第9話 吊り橋効果?


「はぁ」


 思わずあの場から逃げ出してしまった

 戻ったときも、あの状態だったらどうしよう。


 いや、そもそも僕の自意識過剰、勘違いって可能性も高いか。

 いままで学校では、あんな雰囲気になったことはなかったんだから。


 だけど、もし、勘違いじゃなかったら?


 嬉しくないといえば嘘になる。

 ただなんでこんなことになったのかがわからない。

 いまはこんな状況だって言うのに。


 いや、逆なのか?


 こんな状況だからこそ、か?


 例えば、吊り橋効果。

 ドキドキする状況で誰かに出会ったり、話をすると、その相手にドキドキしていると勘違いして、恋愛感情を誤認するというもの。


 …………。


 なわけないか。

 すくなくとも恥じらいなんて、消し飛ぶような出来事を経験しているんだ。

 いまさら頬を赤く染めて、間接キスでお互いを意識するだろうか?

 やっぱりないよなあ。


 他にも生命の危機や恐怖を感じると、遺伝子を残すために性欲が強くなるって話もあるけど。

 これは主に男の場合だったはず。

 そういう意味では、このせいで僕が彼女たちのことを、過剰に意識している可能性はあるかもしれない。


 実際、彼女たちはみんながみんな、それぞれ魅力的ではある。

 いまが遭難中でさえなければ、普通に誰かと恋をしていたかもしれない。

 でも、こんな状況でもなければ、僕たちはまともに話す機会もなかったのだ。

 だから、そんな仮定は無意味でしかない。


 いまは全員が無事に生きて帰ること。

 それだけを考えるべきだ。


 深呼吸をして、思考を切り替える。


 まずはココナッツの採取から。

 これはみんなにああ言って、あの場を離れたから――という理由だけじゃない。

 水分、食料、虫除けなど、ココナッツには今必要な様々なものを賄う使い道がある。

 そのためにも、暑さで動けなくなる時間帯までに、ある程度採取しておきたいところだ。


 海岸線をざっと観察してみると、見える範囲だけでもヤシの木が十本以上生えているのが判った。

 肝心のココナッツは一本のヤシの木に、多いと十個以上成っている。

 問題は木の高さ。

 どうやらたくさん成っている木ほど、背が高い傾向にあるようだ。

 目測では10メートルくらいはありそうだな。


 ヤシの木の登り方は、某テレビ番組などでも紹介されていたけど、やるつもりはない。

 体調が万全であっても、危険なのに、いまの体力だと落ちて怪我するのは目に見えている。


 サバイバルの基本は、可能な限り危険を冒さないこと。


 普段であればどうってことない小さな切り傷が、サバイバル環境下では文字通りの致命傷になる可能性がある。

 具体的には破傷風をはじめとした、感染症。

 それらを避ける、一番手っ取り早くて確実な方法は、怪我するようなことをしない。

 ただそれだけでいい。


 というわけで安全に取れそうなものを探す。

 砂浜を歩いていると、さっそく見つけた。

 ヤシの木が、海に向かって倒れそうなほど傾いて生えている

 面白いことに、こういうヤシの木は、意外と珍しくない。

 遠くのほうにも、もう一本同じような木が見えている。

 ココナッツもたくさんあるし、しばらくは問題なさそうだな。


 手を伸ばすと、あっさりとココナッツに触れることができた。

 それをぐりぐりと捻ると、ぽろっと木から落ちる。

 青々としたヤングココナッツだ。

 振ってみると、ちゃぽちゃぽとたっぷり詰まっていそうな音がする。

 よし、この木に成っているのを採取したら、いったん戻るか。


 ラグビーボールのようなココナッツを五つ両腕に抱えながら帰還した。


「ただいま」

「お、おう。おかえり」


 浜崎がソワソワしている。

 なんだ?

 白川たちはチラチラと顔を見合わせてから、声をかけてきた。


「おかえりなさい。たくさん取れたみたいですね」

「うん。手が届くのがあってよかったよ。とりあえず、今日と明日くらいは心配なさそうだ」

「それなら一安心ですね」


 白川が上目遣いで僕を見る。


「あの、さっきは変なこと言ってごめんなさい。あんなこと気にしてる場合じゃないのに」

「謝ることないよ。僕のほうこそ気遣いが足りなくて悪かった」


 素直に頭を下げておく。

 一人になったとき、頭を冷やすことができててよかった。


「ううん。私たちいろいろ話し合って、結城君に頼りっぱなしだったって反省してたの」

「白川さんの言うとおりよ。結城君だってまだ学生なのにいろいろ考えて、他の事を考える余裕がなくなるほど頑張ってたのに……頼りない先生でごめんね」


 柚木先生が頭を下げる。


「いや、そういうわけじゃ――」

「これ以上、気を使ったりしないでいいのよ」

「そういわれても」


 どうしたものか。

 これはこれで困る状況だった。


「では手始めに名前で呼ぶのはどうだ?」


 神山が提案する。


「急だな」

「そうかな? なんとなくだが、結城君がみんなを呼ぶとき他人行儀というか、気を使っている印象を受けるのだが」


 神山が首を傾げる。

 鋭い。

 たしかに僕は人と話すときは、あまり馴れ馴れしくならないように気をつけている。

 正直いって、人間関係のあれこれが面倒なのだ。

 だから必要以上に仲良くなったり、険悪な関係にならないように距離を置く。

 一人でキャンプへ行くのも、それが気楽だからというのが大きな理由でもあるのだが。


 神山がにっこりと笑う。


「私のことはなぎさと呼んでくれて構わないよ」

「あ、はい」


 全くといっていいくらいに、他意のない純粋な笑みに、思わず頷いてしまった。

 まあ、頷いてしまった以上はしかたないか。

 名前の呼び方くらいで、なにがどうなるわけでもない。


「改めてよろしく。結城君」

「よろしく。なぎさ――さん」


 下の名前で呼び捨てるなんて、言い慣れないので、すぐには無理かも。

 というか神山は僕の呼び方変わらないんだな。

 いきなり下の名前で呼ばれても反応に困りそうだけど。

 神山はふっと柔らかい笑みを浮かべる。


「私の言葉遣いは、これが自然なのだが――結城君も名前で呼ばれたほうが良かっただろうか?」

「い、いや。そのままでいいですよ」


 顔に出ていただろうか?

 視線を逸らすと、浜崎がこちらを見ていた。


「仕方ねーなあ、アタシのことも呼び捨てでいいぞ」


 浜崎が言う。

 なんか偉そうだな。

 僕だけ変に意識してるみたいじゃないか。


「それじゃあ浜崎で」

「は? なんでアタシは名字なんだよ~」


 意趣返しというほどではないけれど、名字を呼び捨てにすると、浜崎が馴れ馴れしく方に腕を回してきた。


「玲奈って言ってみ?」

「なにがしたいんだ」

「いいから」


 しつこく絡んでくる。

 はあ。

 仕方ないな。

 浜崎の顔を見ると、至近距離で目が合った。


「玲奈」

「ッ!?」


 浜崎はボッと湯気が出そうなほど赤くなった。

 パッと腕を放した浜崎は、すこし離れて僕を赤い顔で睨んでくる。

 自分で呼ばせておいて、この反応。

 相変わらず、理不尽でよくわからないやつだった。


「えーと、先生のことも気軽に呼んで、もっと頼ってね?」


 またおかしな雰囲気になりそうなところを、柚木先生がそう言って空気を変える。


「わかりました。これからはもっと頼らせてもらいます」

「なんでも言って。みんなもすこしは休めたかしら?」

「はい。大丈夫ですよ」


 白川が答える。

 本当はもうすこし休ませてあげたいところだけど、暑さがピークを向かえる前に、やっておきたいことがある。

 本格的に休むのはそれからのほうがいいだろう。


「それじゃあさっそくなんだけど、頼んでもいいか?」

「任せて。何をすればいいの?」

「みんなには薪を集めてきて欲しい」

「こんなに暑いのに火を起こすの?」

「狼煙を上げれば、救助隊に見つかりやすくなるからね」

「あっそうか」


 白川が空を見上げる。

 ここは海風は強そうだから、上空で煙が霧散してしまうかもしれないけど、やってみる価値はあるはずだ。


「結城君はどうするの? ココナッツ採りに行ったばかりだし、すこし休む?」

「いえ、タープを張って、簡易シェルターを作ってみます」


 柚木先生に答えながら、タープを広げる。


「太陽が高くなると木陰も狭くなるだろうから、その前になんとかしないと」

「もっと森のほうへ行けば木陰くらい、いっぱいあるじゃん」


 浜崎が言う。

 まだすこし顔は赤いけど、いつもどおりの調子に戻っていた。


「うーん、たしかにそうなんだけど、森の中は見通しが悪いから救助隊を見逃す可能性があるだろ? それになにか危険が潜んでるかもしれないし」

「危険って――熊とか?」

「こんな絶海の孤島には、さすがにいないと思うよ」


 誰かが人為的に持ち込んでいれば話は別だけれど。


「じゃあ危険ってなんなの?」

「毒を持った生き物とか、蚊とか」

「え~。ここにもそんなのいるの?」


 浜崎が嫌そうな目で森を見る。


「可能性の話だよ。でもサバイバルでは常に最悪を想定して行動するべきだ」

「海を漂流していたときと同じように。そういうことだな?」


 神山が言う。


「まあ、そんな感じです」

「わかったよ。で、アタシたちは手伝わなくていいのか?」

「うん。そのかわり使えそうなものは何でも拾ってきてくれ」

「使えそうなもの?」

「網やロープ、シートなんかあればいいけど、そのあたりの判断はみんなに任せるよ」

「わかった」


 浜崎がさっそく砂浜へ向かおうとする。


「ちょっと待った。バンダナかタオルを貸すから海水で濡らして頭か首に巻いておいたほうがいい。それと森には入らないように。あと、遠くまで行く必要はないから――」

「わーってるって」

「そうよ。心配しすぎ」

「まあ、これも結城君の性分なのだろう」

「無理はしないから、安心して」


 みんなに生暖かい眼差しを向けられてしまった。

 こういうのも、気を使いすぎってことなんだろうか。


「わかった。じゃあ任せたからな」

「ああ! 行ってくる」


 若干心配ではあったが、みんなを見送って、僕も作業をはじめる。


 まずは場所の選定。

 森の中が必ずしも安全じゃないのは、さっきみんなに説明したとおりだが、浜辺なら安心かというとこちらはこちらで危険はある。

 潮の満ち干きや、嵐による高潮など。

 寝ている間に潮で、海にさらわれるなんて考えたくもない。

 浜辺をよく観察すると、漂着ごみや流木、植物が生えている場所が一種の境界線となって、潮が来るであろう場所が見えてくる。

 つまりこの線より海側はリスクが高いということ。


 それらを考慮すると――。

 安全地帯でかつ、見晴らしがよくて、タープを張るのにちょうどいい木が生えている場所となる。


 そうだ、ヤシの木の下はココナッツが落ちてくる危険性もあるな。

 高いヤシの木からは、ある程度距離をとったほうがいいかもしれない。


 ふむ。

 条件を絞っていくと、一箇所だけぴったりな場所が見つかった。

 というか最初に僕たちが休憩していた木陰のすぐ側だ。

 ここでいいか。


 次はロープが必要だな。

 腕に巻いていた、パラコードブレスレットを解いて一本の紐に戻していく。


「それなに?」


 いつのまにか白川が帰ってきていた。


「パラコードだよ。にしても早かったね」

「ロープが必要なんだと思って、先にそれだけでも持ってきたの。でもいらなかった?」

「いや、一本じゃ足りないし、助かるよ。ありがとう」


 白川から漁業用のブイとそれに結ばれたロープを受け取る。

 すこし太くてごわごわしている。

 海水と日光に晒されて、強度が弱ってるかもしれないな。

 ロープを引っ張っていると、白川がパラコードを指でつつく。


「それでパラコードって?」

「パラシュートにも使われている丈夫な紐だよ」

「へー」

「普段はこれを編んでブレスレットにしてるんだ。ちなみにこの止め具はファイアスターターにもなってる」

「ファイアスターター?」

「メタルマッチともいうんだけど、マグネシウムとかフェロセリウムっていう合金の――まあ、火打ち金みたいなものかな」

「そんなものまであるのね」


 白川が感心するように、止め具を見た。

 これは水に濡れても使えるし、ライターみたいに燃料も必要ないからいざというときの備えだ。

 普通に火をつけるだけならライターのほうが使い勝手がいいんだけど、飛行機内には一つしか持ち込めないし、常に複数の手段を持っているほうが都合はいい。

 紛失したり、破損するかもしれないし。

 サバイバルにおけるリスクヘッジの一環ってやつだ。


「おーい、なにさぼってんだよ」


 流木や網を持ってきた浜崎が不機嫌そうな顔で言う。


「ごめんね、結城君。私が話しかけちゃったせいで、作業進められないよね。すぐに薪集めてくる」


 白川がわたわたと走り去って行った。

 それを見送った浜崎が、拾ってきたものを地面にドサドサと落としながら、口を開く。


「で、なにしてたの?」

「白川が持ってきたロープの強度を確かめてたんだよ。うん、使えそうだ」


 思い切り引っ張っても切れなかったから大丈夫だろう。


「ふーん。……あのさ、結城って白川みたいなのがタイプだったりするのか?」

「え?」


 浜崎の顔を見ると、さっと視線を逸らされた。


「い、いや、なんでもない」


 そういって浜辺も走り去って行った。

 あれって、やっぱりそういうことなのか?

 いやいや、待て。

 こんなときに考えることじゃない。

 深呼吸して、頭の中をクリアにする。

 そしてあとはひたすらタープを張る作業に没頭したのだった。



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