第二章 護国堂

第二章 護国堂 その1

 一九三〇年(昭和五年)四月上旬、『天狗連』の一行が大洗の立正護国堂に向かおうという当日は、午後から黒い雨雲が垂れ込め、三時頃になると強い風も加わって土砂降りとなった。


 しかし、その夜の護国堂行きは、是が非でも決行しようと、皆の決意は固かった。


 母や兄は「こんな雨の中・・・。」と、しきりに引き留めたが、私は聞く耳も持たず、駅舎へと向かった。


 七時過ぎ、阿字ヶ浦駅を出発。私と大二君、それから古内、照沼を含む七人は、薄暗い夜汽車に揺られて、大洗を目指した。


 ふと窓外に目をやれば、風は更に激しくなり、暴風雨となっている。路傍の花が彩り美しく舞い散っている。


 護国堂は大洗東光台の一角、松林の片隅にあった。駅舎からは少し距離がある。私は道すがら、古内に日召先生について伺ってみた。


 先生は、地元の人間ではなく、群馬県出身との事だった。


 南満州鉄道社員として調査業務をおこないながら、中国第三革命に参加したり、陸軍の諜報勤務員になるなど、激動の人生を歩まれ、大陸各地を転々としたのち帰国。法華経に深く帰依して、日召と号したのだそうだ。


 大洗には、維新の元勲、田中光顕伯爵の秘書、高井徳次郎氏の懇請を受けて来たのだという。


 水戸人の高井氏は、若者を育成する場所を作りたいと考えていた。日召先生は田中伯とも旧知の仲だったため、白羽の矢が立ったのだった。


 雨の飛沫を受けながら、古内の説明を聞いているうちに、我々は護国堂に辿り着いた。建物はまだ新しいため、荘厳という雰囲気ではないが、なかなか立派な伽藍だ。


 堂内には、日召先生とは満州時代からの友人という、木島という方が案内してくれた。


 中に上がると、大きな曼荼羅が目についた。かなり古い時代のもののようで、まだ木の香が残っていそうな堂宇には、少し不釣り合いな感じがした。


 先生は断食中との事で、断食堂から出てくるまで、我々は、しばらく待つこととなった。


 この日の夜は、春だというのに肌寒く、我々は炭火を起こして暖を取った。そうしているうちに、日召先生がこちらにやってきた。


 正座をして待つ我々の前に、先生は痩せた体に墨染の法衣という姿で現れた。断食中のためか、髭は伸ばし放題だ。


 先生が対座し、顔をゆっくりとこちらに向けたとき、私は雷が直撃したような気分になった。


 先生の姿は、いつかの夢に現れた僧侶そのものだったのだ。


 私の心は一気にたかぶり、興奮と緊張と戸惑いで、焦点をどこに当てたらよいのか分からなくなってしまった。


 そんな私の心情など知る由もない先生は、対面する我々の顔を見回すと、「なにぶん、断食中のことで、大きな声が出ない。もっと近くに寄ってくれたまえ。」と言って、皆を火鉢のまわりに招き寄せた。


 そして、低く信念に満ちた声で、一言一句、心に刻むように、ゆっくりと語り始めた。


「世の中の人はよく、善とか悪などという言葉を口にします。しかし、善悪についての基準がどこにあるかというと、これがよく分かっていません。基準が分からずに、善悪を論じても始まりません。私は、大自然の法則に従うことが善で、逆に、大自然の法則に背くことが悪であると思っております。ただ、生命そのものは絶対的で、完全なものでありますから、相対的な善悪はありません。例えば太陽系は、太陽を中心に回っておりますが、その中心は孤立して存在するのではなく、全体と絶対不可分なので、つまり、部分であり、全体であるところの中心なのです。」


 私にはよく理解できなかったが、それは他の者も同じようで、皆、間抜けな顔をして口を閉じるのを忘れている。そんな我々の反応を無視し、先生はつづける。


「国家においてもまた然りで、完全なる国家とは、ただひとりの元首があり、その元首も国民と一体不二でなければなりません。そう考えると我が国は、真に完全な国家、天壌無窮の国体といえましょう。なぜかといえば、天照大神を直系に神勅が皇孫に授けられ、スメラミコトは国民の大御親ですから、一身に主・師・親の三徳を有する現神であり、国民は神人一如のスメラミコトの赤子であり、大御宝なのです。時間や空間に拘束されるようであれば、天壌無窮とは言えません。」


 難解な講義が終わったあと、先生はお題目の唱え方について、懇切丁寧に指導してくださった。


「唱題は口先ばかりではだめです。お題目は、身、口、意の三行で唱えるのでなければ意味がありません。下腹部に力を入れて、静かに唱えるものです。」


 先生は更に座禅の組み方も教えてくださった。


 やがて、日蓮上人の銅像が安置された須弥壇の前で、先生を導師とした勤行が始まった。


 先生の声は、かつて見た夢の僧侶の声と全く同じで、その因縁の不思議さに私の心は激しく震えていた。我々は導師につづいて、堂も破れよ、喉も裂けよとばかりに、声のかぎり、精根のつづくかぎりに「南無妙法蓮華経」を唱えた。


 断食中ということもあり、先生は、さすがに疲労が溜まったのか、唱題を終えると、再び断食堂に戻られた。


 あとに残った我々は、火鉢を囲んで木島氏の話を聞くことになった。木島氏も先生と同じく布教師として行動しているのだという。


 氏は国を憂うる心情を語られた。


「混乱する世界を統一し、根本より救済できるのは、日本以外にありません。これは我が国に課せられた使命なのです。しかし、今、我が国の日本精神は衰え、政治は腐敗し、世情は堕落してしまっています。使命を達成するためには、今日の日本を救済せねばなりません。これは青年の意気に待つ他ないのですが、法華経を信ずる青年行者でなければ、日本および世界の混乱を救うことはできないでしょう。奇しくも、大洗は大いに洗い清める意味に符合し、ここ東光台は、東洋を照らす大光明の発祥地たることを約束されています。また、立正護国堂の立正とは、正義を立てるという意味で、すなわち正義を以て、国家を護るということなんです。」


 木島氏の話が終わったときには、あれほど強く吹き荒れていた風雨は、嘘のようにぱったりとやんで、穏やかな星空が瞬いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る