第20話 水浴び



 食後、しばしの休息をとりつつ、探索結果について話し合った。

 白川たちの話によると、このシェルターからすこし離れたところに川があり、そこからさらに進んだ先に岸壁が聳えているらしい。

 距離的にどうやら島を一周して、僕たちの反対側まで行ったわけではないようだった。

 つまり島の反対側は、どうなっているのかよくわからないということになる。

 反対側を探索したければ、森を突っ切るか、海を泳いで渡るしかなさそうだが――。

 森はさらなる遭難や野生動物などの危険があるし、海から向かっても、上陸できそうな場所がなければ面倒だ。

 いまはどちらにしろ無理するほどじゃないか。

 ひとまず保留だな。


 というわけで。

 優先順位を再確認した結果、午後からはみんなで川へ向かうことになった。

 本当は二手に分かれて、こちらにも人を残そうか迷ったのだけれど、相談の結果、安全性を重視して全員で纏まって行動するほうを選んだ。

 川辺の様子も自分の目で確認しておきたいし、僕は可食性テストの最中なので、体調を崩す可能性もゼロではない。


 問題なさそうなら水源の確認をして、飲み水を確保する。

 他にも水浴びや洗濯など、体を衛生的に保っておくのも重要だ。

 もちろん汗を流してすっきりしたいという単純明快な理由も大きいのだけれど。


「みんな準備はできた?」

「空のペットボトルと火種は持ったわ」

「焚き火には灰と砂を被せておいたし、こちらも大丈夫そうよ」


 白川と柚木先生が返事をする。

 みんなで出かけるにあたり、焚き火と狼煙も一時的に移動させることにした。

 洗濯をするのはいいが、僕以外はみんな着替えがないので、洗った後すぐに乾燥させないと、全裸で過ごさなくてはならなくなるのだ。

 それはいろんな意味で危険だろう。

 まあそういうわけで、火種も忘れず用意した。


「私たちも準備できたよ」

「早くいこうぜ~」


 神山と浜崎が急かすように、声をかけてくる。


「よしそれじゃあ行こうか」


 僕たちは最低限の荷物を持って出発した。

 反対回りでも、特に景色は変わらず、青い海と白い砂浜が続いている。

 太陽が照りつけ、暑さに汗がふき出す。

 島の内側はヤシの木と見知らぬ熱帯植物が生い茂って、木陰ができていたので、その下を通るように移動した。



 しばらく歩くと、川が見えた。

 しかし話に聞いていたとおりの小川だ。

 幅は2メートルもなさそうで、水深も膝のあたりくらいだろうか。

 下流の河口でこれなのだから、上流は川というより沢みたいなものかもしれない。


「おおー、結構きれいじゃね?」


 川を覗きこんだ浜崎が言う。

 確かに濁りはすくない。

 昨日の雨は激しかったから、泥水みたいになっている可能性もあると考えていただけにこれは嬉しい誤算だった。

 とはいえ――。


「どんなに澄んで見えても、目には見えない雑菌がいるはずだから、生水だけは絶対飲まないでくれよ?」

「わかってるって」


 浜崎が肩をすくめる。

 さすがに言われるまでもないか。


「飲料水はできるだけ上流で汲みたいけど、そのためには川を遡って森に入る必要があるんだよな」

「川沿いは木々も少ないし、そこまで危険そうではないと思うけど」


 白川が言う。


「まあ、行けるところまで行ってみるか」


 河原は石がごろごろとしていて歩きにくいが、視界は悪くない。

 ついでに薪になりそうな木の枝を拾いながら、しばらく進むと崖に突き当たった。

 川の水はその上から流れてきているようだ。

 崖の下には小さな滝壺があった。


「行き止まり、だな」

「高いね。迂回してどこか登れそうなところ探す?」


 白川が崖を見上げて言った。

 崖の下は日陰になりやすいのか、植物もそこまで茂っているわけではないが、それでも藪の中には、なにがいるかわからないので気をつけるに越したことはないだろう。


「いまはそこまでする必要はないと思う。水もここで汲むことにしようか。あとは簡単にろ過してから沸騰させれば安全な飲み水になるはずだ」

「水浴びもここでするのか?」


 浜崎が滝壺に手を入れた。


「お~ちょっと冷たい」


 僕も手を入れてみる。

 なるほど、確かに冷たい。

 だけど、いまの暑さには気持ちがいいな。

 それに水は澄んでいるし、深さもほどほどだ。


「そうだな、ここでいいんじゃないかな。みんなはどう思う」

「私もここがいいと思う。河口の水より綺麗そうだし、ここは開けてるから日光も射して悪くないわ」

「私も賛成だ」

「うん、いいんじゃないかしら」


 みんなも気にいったようなので、ここに決めた。

 まずは持ってきた火種――火のついた薪――を河原の平らな場所に設置して、拾った薪をくべていく。

 あとは漂着ゴミのロープなどを使って、焚き火のそばに物干しを作る。


「それじゃあ僕は追加の薪でも集めてくるから、みんなは先に洗濯と水浴びをするってことでいいかな?」

「先にごめんね。できるだけすぐに済ませるから」

「急がなくていいよ。そうだ、歯ブラシセットもあるんだけど、どうする?」

「使う、使う!」


 浜崎が元気よく返事した。

 特になにも考えて無さそうな顔だ。


「えっと、みんなと共有することになるんだけど、それでもいい?」

「あ……」


 浜崎が言葉を失くし、視線を彷徨わせた。

 みんなも迷うように顔を見合わせる。

 そんな中で最初に口火を切ったのは神山だった。


「私はそれでも構わないよ。歯ブラシを誰かと共有することに抵抗感がないわけではないが、状況が状況だ。なによりここにいるみんなとならそれくらい受け入れられるよ」


 神山ははっきりと言い切った。

 なんていうか、さすがだ。

 潔い覚悟の決め方は、彼女らしいと思った。


「私も借りていいかしら。無人島に遭難しただけでも大変なのに、もし虫歯になったりしたら、日本に帰ってからも大変だもの」


 柚木先生が言う。


「まあ、そうよね。いまの状況じゃ、贅沢いってられないものね」


 白川も自分を納得させるように頷く。


「えー、みんないいのかよ? 自分の使った歯ブラシを誰かに使わせるって、なんかさー、恥ずかしいっていうか……アレじゃね?」


 浜崎が顔を赤くして言った。

 気持ちは分からないでもない。

 なんていうのか、普通は他人と共有するものじゃないから、余計に気になってしまうんだよな。


「効果は落ちるけど、歯ブラシを使わなくても、指とかハンカチで歯磨きする方法もあるから、浜崎はそうする?」


 僕が提案すると、浜崎が眉をひそめる。


「そんなのヤなんだけど。アタシだけ口くさいとかなったら、もう生きていけない」

「じゃあどうするんだ?」

「…………使う。アタシも借りるから! ちゃんと貸してよね」

「じゃあ、みんなで使ってくれ。ただ歯磨き粉は旅行用の小さいやつだから無駄遣いしないようにだけ気をつけてほしい」


 歯ブラシセットを手渡すと、顔を赤くした浜崎に上目遣いで睨まれた。

 恥ずかしいのは分かるけど、だからといって僕を睨まれても困る。

 まあこのくらい可愛らしいものではあるけれど。


 とりあえず話しておくことはもうないので、僕はそそくさとその場を去った。

 滝壺が見えないあたりまで来ると、ほっと一息つく。

 女性四人の中に男一人だと、いろいろ気を使うというか、緊張する。

 やっぱり一人の時間も大切だな。

 森の中は危険も多いが、癒されもする。


 のんびりと薪拾いをしながら、川沿いを散策していると、サトイモっぽい葉っぱを見つけた。

 こんな島にサトイモ?

 いや、南太平洋の島といったらタロイモか。

 タロイモ、ヤムイモ、キャッサバなど、芋類が太平洋の島々では主食だったはずだ。

 でもクワズイモっていう、その名の通り、食えないやつもあるから気をつけなくてはならない。

 慎重に葉っぱを見て、スマホの植物図鑑で調べてみるが――わからない。

 特徴がよく似ていて葉っぱでは、いまいち同定できない。

 となるとやはり芋の部分を掘り起こしてみるか。

 根元を調べてみると、近くに掘り返した跡があった。


 人――じゃあない。

 動物の足跡がある。

 蹄の足跡。

 二つに分かれている。

 つまり偶蹄類。

 イノシシか?

 だけどこんな無人島に?

 日本ではイノシシが瀬戸内海を泳いで渡ったりするらしいけれど、この島と他の島の間はそんな短い距離じゃない。

 てことはさすがにイノシシじゃないよな。

 となるとブタがヤギだろうか。

 ブタは昔のオーストロネシア人やポリネシアンと呼ばれる人々が、ヤギは大航海時代以降のヨーロッパ人が太平洋の島々に持ち込んでいる。

 イモを食うならブタかな?


 スマホのサバイバル本を開いて、追跡トラッキングの項目を読む。

 日本では使う機会なんてなかったし、必要ないと思ってたんだけど、まさか役立つ日が来るとはな。

 足跡から大きさや、数などを調べてみる。

 おそらく成獣。

 どうやら一頭だけのようだ。

 子どもがいなくてよかった。

 子連れの母親だったら、遭遇するなり問答無用で襲われる危険性もある。


 問題はどこから来て、どこへ向かったのか?

 当然ながら一頭だけのはずもない。

 慎重に足跡を追跡していると、滝壺のほうで悲鳴が上がった。


 まさか――。


 急いで、駆け付ける。

 そこまで離れていないので、すぐに着く。

 そこではみんなが水浴びしていたのだけれど――。


 神山が全裸のままで木の棒を持って、森の方へ構えている。

 その後ろには白川が庇われるようにして隠れていたのだが、服を着ておらず明らかに無防備だった。

 柚木先生と浜崎はお互い裸で抱き合いながら、なにやら慌てている。


 どうやらみんな無事のようだが、なにがあったんだ?


「大丈夫か!?」

「え? キャー!? いまは来ちゃダメ!」


 今度は僕に向けての悲鳴が上がった。


「わ、悪い」


 すぐに後ろを向く。


「で、なにがあったんだ?」

「なにがっていうか、なにかいたんだよ!」


 浜崎が言った。


「動物か?」

「たぶん」

「いまはどこに?」

「わかんねーけど、麻衣が悲鳴あげたらどっか行った」


 なら一先ず大丈夫ってことか。

 森の方をざっと見回すが、特になにかがいる様子はない。

 川辺の焚き火に、洗濯ものが干してあるだけだ。

 下着なども堂々と干されているのに驚いたが、女性しかいないなら気にしなくてもおかしくはないのか。

 ってじっと見てる場合じゃない、慌てて目を逸らす。


「ご、ごめんね。ちょっとびっくりしちゃって」


 白川の申し訳なさそうな声が聞こえた。


「い、いや僕も近くで動物の痕跡を見つけて、ちょっと焦ってたみたいだ。先に声かけなくて悪かった」

「ううん。結城君は悪くないよ。たださっき見たものは忘れて欲しいんだけど……」


 白川が消え入りそうな声で言う。

 そういわれても、ばっちり見てしまったので、忘れることは難しそうだった。

 忘れようと意識すればするほど、逆にみんなの全裸が思い出されてしまう。


「いっそのこと結城君も一緒に入ればいいのでは?」


 僕が深呼吸して冷静になろうとしていると、神山が突然そんなことを言い出した。

 一体どういう考えで、その結論に至ったんだ?


「なぎさ!? なに言ってんだよ」

「そうよ、一緒になんて破廉恥でしょ?」


 浜崎と白川がなにやら抗議している。

 僕もこの状況で一緒というのは、さすがに我慢できないかもしれないので、危険な誘いだった。


「しかし、海の上を漂流していた夜を思えば――」

「わー!」

「むぐぐ」


 背後で水飛沫を上げる音と、誰かが口を塞がれたような、くぐもった声を上げた。

 なんだか楽しそうだな。

 いつのまにかだいぶ仲良くなっているようだった。


「なんでもないからな!」

「――わかってるよ」


 正直なところ惜しい気もするが、一緒に入ろうとは口にしなかった。


「僕は放り出してきた薪を拾ってくるよ」


 そう言って、僕はその場から離れたのだった。


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