第15話 遭難二日目の終わり


 僕と柚木先生は隣席する形で焚き火の番をしていた。

 これは僕たちが墜落した方角を見張りつつ、海側から見たときに火の明かりを遮らない位置取りを考えた結果だ。

 他のみんなは夕食を摂ったあと、体を清潔にして、そのまま泥のように眠ってしまったので、起きているのは僕たち二人だけだった。

 大人の女性と二人きりで夜を過ごすなんて初めてだ。

 もちろん、いまの状況ではロマンの欠片もないのだけれど。

 柚木先生を横目で窺うと、すこし寒そうに白衣を掻き抱いていた。

 白衣の下は、薄手のシャツとタイトなスカート。

 脚はストッキングにヒールの高い靴と、お世辞にもいまの環境に適しているとはいえない格好だった。

 そのうえ雨が降った後、すぐに夜になったせいで、気温は下がったままだ。

 僕の着替えはみんなの布団代わりに使ってしまったので貸すこともできない。

 薪はあまり余裕がないけれど、救助の前に動けなくなっては本末転倒になる。


「先生、もうすこし火を大きくしましょうか?」

「え?」


 柚木先生が僕を見る。

 そして自分が体を縮こまらせているのに気づいて、苦笑を浮かべた。


「ごめんね。また気を使わせちゃったかしら? このくらいの寒さ平気よ」

「いま風邪を引いたら大変ですよ?」


 僕がそう言うと、柚木先生は軽く目を見開いた。

 現在の僕たちは疲労しており、体力、免疫力ともに低下しているはずだ。

 しかも栄養のある食事も摂れていない。

 この状況で風邪を引けば、治るものも治らないだろう。

 そうなればさらに体が弱って――と、悪循環に陥ることになる。


「そうね……わかったわ」


 柚木先生が言う。


「それじゃあこうしましょう」


 いいことを思いついたとばかりに、先生が体をくっつけてくる。

 なんのつもりかと尋ねる前に 腕を取られ、胸に抱くような格好で固定された。

 腕が柔らかな谷間に挟まっている。

 体が硬直し、体温が上昇していく。


「これなら温かいし、薪も温存できるでしょ?」


 なんでもないことのように柚木先生は言った。

 わかってやっているのか、天然なのか、判断がつかない。

 まさか先生のなかでは僕は犬猫と同じカテゴリーに入っているのだろうか?

 僕だって思春期の男子として、人並みの欲求ってやつを持ち合わせているのだ。

 状況が状況だから、理性で抑えているけれど、こんなことをされるとたがが外れそうになる。


 本当はいろいろ話をしておきたいことがあったのに、なにを話そうとしていたのか忘れてしまった。

 ただひたすら無言で海を見る。

 しばらくはどちらも黙っていた。

 波の音と、ときおり薪がぜる音だけが響く。



「なにも聞かないのね?」


 柚木先生がぽつりと呟く。

 聞くって、なにを?

 先生は僕の顔をじっと見ていた。


「聞いてほしいんですか?」

「そうなのかも」


 自信なさげな声だった。

 みんなが眠ったことで、、張っていた気が緩んだのかもしれない。

 柚木先生に普段の笑みはなかった。


「先生もやっぱり不安ですか?」

「ええ、もちろん」


 先生は答えた。


「結城君も?」

「そうですね。正直僕も不安だし、パニックになりそうな時もありましたよ」

「そう……なんだ」


 柚木先生がすこし意外そうな顔をする。

 僕だって、ただの学生だ。

 当然不安にもなる。

 一人だったら、きっといまよりずっとうろたえていただろう。


「だけど、みんながいるとなんとかしなくちゃいけないって気持ちになるんですよ」

「それは私たちが頼りないから?」

「いえ、そうではなくて――」


 なんだろう?

 自分でもよくわからない。

 ただ誰かの存在を意識するだけで、気持ちに変化があるのは確かだ。


「ともかく、みんながいてくれてよかったと思ってます」

「そっか」


 柚木先生がほっと息を吐いた。

 そして腕を離すと、今度は僕の頭を抱きしめた。

 胸の中に包まれる。

 不思議な感覚だった。

 さっきよりも全身で密着しているのに、ドキドキするより安心感がある。

 温かくて、いい匂いだ。

 みんがが寝る前に、先生もココナッツオイルを塗っていたんだっけ?

 このまま僕も眠りたくなった。


「私ね、先生になったとき、生徒の前で不安な顔はしないって決めてたの」


 柚木先生が言った。


「もうその決まりは破っちゃったんだけどね」


 抱きしめられているせいで、表情は見えなかったけれど、口ぶりからどこか自嘲しているようだった。


「だからこれからもみんなの前で、上手く先生として振る舞っていけるかわからなくなって。不安だったの」

「救助のことよりもですか?」

「もちろんそっちも心配だけど、救助が来るまでみんなを無事に引率するのが私の仕事なのよ」


 柚木先生は毅然として言った。

 この意識が結果的に先生自身の精神を安定させているのかもしれない。

 僕とは異なる理由だけれど、柚木先生にとってもみんなの存在が大きな役割を持っているようだった。

 きっとみんな同じだろう。

 誰かの存在が支えになることもある。

 僕が口を開こうとすると、先に柚木先生が言葉を続けた。


「それなのに!」


 先生が若干語気を強めた声を出す。


「結城君が私の代わりに全部やっちゃうんだもの。余計に自信失くしちゃうわ」

「え、いや、それは――」


 柚木先生が拗ねるように吐き出した言葉に動揺する。

 僕のせいで、先生がこんなことを思っていたとは想像していなかった。

 何といえばいいのか迷っていると――

 

「だから結城君は私に甘えなさい。先生の前では不安や不満を遠慮せずに言っていいのよ」


 そういって柚木先生は抱きしめていた腕を緩めると、僕の顔を真正面から見つめる。

 真面目な表情だった。

 冗談じゃなくて、どうやら本気で言っているらしい。


 だけど甘えるだなんて、僕にできるだろうか。

 気恥ずかしさが先立って、結局いつもと変わらないような気がする。

 それでも、そうすることで柚木先生が再び自信を持って歩き出してくれるのなら――答えは一つしかなかった。


「わかりました」


 僕は答える。


「その代わりに先生も普通に接してください」

「え? 普通?」

「さっきみたいに愚痴を吐いたりするだけでもいいんですけど、気を張ってばかりじゃ気疲れするでしょう?」


 定期的にガス抜きしないと、いつか爆発しかねない。

 感情の問題というのは、そういう厄介さがある。

 それになんといっても僕だけ甘えるのも、なんだか気恥かしいので、こちらからも条件を出させて貰う。


「そういわれても――」


 柚木先生は戸惑うように、視線を彷徨わせる。

 僕が了承した以上は、先生にもこの条件を飲んでもらうつもりだった。


「友人とかの前だと、どんな感じなんですか?」

「それはもっと気安い感じだけど、友人は同性ばかりだし、同じように接するのは無理よ」

「彼氏とかは?」

「いないわ」


 柚木先生はむすっとした。

 あれ?

 意外だ。

 柚木先生は美人なので、周りは放っておかないと思っていた。


「先生になってから、仕事一筋で頑張ってきたの」


 どこか言い訳のように、柚木先生は付け加える。


「そういう結城君は、付き合ってる子とかいるの?」

「――いないですね」


 人のことを言えないな。

 僕の場合は興味があっても、それに付随する面倒事を考えると、どうしても億劫になる。

 そして誰とも付き合うことはなかった。

 いや、それも結局は言い訳なのかもしれない。


「好きな子は? 白川さんと浜崎さんは同じクラスなんでしょ。二人はどう?」


 柚木先生が先ほどとは打って変わって、生き生きとした表情で尋ねてくる。

 恋愛事に関心がないわけじゃないようだ。


「どうっていわれても――」

「白川さんって結構人気あるでしょ。清楚で、誰にでも人当たりがいいから」


 柚木先生が言う。

 たしかにクラスでは男女問わず人気がある。

 僕が普段から挨拶する、数少ない女子生徒の一人でもあった。


「それとも浜崎さんのほうが好み? 今日いい雰囲気だったでしょ?」


 僕が喋る間もなく、彼女は話を進めていく。

 このままじゃ、勝手に僕の好きな人が決めつけられそうだった。


「いや、あれはそういうのじゃないですよ?」

「ふ~ん? そうなの?」


 柚木先生はどこか納得してない表情を浮かべる。


「じゃあ神山さん? 彼女だけ下の名前で呼んでるわよね」

「それも違います。というより、先生もあのとき一緒だったじゃないですか」

「もう、つまらないわね」


 柚木先生が僕のノリの悪さを非難するように言う。

 これはだいぶ打ち解けてきたということなのだろうか。

 口調も砕けてきている。

 ただ言われっぱなしなのも、釈然としないので、逆に攻めてみることにした。


「先生はどうなんですか?」


 そういって僕は柚木先生の目をじっと見る。


「え?」


 ぽかんとする先生を黙って見つめ続ける。

 すると彼女は慌てだした。


「結城君、駄目よ!? 生徒と先生だなんて――」

「僕のことだとは一言もいってませんよ」


 柚木先生にニッコリと微笑んでやると、先生は焚き火の明かりでもわかるくらいに顔を赤く染めた。


「大人をからかうなんて、悪い子ね」

「子どもという年齢でもないですけど」

「そう、よね。もう子どもじゃないのよね――」


 柚木先生は言いながら、さらに動揺を強めた。

 なにを考えているのか?


「これからは先生としてではなく、ただの柚木――いやゆかりさんと呼ばせて貰いますね」

「ええ!? そんなのみんなに何て言えばいいの!?」

「なら二人のときだけにしますか? 僕もみんなの前ではいつも通りのほうがいいので」

「――二人のときだけよ?」


 顔を赤くした柚木先生が了承した。

 本気で照れている様子の彼女を見ていると、僕まで気恥ずかしくなってくる。

 ともかく、こうしてお互いに二人のときは、立場に関係なく、不安も愚痴も曝け出すことになったのだ。

 これからは遠慮せずに話していこうと思う。


「先生、じゃなくてゆかりさんに相談しようと思ってたことがあるんですけど、聞いてもらえますか?」

「え、ええ、もちろん」


 柚木先生はまだ頬が赤かったけれど、話を聞く態勢になった。

 本当はすこし迷ったけど、ここまできた以上、一度しっかり話し合っておく必要がある問題だ。


「今回の墜落はなにが原因だと思いますか? いえ、もっというなら救助はすぐに来ると思いますか?」


 一瞬、意表を突かれたような顔をした柚木先生が沈黙する。

 今日中に救助が来る、もしくは航空機や救助船などを見かけていれば、わざわざあのときのことを思い出すようなことを話すつもりはなかった。

 しかし救助隊の影も形も見当たらない以上、万が一の事態を考慮する必要性がある。


「私は事故だと思うけど、結城君はそうじゃないと思ってるの?」

「僕も事故の確率が一番高いとは思うんですけど、その場合速やかに救難信号が発信されているはずなんですよ」

「つまり墜落場所の特定は簡単だということ?」

「ええ、ならその日の内は無理だとしても、次の日には大規模な捜索活動が展開されてると思うんですけど――」


 そう言って僕は夜の海に視線を投じる。

 怪物が口を広げているみたいに、真っ暗な闇があるだけだった。


「なにも見当たらないわね」

「僕たちが墜落した場所から、結構な距離を流されたせいかとも考えたんですけど、普通は墜落地点を中心に広範囲の捜索はされてもおかしくないはずなので――」

「影も形も見えないということは、もしかするとそもそも墜落地点がわかっていない可能性もあるってことをいいたいのね?」

「可能性の話ですけど」


 僕の話を聞いて、柚木先生が深刻そうな顔になる。


 僕がまっさきに思い浮かべたのは、やっぱりあのマレーシアの航空機失踪だった。

 あれはパイロットが意図的にレーダーを切ったという説が有力視されていたけど、他にもハイジャック、事故、政府の陰謀など様々な説が飛び交っている。

 いまだに未解決で、何処に墜落したのかすら定かではない事件。

 ともかく、そういうただの事故じゃなかった場合、早期の救助は見込めない可能性があるということだ。


「結城君はこの相談をしたいから、私と夜の番をするって言い出したのね?」

「先生に――ゆかりさんにしか、いまはまだ話さないほうがいいと思って」

「そっか。でもわかったわ」


 柚木先生は困惑の表情を浮かべながらも、真面目に考えてくれるようだ。

 最悪の場合、ヒステリーなどを起して、自暴自棄な行動を取る可能性も考慮していたけれど、先生が冷静でよかった。


「具体的には長期のサバイバルも視野に入れた行動計画を考えてるんですけど、ゆかりさんの意見も聞かせてください」

 

 無人島の夜は長く、話すべきことは山ほどあった。

 僕が話して、ときおり柚木先生が質問をしたり、計画を修正する。

 結局、交代の六時間を越えるまで、柚木先生と話し合いをして、遭難二日目は過ぎていった。


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