第12話 スコール


 昼食のあと、軽く仮眠をとることにした。

 日差しが強く、行動するには暑すぎたこともあるが、なによりみんな睡眠不足だった。

 昨夜は飛行機の残骸で海を漂流していたので、疲れ果てていても熟睡なんてすることはできなかったのだ。


 火と狼煙は最低限の維持をして、タープの下で横になる。

 さらさらとした砂浜の柔らかな感触。

 波の音が絶えず鳴り響き、心地の良い眠りに誘われた。





 誰かに優しく肩をゆすられる感覚に、意識が覚醒する。

 目を覚ますと、神山の凛とした顔が僕のすぐ目の前にあった。


「おはよう、結城君」

「えっと、おはようございます。なぎさ――さんは寝なかったの?」

「誰か一人は起きてないといけないだろうと思ってね」

「すみません」

「いや、問題ないよ。今晩の火の番は結城君たちから始まるからね。いまは寝ておくのも大事だ」


 たしかにいま仮眠をとっていなかったら、夜に起きてるのは無理だっただろう。

 正直まだ体のだるさは抜けきっていないけれど、これ以上は地べたで寝ていても疲れが取れなさそうそうだった。


「なぎささん、ありがとうございました」

「なに、君の寝顔を眺めているのも悪くなかったよ。それよりも、またあのときみたいになぎさと呼んでくれないのかい?」


 神山が艶っぽい笑みを浮かべた。

 その表情に思わず見惚れそうになる。

 顔が熱を持っているのが、自分でもわかった。


「からかうのはやめてくれ」

「結構本気なんだが、君がそういうなら、いまはこれ以上言うまい」


 神山が少し残念そうな顔をする。

 僕が知っている神山なぎさという少女は、剣道部主将としていつも凛々しい表情をしている姿しか記憶になかった。

 だけどこの短期間で知った新たな一面によって、どんどん印象が変わっていく。


 第一印象は、女子としては高めの身長で、スタイルもいい美人というものだった。

 黒髪のポニーテールと切れ長の目は、気が強そうなイメージと相まって、どちらかというと近寄りがたい印象だったのだが、実際には意外と表情豊かというか、親しみやすい雰囲気を纏っている。

 付き合ってみると、案外気が合うかもしれない。


 ――って僕はなにを考えてるんだ。


 慌てて周囲を見渡す。

 他のみんなはまだ眠っているようだった。


 白川は制服をきっちりと着たまま、枕代わりのタオルを頭の下に敷いて寝ている。

 暑かったせいか、すこし寝汗をかいており、頬に一筋の髪が張り付いていた。

 それがどことなく色気があって、普段の清楚とした委員長とのギャップに、目が引きつけられそうになる。

 だけど女の子の寝顔をマジマジ見るのは、失礼な気がして視線を逸らす。


 隣では浜崎が寝ており、シャツのボタンがいくつか外れているせいで、はだけたシャツの隙間から胸の谷間とブラジャーがチラ見している。

 これはこれで目に毒だ。


 さらに隣では柚木先生が横になっているのだが、トレードマークの白衣を脱いで地面に敷いているようだ。

 しかしそのせいで薄着の状態になっており、体のラインがくっきりと見えている。

 胸の大きさは学校で一番だと、男子生徒の間でひそかに話題になっていたのだが、薄着のいまそれがおそらく本当だったことが理解できるくらいのボリュームがそこにあった。


「結城君、そろそろみんなも起こそうか?」


 神山の声に心臓が大きく跳ねた。

 どうやらすこしばかり気が緩んでいたようだ。

 思考がこれ以上おかしな方向へ向かう前に、気を引き締めなおす。


「えっと、いまは何時くらいだっけ?」


 腕時計を確かめる。

 時間は15時を示していた。

 そういえば時差の調整はしていないので、現在地の正確な時間とは多少のズレが生じている可能性もある。

 まあ、いまはそれほど重要ではないか。

 ともかく、太陽が傾きだして、暑さのピークは過ぎる時間帯に入ろうとしていた。


「もうちょっと寝かせといてあげたいけど、そろそろ起こした方がいいかもしれないね」

「うん。それにすこしばかり気になることもあるんだ」

「気になること?」


 神山が厳しい眼差しで遠くの空を見る。


「先ほどから急に雲りはじめているようなんだ」


 視線の先には、灰色がかった分厚い大きな雲が見えた。

 あれは積乱雲?

 まさかとは思うけど、このタイミングで雨が降るのか?


 雨が降ればポリ袋に水を溜めることができるので、水問題からは解放されるだろう。

 だが狼煙を上げられなくなり、視界も悪くなるので、救助隊とニアミスする可能性も出てくる。

 そうなれば本末転倒だ。

 果たして吉と出るか凶と出るか。

 ココナッツもあるいま、雨は恵みよりも試練となるかもしれない。


「みんなを起こして、すぐに行動しよう」

「わかった」


 神山と二人で、みんなを起こしていく。

 そして一雨来そうなことを伝え、雨に備えた準備をする。


「まずは水を汲むためのペットボトルなどを集めよう」

「ポリ袋があれば、ペットボトルはなくてもいいんじゃないの?」


 寝起きの浜崎が目を擦りながら言う。


「このポリ袋は45リットルの容量だけど、限界まで入れることはできないだろうから、多くても半分の20リットル程度だと思った方がいい。で、一人2リットルが一日分として、五人で10リットル。つまり二日分しか溜めることはできないと思ってくれ」

「そう言われるとたしかに余裕はないか」


 浜崎も目が覚めてきたのか、真面目な顔で考え出す。


「あとは薪ももうすこし欲しいところだな」

「あれだけじゃ足りないの?」

「雨に濡れると厄介だから、いまの内にできるだけ集めておいたほうがいいと思う」

「わかった」


 さっそく行動に移ろうとしたとき、浜崎が雲を見て声を上げた。


「ねえ、あそこ一瞬光らなかった?」

「光?」


 いまは特になにも見えなかったけど、もしかしたら雷だろうか。

 一応警戒しておく必要があるかもしれない。

 鞄の中から携帯ラジオを取り出す。


「急にどうしたの?」

「AMラジオの周波数では雷由来のノイズを検知することができるんだよ。だkらちょっとした雷検知器の代わりになるかと思ってね」


 まあ検知できる距離はせいぜい50kmほどだけど、避難する時間くらいは十分に稼げるはず。


「ガリガリとノイズが入れば比較的近くで雷が発生している可能性が高いってことだから、すぐに作業は中断しよう。それじゃあ行動開始」


 みんなで急いでペットボトルや流木などを集める。

 ガラス瓶や空き缶、プラスチックボトルなど、利用できそうなものはなんでも拾っていく。

 それにしても想像以上にゴミが多い。

 ラベルを見ると、英語や中国語が一番多く、あとはその他の言語が若干入り混じっている。

 こんな無人島にまで、世界中のゴミが漂着しているのを目の当たりにすると、国際的な社会問題として海洋ゴミが議題によく挙げられるのも無理はないな。

 ただ槍玉にあげられて廃止運動が起こっているプラスチックのストローやビニール袋(正確にはビニールじゃなくてポリエチレンやポリプロピレンなのだが)はそこまで多くはないように見える。

 問題の本質はプラスチック製品の使用というよりは、ゴミのポイ捨て――いや不法投棄とはっきり言った方がいいか、そちらのほうなのだと思う。

 自然に分解される環境に優しい製品なんてものへの転換は、ゴミの投棄を容認、もしくは諦めた立場の考えなのではないだろうか。

 まあこんなことを、僕がここで考えても空しいだけだな。

 僕たちはそのゴミが、なければないで困る状況なのだから。


 とりあえず目につく範囲の流木や漂着ゴミの回収をしていると、ポケットの中の携帯ラジオにガリガリというノイズが混じりだした。


「みんなそろそろ終わりにしよう。やっぱり雷が発生しているみたいだ」

「わかったわ」

「雲もだいぶ近づいて来てるな」

「ええ、急ぎましょう」


 みんなで急ぎシェルターへ避難する。

 ついでにシェルターの外にあった、焚き火も小さな規模にして中へ運び入れた。

 ふう、なんとか間に合ったな。

 全員が無事避難した頃、ポツポツと雨が降りだした。

 拾って来たものを仕分けして、濡れると困る薪はできるだけタープの下に積んでおく。

 ペットボトルなどは蓋を外して、シェルターの外に半分埋めるような形で固定する。

 ポリ袋はタープを伝って流れる雨水を収集できる位置にセットするのだが、これは誰かが手で持っていないと、中身が全部零れ出てしまうな。

 そうだ。

 寝床が浸水しないように、シェルターの周りに溝を掘って排水路を作っておくのを忘れていた。


「誰かここでポリ袋を持っててくれないか? すこしやることがあるんだ」

「いいわよ」


 柚木先生がポリ袋を受け取る。

 よし、すぐに終わらせよう。


「結城はなにするつもり?」

「排水路を作っておかないと、べちゃべちゃの地面で夜を過ごすことになるだろ」

「あー、それは嫌だな」

「浜崎も手伝ってくれるか?」

「しょうがねーな」

「私たちも手伝うわ」

「どうすればいい?」


 みんなが手伝ってくれるようなので、お礼を言って簡単に説明する。


「地面が浜辺のほうへ若干傾斜してるから、そちらに流れていくようにシェルターの周囲に溝を掘るんだ」

「深さと幅は?」

「そうだな、くるぶしくらいで十分だと思う。靴の踵で掘ればちょうどいい感じに出来るんじゃないかな」

「わかったわ。さっそく始めましょう」


 シェルターはだいたい2m×1.5mのタープを張ったものなので、一人2mの長さを掘ればいいだけだ。

 深さもそこまで必要ないので、十分もかからず作業は完了した。


「これですこしはマシになったはず」

「雨脚もだいぶ強くなってきたわね。上手く機能してくれるといいけど」


 ザーザーと降りしきる雨が、タープを激しく叩いている。

 傾斜しているタープを伝う水は、大半が柚木先生が支え持つポリ袋に流れ込み、周囲の雨は溝に沿って浜辺へと流れ出していた。

 うん、問題なさそうだ。

 とりあえず一安心だが、空はいつのまにか分厚い雲に覆い隠され、辺りは薄暗くなっていた。

 海は雨煙が立ち込め、水平線まで見通しが利かなくなっている。

 そして時折雷が轟く音が聞こえ出した。

 ほんの数十分の間に、この変わりようとは。

 夕立――いや、これが本場のスコールってやつなのかもしれない。


「なあここに雷落ちてきたりしないよな?」


 浜崎が不安そうな声を出す。

 そういえば高潮などはともかく、雷対策までは考えてなかったような――。


 雷は発生源から近い場所に落ちるとされている。

 つまり空に近い場所だ。

 この辺りなら背の高い木などが危険だといえるだろう。


 それを踏まえたうえで、シェルターの場所を改めて確認する。

 タープを張るのに利用した木は、そんなに背が高くはない。

 加えて、落下してくるかもしれないココナッツを警戒して、背の高いココヤシの木からは距離をとった位置だった。


 仮に雷が落ちるとすれば、ここらで一番背が高いあのココヤシがそうだろう。

 安全地帯は、たしか高い物体のてっぺんを45度以上の角度で見上げる範囲で、4メートル以上離れたところだったっけ?

 シェルターの位置は――――大丈夫、安全地帯にある。


 本当は木の下は高さに関係なく危険だし、そこに張ったタープも雷が落ちれば感電する恐れはあるんだけど――。

 だからといって木もタープもない場所へ避難すれば、雨に濡れてしまう。

 その状態で、夜を過ごすのは低体温症の危険もあるから、どちらにしてもリスクはある。

 ならばいまはここでスコールが過ぎるのを待つのがベストだろう。


「ここは一応安全地帯だとは思う。――絶対の保証はできないけど」

「そんなぁ」


 浜崎が小さく震える。


「すこしでも安全になる方法もあるから、やってみる?」

「どうすればいいんだ?」

「両足の間隔を狭くしてしゃがむんだ。なるべく低い体勢になることで、落雷の可能性を下げることができる。ただし寝そべったりするのは、逆に地面に落ちた雷で感電の危険性があるからしゃがむだけだよ」


 シェルターの下ではあまり効果がないかもしれないけど、気休めにはなるだろう。

 まあそれ以前に、薪や焚き火などでシェルターの中が圧迫されているので、寝転がるほどのスペースはそもそもないんだけどね。


「わかった」


 素直に頷いた浜崎が、言うとおりにした。

 雷とか平気そうだと思ってたけど、意外と雷とか怖いんだろうか。

 いや、雷の危険性を甘く見るよりはいいんだろうけど。


 みんなも一緒に小さくなってしゃがみこんでいると、ひときわ大きな稲光が閃き、そのすぐあとに近くで轟音が鳴り響いた。


「きゃあ!?」


 誰かが叫び、僕に抱きついてきた。

 危うく転びそうになったが、なんとか踏みとどまると、目の前に涙目の浜崎がくっついていた。

 辺りは暗くて一瞬見間違いかと思ったくらいだ。


「お、おい大丈夫か?」

「う~」


 浜崎は目を瞑って、唸り声を上げる。


「ちょっ、ちょっと離れてくれ」

「いやっ」


 そう言って益々強く抱きしめてくる。

 落雷時は、距離をとらないと一緒に感電する危険性が――。

 まあ距離をとるなら数メートルは必要だし、いまさらだけど。


 うん、まあ。正直に言うと、どうすればいいのかわからない。

 心臓の鼓動が速くなっていく。

 気恥かしくなってきたので、浜崎の肩に手を置き、そのまま引き剥がそうかと思った。

 だけど小さな震えを感じて、手を止める。


 本気で怖がっているのか?


 さすがにこの状態の浜崎を無理に引き剥がそうとは思えない。

 迷った末に浜崎の背中に腕をまわして、優しく抱きしめた。

 そうして嵐が去るまで、しばらくそのまま慰めてやった。


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