第8話 ココナッツ



「着いたー!」


 浜崎が歓喜の声を上げ、そのまま砂浜に倒れこんだ。


「休むなら木陰まで行きましょうよ」

「もう一歩も動けない~」

「はあ」


 白川がわざとらしく息を吐く。


「先生なんか言ってやってください」

「ふふっ、しょうがないわね。浜崎さん、ここじゃあ熱中症になるわよ?」

「んなこと言われても~」

「肩を貸すから、あと少し頑張りましょ?」

「ん~」


 浜崎はしぶしぶといった様子で立ち上がると、柚木先生の肩を借りて、木陰まで移動する。

 白川と神山もふらふらとした足取りでついて行く。

 みんなもう限界だった。

 木陰に辿りつくと、崩れるように腰を下ろした。


「水源を探す前に、しばらく休憩しよう」

「賛成」

「アタシも」

「この状態では、いたしかたないだろう」

「そうね。このままじゃいつ倒れてもおかしくないわ」


 みんなの意見も一致したので、ここで体を休めることした。

 できれば日が昇り切る前に、行動したいところなんだけど――。

 空を見上げると、太陽はいつのまにか大分高い位置まで昇っていた。


 まずいな。

 あと二、三時間もすれば、またあの暑さがやってくる。

 そんななかをこの体で動きまわるのは、自殺行為だ。

 僕だけでも、いますぐ島を探索しに行くべきか?


 迷っている間も、時間だけは容赦なく進み続ける。


 落ち着け。

 焦っても、状況がよくなることはない。

 S・T・O・Pだ。

 深呼吸して、周りをよく見るんだ。

 リラックスしながら、ぐるりと首を回す。


 ん?


 あれは――。

 ココナッツ?

 頭上へ向けた視界の端に、ココヤシの木と、青々とした果実が見えた。

 立ち上がろうとして、立ち眩みに体がふらつく。


「急にどうしたの!? 大丈夫?」


 柚木先生が倒れそうになる体を支えてくれた。


「すみません、大丈夫です。ちょっと立ち眩みしただけなので。それよりあそこにココナッツが――」

「ココナッツ?」


 みんなが僕の指差す方へ視線を向ける。


「マジだ! あれってなかにジュースが入ってるんだよな?」


 浜崎が目を輝かせる。

 白川がきょろきょろと視線を動かしながら口を開く。


「よく見れば、あちこちにヤシの木が生えてるわ」

「そこに落ちてるのも、ココナッツではないのか?」


 神山が木陰の近くに落ちていた、茶色がかったボールのようなものを見つけた。

 大きさはちょうど人の頭くらい。

 そばによってみると、たしかにココナッツだ。

 落ちてから間もないのか、まだ緑色の部分もある。

 手に取ると、中からちゃぷちゃぷと水音が聞こえた。


「中にジュースがあるみたいだ」

「ほんとに!?」


 ココナッツを持って、みんなのいる木陰に戻る。


「はやく開けてみようぜ」

「どうやって開けるの?」

「スイカ割りみたいに、叩けばいいじゃない?」

「それなら私がやってみようか? これでも剣道部の主将だ」


 みんながわいわいとはしゃぎだす。


「あの高い木から落ちても無事なんだから、それじゃ無理だって」


 ココナッツはたしか表面の外果皮と内側の厚い繊維質な中果皮、さらにその中の薄いが固い内果皮に包まれている。

 未成熟なヤングココナッツならまだしも、これは熟して茶色くなったオールドココナッツだ。

 そう簡単に割れるものじゃないだろう。


「仮に割れても、中身が零れたら意味がないし、慎重にやらないと」


 現在持っている道具から使えそうなものを、ピックアップする。

 まずは中身が零れても問題ないように、ポリ袋を下に用意してと。

 あとは刃物が欲しいところなんだけど、飛行機内への持ち込みは厳禁なので、当然所持していない。

 代用できそうなものは――。

 筆記用具の中から、ステンレス製の定規とペンを取り出す。

 これで、皮を剥いて、中に穴を開けられるといいんだけど。


 定規の角の部分を、ココナッツに突き立てるが――。


「固っ! 全然突き刺さらないんだけど」


 めちゃくちゃ丈夫だな。

 仕方ないのでその辺りから、手ごろな流木を一本持ってくる。

 あとはこいつで定規の上を叩いていけば今度こそ――。


 ガツガツ叩くごとに、定規が中に埋まっていく。


「おお!」

「いい感じじゃない」


 繊維に沿って、突き刺していくと、2~3cmほど進んだところで固い手ごたえを感じた。

 そこでいったん定規を引き抜いて、違う場所からもう一度、同じ要領で進める。

 また2~3cmほど進んだところで固い部分にぶつかったので、引き抜く。

 これで二か所の切れ込みができたことになる。

 あとはそこからを毟り取るように、皮を剥く。


 む?


 繊維がしっかりと、内果皮にくっついているようで、思ったより力が必要みたいだ。

 ナイフがあればすぐなのに。

 ……ないものねだりしてもしょうがないか。

 苦戦しつつも、なんとか自力で毟り取っていく。


「ふう。とりあえず外側は終わった」

「お疲れ様。でも皮が剥けたら、なんだか小さくなっちゃったね」


 白川が残念そうに言う。

 大きさはハンドボールと同じくらい。

 片手で掴めるサイズだ。


「でもなんだかかわいいわね」

「子どもみたいだな」


 柚木先生と神山が笑う。

 二人が言ってるのは、内果皮と呼ばれる殻にある三つのくぼみ穴のことだろう。

 成長すれば、このくぼみ穴のどれか一つから芽が出るのだけれど、いまはただのくぼみに過ぎず、∵みたいな並びが顔に見えなくもない。


 それはさておき、いま重要なのは穴を開けるなら、このくぼみがいいということ。

 さっそくペン先を突き立ててみるが、太さがあってない。


「これじゃあ刺さらないかも」

「他になにかないの?」

「うーん……そういえば、キーホルダーのマルチツールにマイナスドライバーがついてたっけな」


 僕のこれはいわゆる十徳ナイフとかマルチツールナイフと呼ばれるものの、ナイフレスバージョンだ。

 ラーメンの麺抜きみたいな代物だけど、普段使いには十分な機能が備わっている。

 爪切り、やすり、ピンセット、ハサミ、マイナスドライバーなど。

 ただこれでも機内持ち込みできるギリギリの装備だったりする。

 ナイフレスでも形状によっては、危険物として没収される可能性があるのだ。


 日本国内でも似たような問題がある。

 刃渡り6cm以上のナイフを所持していると銃刀法違反だというのは有名だけれど、6cm以下であっても軽犯罪法などに引っかかる可能性があるのだ。

 実際に被災地のボランティアが所持していたという理由で、署まで連行されたというニュースもあった。


 閑話休題。


 ともかくそういった理由から、僕のマルチツールにはナイフがついていないのだが、やすりの先端がマイナスドライバーになっているので穴を開けるくらいなら使えそうだった。


 くぼみの一つに、マイナスドライバーを押し当て、上から流木で叩いて貫通させる。

 おっ、一発で成功だ。

 穴を広げるように、ドライバーをぐりぐりと回す。


「うまくいったみたいだ」

「おぉ! さっそく飲んでみようぜ」

「まあ、落ち着けって。中身が腐ってないか調べないと」


 まず匂いを嗅いでみる。


「腐敗臭はしないな」


 次に小さな穴に口を付けて、すこしだけ口内に含む。

 無味無臭だ。

 いや、ほんのり甘いか。


「どうなの?」

「大丈夫そうだ。水で薄めたスポーツドリンクみたいな感じ」

「アタシにもちょうだい!」

「ん」


 浜崎に手渡すと、躊躇なく口を付ける。

 そのまま吸い出すように、ちゅうちゅうと唇を窄めて飲みはじめた。


「うまい!」

「私たちの分も残してといてよ?」

「わかってるって――ほら」


 浜崎は名残惜しそうにしながらも、白川にココナッツを手渡した。


「先生が先に飲みますか?」

「ううん。みんなの後でいいわ。遠慮せず先に飲みなさい」

「えっと、それじゃあ――神山さんどうぞ」

「いいのか?」

「ええ、神山さんが見つけたものでもあるしね」

「それならいただこう」


 そういって神山が遠慮気味に一口だけ飲む。


「ふう、体に沁み渡るようだ。白川さんもどうぞ」

「ありがとう――えっと、いただきます」


 白川は小さく手を合わせてから、ココナッツに口を付けた。

 こんなときでも折り目正しいあたり、まさに委員長って感じだ。


「ん!? おいしい」


 白川が目を丸くする。


「先生も飲んでください」

「ありがとね」


 お礼を言って、柚木先生が受け取る。

 そして中身が少なくなってきたのか、頭を反らしながらココナッツジュースを飲んだ。

 柚木先生の日に焼けていない白い首が、飲み物をごくりと嚥下する動きに、思わず僕の喉が鳴った。


「たしかに、水に溶かすスポーツドリンクの粉末を、間違って薄めすぎたときみたいな味ね。でもおいしいわ」


 一口飲んだ柚木先生が微笑む。

 ココナッツは当たり外れがあるって聞いたことがあったけど、昨日飲んでたモノに比べれば、大抵のモノはおいしく感じるだろうな。

 それになんといっても僕たちは脱水状態なのだから。


「そういえば、結城君は味見しただけで全然飲んでないんじゃない? ごめんね!?」


 僕の視線に気がついた柚木先生が慌てて手渡してくる。

 受け取ったココナッツはだいぶ軽くなっていた。

 一口分残っているかどうかというところ。

 さすがに五人だとしかたないか。

 最後の一杯に口をつけた。


「あっ」

「ん? もしかして飲みたかった?」

「そうじゃなくて……」


 白川が顔を赤くして口ごもる。


「顔が赤いけど大丈夫か?」

「だ、大丈夫! 気にしないで!」


 熱がないか、顔を覗きこもうとすると、白川が慌てた様子で後ずさった。

 ほんとに大丈夫か?

 そういえば、ココナッツジュースを飲みすぎると、お腹を下す人もいると聞いたことがある。

 この程度なら問題ないと思ってたんだけど、体質にもよるからな。

 みんなの様子は――

 白川以外は特になんともなさそうだ。


「えっと、もし辛かったら、我慢しないで行ってきた方がいいよ」

「へ?」


 白川がぽかんとする。

 あれ?


「お腹が痛くなった……わけじゃないのか?」

「なんでそういう話になってるのよ!?」


 白川が目を見開く。


「いや、ココナッツジュースでお腹を下す人もいるらしいからさ」

「違うわよ! そうじゃなくって、さっきのココナッツみんなで飲んでたけど、あれって、か、間接キスじゃないの?」


 言い終わってから、白川が耳まで真っ赤になった。

 そういうこと?

 言われてみればたしかにそうだけど。

 この状況でそんなこと考えてたとは――。

 呆れるより、むしろ感心する。

 昨夜のことを考えれば、それだけ精神的な余裕が生まれてきたってことか?


 みんなの様子をそっと窺う。

 白川の言葉で初めて気がついたらしく、目を見開いたり、唇に触れたりしていた。

 柚木先生まで頬を染めて僕を見ている。


 え?

 ちょっ、なんで柚木先生まで。

 変な空気に僕まで顔が熱を持ちはじめた。


 どうすればいいんだ、この状況?

 僕のサバイバル知識に、この状況を切り抜けるための情報はない。


「えっと……これ以上暑くなる前に、もう二、三個採ってくるよ」


 迷った挙句、僕はそういってココナッツを採取しに、その場を離れたのだった。


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