エピソード1.5 天孫たちのとわずがたり
狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)ら天孫一行は、東方の中つ国を目指す旅路に出た。
まずは、旅の成功を祈るため、清水が湧く地に赴いた。なぜ、この地に赴いたかというと、祈る前に、身を清めるための禊(みそぎ)をおこなわなければならないからである。
この地は、現在、湯之宮神社(ゆのみやじんじゃ)と呼ばれるところである。
宮崎県新富町にある神社で、サノが禊をおこなったという、御浴場之跡がある。今も、透明度の高い清水が湧いており、近くには、湯風呂という地名も残っている。
さて、ここで禊をおこなったサノは、何気なく、そこにあった梅の枝をついた。
するとどうしたことであろうか。立派な梅林ができあがった。
現在、座論梅(ざろんばい)と呼ばれている梅林が誕生した瞬間である。
これを見て、サノは呟いたらしい。
サノ「マジか。今回は台本には書いてないことを取り上げるわけやな。」
そのとき、サノの妃の一人、興世姫(おきよひめ)が問われてもいないのに説明を始めた。
興世(おきよ)「地元の伝承もちゃんと伝えたいという、作者の考えとのことです。なので、エピソード1.5なんだとか。それと、座論梅ですが、もとは1株でしたが、21世紀現在では、80株に増えているそうです。」
サノ「マジか・・・っていうか、なんで汝(いまし)がここにおるんやっ!」
興世(おきよ)「こっそりついて参りました。一緒にお供させていただきまする。」
サノ「ここまで来て、女一人で帰らせるわけにもいかんな。仕方なか。それで興世よ。なにゆえこれが、座論梅なんや?坐って議論した記憶はないっちゃ。」
興世(おきよ)「そこなんですが、江戸時代に佐土原藩と高鍋藩が、梅林の所有権を巡って争った際に、坐して議論したことから、名付けられたそうですよ。」
サノ「じゃあ、わしらの頃は、何と呼んでたんやろう?」
興世(おきよ)「えっ?梅林とか?」
サノ「そのまんまかよ。そのまんま東に向かうぞ。」
興世(おきよ)「殿!お気を鎮められませ。禊が終わったばかりなんですよ。そのようなことでは、また禊をせねばならなくなりますよ!」
こうして、サノら天孫一行は、祈りをおこなうため、海が見える地に移動した。
この地は、現在の鵜戸神社(うどじんじゃ)といわれている。
湯之宮神社から約10キロ離れたところにあり、国土平定を祈願した地として語り継がれている。今の宮崎県高鍋町にある神社である。
祈りが終わったあと、サノは海を眺めながら言った。
サノ「ここは見通しはいいが、入り江がないんやな。」
ここで、筋肉モリモリの家来、日臣命(ひのおみ・のみこと)が問われてもいないのに説明を始めた。
日臣(ひのおみ)「入り江がなく、浅瀬が続く海やかい(だから)、航海には向いちょりませんな。二千年後の表現でいうなら、離岸流が激しいっちゅうことですな。」
サノ「では、出航の地は、別のところになるんやな?」
日臣(ひのおみ)「そうですな。もう少し北の方に行けば、良かち思うちょります。」
サノ「よし、では、もう少し北に進もうぞ。それに、船の準備に、矢の準備も必要やじ。」
日臣(ひのおみ)「船はともかく、矢は必要ですか?」
サノ「時には、弓矢に及ぶこともあるやろう。準備しておいて、損はないはずっちゃ。」
現在の宮崎県都農町(つのちょう)に、矢を準備したという伝承を持つ滝がある。矢研(やとぎ)の滝である。
その名の通り、天孫一行が矢を研いで、出航に備えたという。
日本で唯一、瀑布群が名勝指定されている、尾鈴瀑布群(おすずばくふぐん)の一つで、日本の滝百選にも選ばれている。
滝に見とれながら、サノは言った。
サノ「よかね。よかよか。山深い谷に、荘厳な雰囲気。豊富な水量。美しい景観。周りには、矢のもとになる、矢竹もたくさん有るし、矢じりに適した石もたくさん有るっちゃ。」
ここで、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)が問われてもいないのに説明を始めた。
イツセ「この地の石は、熱変成により硬くなり、鋭く割れるんや。古代から狩猟生活が盛んだったようでな。遺跡が続々と見つかり、多くの石鏃(せきぞく)が出土しておるっちゃ。」
サノ「せきぞく?」
イツセ「石製の矢じりってことや。ちなみに、都農町は尾鈴山(おすずやま)の東麓の丘陵地帯にある町で、山と海に挟まれた地やじ。食物を得やすい地やったのも、古代から人が定着した理由やろうな。」
この地でも、サノら天孫一行は、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念したという。
それが、現在の都農神社(つのじんじゃ)であると伝わっている。矢研の滝で禊をおこなったのであろうか。
次に着手したのは、船の建造であった。サノら天孫一行は、船を作るのに適した地を発見した。それは言うまでもなく、良い港が有るという意味でもあった。
宮崎県日向市にある美々津港(みみつこう)がそれであると伝わっている。
サノら天孫一行が出航したので「御津(みつ)」と呼ばれていたのが、美々津と転訛したのだとか。
美々津は、耳川の河口に位置し、江戸時代には木材集積場として繁栄し、千石船が行き交う港であった。その当時の名残を留める町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
美々津の歴史的町並みを守る会が発行している冊子「神武天皇 お舟出ものがたり」において、サノは、こう語っている。
<港はふけーし 大けな木はようけあり、慣れちょるでくどん(船大工)や かこ(水夫)が ぎょうさんいるし、 むらんもんどみゃ 人間(ひと)がえーもんばっかりじゃ>
サノ自身が、この台詞についての説明を、問われてもいないのに始めた。
サノ「港は深いし、というのは、大きい船も入る良港という意味や。大きな木がたくさん有るし、船大工や船漕ぎの人もたくさんいる。それに、この村の人たちは、みんな誠実な人たちばっかりやなあ、っちゅう意味や。」
ここで、目のまわりに入れ墨をした家来、大久米命(おおくめ・のみこと)が、問われてもいないのに説明を始めた。
大久米(おおくめ)「美々津のある耳川を少しさかのぼると、広い河原があるんですが、そこが船を作った場所だと伝わってますよ。現在は、匠ヶ河原(たくみがこら)と呼ばれています。この地の木材は、本当に素晴らしく、木炭に至っては、江戸時代に『日向美々津の赤樫』とたたえられたそうです。」
サノ「あかかし?」
大久米(おおくめ)「アカガシとも言う常緑広葉樹ですよ。堅さが特徴で、船以外の器具にも使われます。農具や車輪、ソリなんかですね。それから木炭。日向木炭は、長く火が保って素晴らしいと、上方商人が競って求めたそうですよ。」
サノ「なるほどなあ。わしらが出航したあと、いろんな人が行き交う港になるんやな。それで無事の航海を祈るために、港の傍に神社を建てたっちゅうことか。」
大久米(おおくめ)「さすがは殿!お目が高い!この神社は立磐神社(たていわじんじゃ)です。本殿の後ろにそびえる、柱のような巨石は、海道の神である塩土老翁(しおつちのおじ)を祀った場所だと言われてます。」
サノ「えっ?ジイが祀られてんの?」
大久米(おおくめ)「はい。ジイは、海道の神で、美々津の民は、海上交通の安全を祈願しているんですよ。」
サノ「じゃあ、わしらも祈ろう・・・っていうか、ジイを連れてきてたら良かったって話にならんか?」
一同「あっ!」×9
こうして、出航の準備は整ったのであった。
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