第二章 護国堂 その2
我々の唱題修行は、この日を境に、宗教的神秘性を追い求める姿勢から、人生とは何か、自己とは何か、という内容に変わっていった。
また、時間ができると、護国堂に向かい日召先生の講話を聞いた。
ある日の講話では、因果律について語ってくださった。
「人間は生まれたら誰もが皆、死んでいく。人間ばかりではなく、一切のものは、皆、無常である。」
そう言うと、先生は煙草に火をつけた。
「無常というのは、消えてなくなるということではない。今ここに一本の煙草に火をつけると、煙草はやがて灰になってしまう。つまり、煙草は火の縁によって、煙と灰に姿を変えたのである。煙草は空となって消滅してしまったのではない。宇宙一切のものは、因と縁によって形を変えていくが、その本体はかくの如く不滅である。我々の人生もこのように、表面的に見ると無常のように見えるが、本体は永遠不滅なのである。」
また、日蓮上人の唱えた、主・師・親の三徳についても説明してくださった。
「主・師・親の三徳は三位一体である。私たちを生んでくれた親は、つまり親(しん)であるが、親はそのまま一家の主人として家を治める。つまり主(しゅ)である。生まれて西も東も分からない私たちに、いろいろなことを教えながら養育してくれた親は、それはまた、そのまま師である。一国においても天皇は、一国の元首である。つまり主である。私たちは天皇を大御親と慕い、天皇はまた、我々国民を大御宝と慈しみくださる。つまり親と師の徳を兼ね備えられており、従ってこれも三位一体である。」
日召先生の話は、なかなか難しく、一同は黙然と聞く他なかった。先生は、そんな私たちに、玉のような汗を流しながら、懸命に話してくださった。
時には、一人で護国堂を訪ね、日召先生に様々なことを問うたこともあった。
「先生、因・縁・果とはどんなことですか?」
「因・縁・果とは、一切のものが因・縁・果なのであって、他に特別に因・縁・果というものはない。」
「何のことか、私にはよく分かりません。」
「それはそうだろう。小沼君、因・縁・果というのはこれだっ。」
先生は言い終わるや否や、箱火鉢に置いてあった湯呑み茶碗を掌に乗せ、箸でチーンと叩いてみせた。
「分かったかね。つまり、茶碗が因で、箸が縁だ。因は縁によって、今、チーンという音を立てた。これが果だ。何でもないことじゃないか。」
それでも私にはよく分からなかった。
「因果の法理は何でもないことだ。その何でもないことが、かえって難しい。君が分からんというのは実は本当なんだ。世の中は因果の法理に暗いものだから、こんな社会ができるんだ。因果の法理が本当に分かれば、それは大悟だ。釈迦の教えも万事終われりで、法華経も何もかもがお茶の子だ。」
何でもないことのはずが、どうしても腑に落ちない私は、更に問い詰めてみた。すると先生は、箸をテコにして語り出した。
「これも因果だ。一方を押す因があるから、一方に上がる果がある。世の中はこんなもので、貧乏人がやたら金持ちの前に頭を下げるから、金持ちが首をもち上げるんだ。」
滑稽な内容だったが、かえって頷けるものがあった。
先生の話は、相手の反応を見て進めるやり方なので、私の思考に合わせて説明していただけることが、何よりもありがたかった。
その後、お題目を唱えていると、照沼がやってきた。共に題目を唱え、二人きりになったとき、照沼はこんな話をしてくれた。
「小沼君、日蓮上人の信仰生活というのは、言わば大地を的(まと)とした信仰で、個人的な成仏の修行生活ではないようだね。日蓮上人の御遺文集を見ると、それがよく分かる。御遺文集の『如説修業抄』の一節に・・・。」
天下諸乗一仏乗となって、妙法独り繁昌せん時、万民一同南無妙法蓮華経と唱え奉ら
ば、吹く風、枝を鳴らさず、雨、壌を砕かず、代は義農の世となりて、今生に不祥の災
難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理、顕れん時を御覧ぜよ。現世安穏の証
文、疑いあるべからざるなり・・・。
「・・・とある。どうです小沼君、日蓮上人の理想と抱負は実に大きなものでしょう。個人主義的な己人成仏ではなく、現実的な社会、国家、人類の成仏にあるんですから。お経の自我偈(じがげ)には、『我此土安穏、天人常充満』ともある。ここが大理想境なんだね。何ごとも、現実の世界に理想を求めてやまないのが日蓮主義の真髄ということで、我々もここを信じ、ここを生活していかなくちゃならないと思うんだ。」
私の脳裏に落合製菓のこと、豊子のことが浮かんだ。
それと同時に、感激と興奮が私の心を支配し、照沼の手をがっちりと握りしめずにはいられなかった。
それから間もないある日、護国堂を訪ねると、古内が来ていた。
「いいところに来ましたね。まあ、上がって。」
と言うので、言われるままに堂内に上がると、他にも多くの来客があるようだ。
ほとんど見知らぬ人ばかり。私が困惑しながら席につくと、先生は私を指し示しながら「同志の小沼君。」と皆に紹介された。
来客者は海軍中尉や士官候補生、それから茨城県庁職員といった面々で、総勢七名だった。皆、制服を着ていないので、紹介されるまで、軍人や職員だとは分からなかった。
彼らは先生や木島氏などと共に、日本の現状について議論を闘わせていた。
その中でも特に印象的だったのは、藤井斉(ひとし)中尉だ。
目立つほどに張った顎と、真一文字にきりっと結んだ口、爛々と目を光らせ、熱弁を振るっていた。
海軍や県庁職員にも、社会を憂う人たちがいることを知り、私は仄かなときめきを帯びながら傾聴していた。
帰路、私は、今回の不可解な集まりについて、古内に尋ねてみた。
なぜか口ごもる古内。
煮え切らない態度に、私はイライラして、語気を強めて問い質してしまった。
私から初めて荒っぽく言われたためか、古内は瞬きを忘れるほど驚いた様子だったが、ようやく答えてくれた。
「私たちと一緒に行く人かもしれない。」
曖昧な答えだった。私のイライラは収まらない。
「一緒に行くって、どこへ。」
私の唇は尖っていたことだろう。古内はまた押し黙ってしまった。
「隠さんでもいいじゃないか。」
「別に隠すわけじゃないが・・・。」
まだ言い渋る古内。私は業を煮やして、覗き込むようにして睨み据えた。とうとう観念したのか、諦めたのか、重かった口が開かれた。
「もしかすると、我々の同志になり得る人たちかもしれないということだよ。」
「同志って、彼らも題目を唱えているのか。」
「と言うよりは、共に日本の現状を憂いている同志だね。日召先生は、同志を増やそうと、すなわち『同志倍加運動』をおこなっているんだよ。」
勿体ぶった割には、大きな衝撃も感じられず、私は淡々と聞き入ってしまった。
先生が何をしようとしているのかは分からなかったが、何を目的にしているかについては朧気ながら感じ取っていた。
唱題のときの時事問題や時局批判、日本精神や法華経の崇高な理想など、随所に片鱗はあった。
だからなのか、私の心には当然だという気持ちの方が強く、何に躊躇して話そうとしてくれなかったのかと、別の意味で古内に怒りを感じたほどだった。
これ以降、私は積極的に社会の問題について、古内や照沼を相手に討論を交わし、自分の境遇や考え、身の処し方を自分なりに見つめようと心がけた。
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