第二章 護国堂 その4

 居士号を授与されてから、私たちの語らう内容は、社会問題や国家問題に替わっていった。


 古内が中心となり、鈴木善一編集の雑誌『明徳論壇』や津久井竜雄発行の『急進』、薩摩雄次発行の『旋風』などを護国堂から持ってきて、私たちに輪読させたり、古内の解説を加えたりと、日蓮上人の護国思想を織り交ぜながら、私たちなりの考えを構築していった。


 特に日蓮上人の「末法法華の行者は、五戒に寄らず刀仗弓箭(とうじょうきゅうせん)に寄る」という行動の重視、観念論の否定は心底に刻み付けられた。


 これらの学術的究明の中で、私たちは現代日本について、このまま成り行きに任せておいてよいのか、と真剣に考えるようになり、唱題修行と共に、このままでは日本は亡国なり、と結論付けるようになっていた。


 しかし、そのためには何をすればよいのか、どうすればよいのか、おのれの使命は何だ。俺も、もはや数えの二十歳ではないか。一日も早く、自覚しなくてはならない。おのれの使命をしっかり把握しなくては。


 ただ焦燥感を抱くだけで、明確な答えが出てこない。


 古内や照沼に相談するも、心境が飛躍する前触れだろうと言うだけで、私が納得できるほどの回答を示してくれない。


 そんなある日、長兄が声をかけてきた。


「おい七郎、ぶらぶらしていても仕方ないだろう。わしと一緒にワカメの行商をやってみる気はないか。気分転換にもいいぞ。」


 自問自答に明け暮れていた私には、救いにも似た言葉だった。


 兄は気をきかせて「もしも気がむいたら。」と付け加えてきた。そんな気遣いは無用だったが、兄の心配りは本当にありがたかった。


 兄は全くの商売だが、私には内心、期するところがあった。


 行商をやりながら、農村や都市の労働者の実状を見てこようと思っていたのだ。


 古内もこれを聞いて激励してくれた。

 

 一九三〇年(昭和五年)六月の晴れやかな日、私と長兄は自転車に荷物を積み、ゲートルに地下足袋という格好で、東京目指してペダルを踏みだした。


 水戸、石岡、土浦、取手を通過し、葦の生い茂る大利根を渡る。


 順調に進み、明るいうちに柏の宿外れの旅人宿に自転車を停めた。荷を積んでの二十余里は流石に疲れた。


 早めに寝床に入ったが、疲労のためか、なかなか寝付けない。右へ左へと寝返りをうっていると、相客たちの話し声が聞こえてきた。


 それは一言でいえば、農村の窮乏についてだった。


 中国人の小間物屋が言う。


「こうも不景気じゃ、うかうか木賃宿にも泊まっていられない。」


 夫婦者らしいコウモリ直しと飴屋が、これに応える。


「恐ろしいこっちゃ、子供が飴ほしいと言わんのだものなあ。」


「不景気で傘も買えないってんで、それじゃあ直しがさぞかし忙しゅうござんしょ、ときてみたら、何の何の、不景気の度が過ぎて、傘直しもありゃしない。」


 魚の行商人も加わった。


「田植え時だっつうのに、五匹二銭の鰯も売れないんだから、参っちまうよ。」


 彼らの愚痴は、だんだんと政治批判に変わっていった。


「よくよくの金詰まりだっつうのに、いったい政府の奴らは何を考えてやがんだよ。これじゃ、俺たちは日干しになるしかねえよ。」


「収賄だの疑獄だの、偉い奴ほど、たちが悪い。そのくせ、外国にはペコペコ。これじゃアカも増えるってもんよ。」


 延々とつづく談義を子守歌に、私はいつの間にか深い眠りについていた。

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