そんなこととは露知らず、がさご(うるさい子供)みてえに、ねじきい(しつこく)言って、申し訳ないっちゃ。」


サノ「いっちゃが、いっちゃが(いいよ、いいよ)。済んだことっちゃ。」


 三つ目は、妻垣神社と宇佐神宮の中間に位置する、和尚山(かしょうざん)である。


 この地には、海神社(うみじんじゃ)がある。この神社には、サノの母である玉依姫と祖母の豊玉姫(とよたまびめ)が祀られている。


 ちなみに、豊玉姫と玉依姫は姉妹でもあり、どちらも海神の娘である。


 この地の人々が、海上交通の平穏無事を祈願して、海神社を創建したのであろう。


 伝承が残る三つの地は、どれも内陸部にあるが、菟狭の地が、海上交通の要衝であったことを如実に表しているように思われる。


 最後に、妻垣神社のある安心院盆地に魅了された作家がいるので、紹介しておこう。


 作家の名は松本清張(まつもと・せいちょう)。


 まだ新聞記者だった時、古代史に興味を抱き、休日を利用して各地を旅していた。安心院に初めて訪れたのは1942年(昭和17年)。


 以来、たびたび安心院を訪ね、妻垣神社の上宮にも詣でている。このときの見聞は『陸行水行』や『西海道談綺』などの作品に綴られている。


 サノたち天孫一行ゆかりの地は、巨匠の琴線に触れる、魅力あふれる土地だったのであろう。

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