第17話 探索


 浜崎がはしゃぐように、浜辺の砂を蹴り歩いていた。

 スカートから伸びる白い脚は、出かける前に塗っていたココナッツオイルで艶々として、健康的な色気が漂っている。

 僕はその後ろ姿を眺めつつ、周辺の地理を確認していた。

 浜崎と二人で探索に出かけること早十分。

 島の外周は緩やかなカーブを描いており、シェルターのあった場所は、すでに見えないところまで来ていた。

 しかし振り返って空を見上げると、一筋の白い煙が立ちのぼっているのが見える。

 柚木先生が焚いている狼煙だ。

 離れて見ると、細く、薄く、上空で風に流され霧散してしまっている。

 これじゃあ数キロ先からは視認できそうもない。

 戻ったら、一度見直す必要がありそうだ。


 まあそれはそれとして。

 いまは島の探索に集中しよう。

 島の内側はジャングルのような森が生い茂り、人の痕跡は皆無。

 まだ水源も見つかっていない。

 収穫はいまのところ落ちていたココナッツと漂着ゴミだけだった。


「あっ、ゴムサンダル」


 僕が片足だけのゴムサンダルを拾い上げると、浜崎が顔をしかめる。


「なんでこんなときまでゴミ拾いしてんだよ」

「ゴミじゃないよ。これも貴重な資源だ」

「そういうことじゃなくてさぁ……」


 不満そうな表情で浜崎は言葉を濁す。

 これまでの態度から、なんとなく言いたいことを想像してみた。


 いまの状況を端的に表すなら、二人きりでビーチを散歩する男女ということになる。

 すなわちデートと呼んでもいい状況だった。

 そんなときに、ゴミ拾いだなんて空気が読めないにもほどがある。

 そういうことだろうか?


 僕だって遭難中でさえなければ、素直に楽しめただろう。

 それとも、こんなときだからこそ、楽しむべきなのだろうか?

 寝ても覚めても、現状を深刻に捉え続けることは精神的に大きな負担だ。

 このままでは早晩、心を病んでもおかしくはないだろう。

 ならばいっそ浜崎を見習ってみるのも悪くはないのかもしれない。


 浜崎を見てみると、こんな状況でも悲観的な顔はしておらず、太陽のように楽観的な表情をしている。

 金髪が海風にたなびき、日の光を浴びてキラキラと輝く姿に思わず見惚れた。


「な、なんだよ?」


 僕がじっと見ていると、浜崎がもじもじする。


「んー浜崎は綺麗だなって思ってさ」

「はあ!? いきなりなに言ってんだ!」


 浜崎が動揺して、顔を真っ赤にする。

 こうも分かりやすいと、ついついからかいたくなってしまう。

 小学生じゃないんだから、我ながらなにをしているのかといいたくもなるけれど――。

 それでも、この状況を楽しく思い始めていた。

 浜崎にもゴミ拾い――ならぬ浜歩きの楽しみ方を教えてあげよう。


「浜崎はビーチコーミングって知ってる?」

「き、急になんだよ?」

「ビーチコーミングっていうのは、浜辺で漂着物を観察したり、収集や加工をしてアクセサリーなんかを作ったりするんだけどね――」


 説明しながら、僕は足下のガラス片を拾い上げる。


「例えばこれはビーチグラスとかシ―グラスって呼ばれるもの」


 元はただのガラス瓶だけれど、それが割れて海と砂で磨かれると、角が取れた綺麗な曇りガラスの小片が出来上がる。

 人と自然が作り上げた作品といってもいいかもしれない。


「へー、綺麗だな」

「浜崎にあげる」

「いいの?」

「うん、浜崎にはその色が似合うね」


 プレゼントしたビーチグラスは、海の結晶みたいな色をしていた。


「あ、ありがと」


 頬の赤い浜崎がはにかむ。


「どういたしまして」


 感謝するのは僕の方だった。

 すこし精神的にゆとりが持てた気がする。

 これはそのお礼だ。

 微笑み返してやると、浜崎が挙動不審に視線を彷徨わせる。


「それじゃあ、行こうか?」

「あ、待てって」


 慌ててついてくる浜崎に歩調を合わせ、浜辺を二人で歩いていく。

 波の音を聞きながら、どこまでも広がる水平線を眺める。

 砂浜には僕たちがつくる足跡以外に人の痕跡はなく、世界中に僕と浜崎の二人だけのようだった。



 しばらく進むと、海岸に大きめの石が転がるようになり、ついには高い岸壁に進路を塞がれた。

 優に十メートル以上はあるだろう。


「すげー大きさだな」


 浜崎が感嘆の声を上げる。

 海に突き出した切り立つ崖は、とてもじゃないが登れるような場所じゃなかった。

 高さもさることながら、岩肌がごつごつとして鋭く尖っている。

 そもそも僕はロッククライマーでもなんでもないのだ。

 万全の状態でもこれは危険すぎるだろう。

 しかし島の内部から反対側へ通り抜けるには、森の中を突っ切る必要がある。

 どちらにしてもリスクは高いようだった。


「どうすんの?」

「そうだな……これ以上は無理をする場面じゃないし、一旦戻るとしよう」


 浜崎に答えつつ、スマホで時間を確認すると、出発してからまだ三十分も経っていなかった。

 反対回りに進んでいる、神山と白川はいまどのあたりにいるのだろう。

 いずれにしろ、彼女たちも引き返すことになるはずだ。

 僕たちも早めに戻るか?

 しかしこのままでは成果が少なすぎる。

 少なくとも探索で消費したカロリー分だけでも取り戻したいところだ。

 このままじゃ近いうちに、エネルギー不足でみんな体が動かせなくなる。

 そうなる前に、手は打っておかないといけない。


「浜崎、すこし付き合ってくれないか」

「え!?」


 浜崎が大げさに驚く。

 いや、いまのは僕の言い方のせいで誤解を招いたのか?


「えっと、変な意味じゃなく。なにか食料だけでも調達して帰ろうと思うんだけど」

「あ、うん。まあいいけど……」


 いつもはお腹が空いたと、口にして憚らないのだが、浜崎は歯切れ悪く答えた。

 なんとなく気まずい雰囲気になりそうだったので、浜崎の要望を聞いてみる。


「浜崎はなにか食べたいものとかある?」

「じゃあハンバーガーとフライドポテト、コーラ付きね」


 無茶を言ってくれる。

 浜崎の顔を見ると、どこかイタズラっぽい笑みを浮かべていた。

 どうやら僕はからかわれているようだ。

 しかしこうなると、逆に驚かせてやりたくもなる。

 なんとかできないものか。


「考えとくよ」

「へー、なら期待して待ってる」


 浜崎が挑発的な笑みを見せた。

 もう気まずさはない。

 いつもの調子だ。

 これ以上余計なことは言わずに、僕も気合を入れて食材を探すとしよう。


 とはいえだ。

 いまはハンバーガーなんて作れっこないので、海岸で獲れる獲物を狙うことになる。

 岸壁の下は磯辺になっており、岩に張り付く貝やカニが見え隠れしていた。

 とりあえずはこいつらでいいだろう。

 僕が岩の下に隠れるカニを引きずり出そうとしていると、頭上から声がかかる。


「なあ、海の中めっちゃ魚いるんだけど!」


 浜崎は岩の上にしゃがみこんで、海中を覗いていた。

 またパンツが見えそうになっている。

 スカートなんだから、もうすこし気をつけた方が……。

 注意すると、それはそれで気まずくなりそうだから、結局はなにもいわずに浜崎から視線を外し、海の中に目を凝らした。


 水は透き通り、確かに魚影はばっちりと見えている。

 浜崎は舌なめずりする猫のように、それらを目で追っていた。

 貝やカニのほうが確実で量も十分に確保できると思うんだけど、魚も一匹くらい狙ってみるか?

 ただし釣り道具も銛もないので手段は限られている。

 魚網は浜辺でいくつか拾ったけれど、絡まってたり、穴があいてたりと、そのままでは使えないものばかりだ。

 しかたない――。

 本当はあまりやりたくない手だが、生きるためには選り好みしている場合じゃないだろう。

 近くの岩場で、手頃な大きさの石を探す。

 程よくずっしりと重い石が見つかった。

 こんなものだろうか。


「浜崎はすこし離れてて」

「なにすんの?」

「石打ち漁ってやつをやってみる」


 ガチンコ漁とも呼ばれる漁法。

 これは水辺の岩場に石などを投げつけ、石を打ちつけた衝撃で岩礁の陰に潜む魚を気絶させたり、弱らせることで手掴みで魚を獲ることができるというものだ。

 ただしこの漁法はその場に棲息している魚たちを根絶やしにしかねないので、日本では禁止されている行為でもある。

 しかしいまは緊急避難として見逃してもらおうと思う。

 いや、そもそもここは外国だ。

 日本の法律もルールも関係ない。

 なるべく自然破壊はしないようにだけ気をつければいいだろう。


 岩場の魚影をじっと観察する。

 この漁法は、実際のところ効果範囲は限られている。

 打ち付ける岩場と近い位置に魚がいないと、気絶させるほどの衝撃は与えられないのだ。

 ダイナマイトでも使えば、それこそ周囲一帯を根こそぎにできるだろうけれど――。

 そんなものは当然持ち合わせていない。


 しばらく期を窺っていると、海面に突き出ている岩礁の陰に一匹の魚が隠れた。

 大きさもそれなりにある。

 チャンスは今しかない。

 大きく振りかぶって投げた。

 石と岩礁がぶつかり、割れた石が派手に水飛沫を上げて海に散らばっていく。


 すぐさま岩陰に近寄り魚を探す――いた。

 動きが鈍っている。

 手を伸ばし、そのまま掴みとった。


「獲った」

「おー! すげーじゃん!」


 安全な場所で待機していた浜崎が駆け寄ってくる。

 まさか一発で獲れるとは思ってもなかった。

 掴みとった魚はどうやらまだ生きている。

 これ以上無駄に苦しませないためにも、岩の上ですぐに締めた。


「これなんて魚?」

「種類は――シマスズメダイ、かな?」


 特徴的な縞模様。

 全長は15cmくらい。

 生息場所も主にサンゴ礁や岩礁域の浅瀬だから、ほぼ間違いないと思う。

 でも外国だから、もしかしたらよく似た別種の可能性もあるけれど。


「で、それ食べれんの?」

「うん。一応食用だよ。市場に出回るような魚ではないけれど、毒はないはずだから、このまま塩焼きにして食べればいいんじゃないかな」

「いいね!」


 浜崎が前かがみになって魚を見ている。

 するとシャツの隙間から、胸元が見えそうになった。

 油断しているのか隙が多すぎて、目のやり場に困る。

 やっぱり一度それとなく注意しておこうか?

 一人でもんもんとしていると、急に浜崎が顔を上げる。


「もっと獲れないの?」

「え、あ、そうだな。さっきのでこのあたりの魚たちはほとんど逃げて行ったからなあ。難しいと思う」

「てことは一匹だけ?」

「あとは貝とかカニでも探そうか」


 内心を悟られないよう、話題を切り替える。

 こちらは捕まえやすく、数もある程度確保できる食材だ。


「え~? その辺にいるやつって食べれるの?」


 浜崎が懐疑的な表情をする。


「一部は毒があるかもしれないけど、食べる前にちょっとしたテストもするから大丈夫だと思うよ」

「毒!? ほんとに大丈夫なの? アタシこの魚だけでいいんだけど――」


 浜崎が顔をひきつらせる。

 心配しなくとも、無理に食べさせるつもりはない。

 そして僕も無理をするつもりはなかった。

 そもそもこれは昨夜先生とも話し合って決めたことでもある。

 まあ一度は反対されたりもしたけれど、僕が可能な限り安全を考慮するということで納得してもらった。

 どのみち避けては通れないのだ。

 体力があるうちにテストをすることは悪いことではないだろう。


「浜崎を危険にさらすつもりはないよ。魚だけでいいっていうなら、それでもいいし」

「え、いいのか?」

「もちろん」


 それを聞いて浜崎はほっと息を吐いた。

 僕はそこまで鬼畜じゃないよ。


「まあそういうわけだから、僕が食べる分の貝を採取するのを手伝ってくれるか?」

「ほんとに食べんの? 結城も魚だけでいいんじゃ――」

「みんなで分けるんだから、僕までそれを食べたら、全然お腹膨れないだろ?」

「うーん」


 浜崎が唸る。

 はっきりいって一人一匹でも満腹にはならない量なのだ。

 魚以外の食材も必要なのは明白だった。


「大丈夫だって、僕はこれでも慎重な人間なんだ。ある程度の勝算がなければ、賭けにはでない」


 臆病だとか、つまらないやつだと思われてもしかたない――それは理解している。

 しかし自分の命が懸かってる以上、それくらいの慎重さは大切だ。

 浜崎をまっすぐに見据えると、彼女は溜め息を吐いた。


「はあ、しゃーねーな。アタシはおまえを信じるからな」

「その信頼を裏切らないよう気をつけるよ」


 僕たちは、もうしばらく食材採取をしてから戻ることにした。


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