第5話 サバイバルキット


 見渡す限りの大海原を、僕たちは飛行機の残骸に乗って漂流していた。

 照りつける太陽の光は、即席のタープで遮断できてはいたものの、狭い空間に五人もくっつくようにして座っていると、これはこれで暑くなる。

 だからといって十分な距離をとれるほど、ここは広くない。

 どこまでも広がる水平線を眺めていると、神山が口を開いた。


「なあ、そもそもSODIS法を行うのに必要な透明な容器はあるのか?」


 もっともな疑問ではあるが、その点は心配ない。

 手持ちの荷物をひとつひとつ確認する。


「透明のポリ袋があるよ。これでも効果は十分のはずだ。他にも着替えを入れてた衣類圧縮袋も利用できるし、そうそう財布の中にコンドームもあったな」

「え?」

「ん?」

「……いま最後に変なの言わなかった?」


 浜崎がジト目で僕を見つめる。

 最後っていうと――。

 白川は顔を赤くして、神山はなんともいえない表情で、柚木先生にいたってはなぜかにっこりと笑っている。

 余計なことを言ってしまったか?


「えっと……コンドームのこと? 変じゃないよ?」

「疑問系になってんじゃん! 変態!」

「いやいや、これは本当にそういうのとは違うから!」

「どう違うってーのさ!」


 浜崎が真っ赤になっている。

 ほんと見た目に反して、免疫がなさ過ぎないか。

 いや、それはともかく、上手く説明しないと不名誉な呼び名がついてしまう。


「えーっとだな、嘘みたいな話だけど、コンドームって市販のサバイバルキットにも入ってたりするものなんだよ」

「嘘!」

「本当だって。しかもイギリス陸軍のSASに納入してるサバイバルキットに採用されてるんだ」


 いまもそうなのかは知らないけれど、そういう商品があったのは事実だ。

 マルチツールナイフやマッチ、ロウソク、浄水剤、釣り道具、スネアワイヤー、ワイヤーソー、縫い針と糸、完全ピン、絆創膏などなど。

 サバイバルで必要な道具類を詰め込んだ小さな金属缶の中に、コンドームも入っていたのだ。

 僕も最初見たときは、疑問に思ったけど、サバイバルキットのコンセプトとコンドームの汎用性を知ると一応納得はできた。

 それを聞けば、浜崎も納得するだろう。

 たぶん。


「SASってなによ」

「Special Air Service の略で、日本語では特殊空挺部隊のことだね」

「ふーん? それで?」


 浜崎は疑わしそうな顔をしている。


「このSASは世界各国の特殊部隊の手本ともいわれてて、世界最強の特殊部隊との呼び声もあるすごい部隊なんだよ。そこに納入してたキットにも入ってたくらい、実は汎用性があるものなんだ」

「……具体的に、どう役立つの?」


 最初の気勢が削がれたところで、畳み掛けるように説明する。


「そうだな――例えば空気を入れて膨らませれば浮きや救命胴衣の代わりになるし、水を入れれば水筒代わりになる。ゴム紐として使えば、銛やスリングショットパチンコなどを作れるから、食料の確保にも役立つ。これで3の法則が三つともカバーできるだろ?」

「うーん、たしかに?」

「他にもサバイバルで重要な火起しや医療、衛生、精密機器などの保護と使い道は多岐に渡るんだ」

「そんなに!?」


 浜崎が目を丸くする。


「なかでも火は重要だよ? 明りや狼煙で救助を呼んだり、暖や調理に虫除け、獣避け。火が起せるかどうかでサバイバルの生存率は大きく変わってくる」


 僕はそのための複数の道具を常に持ち歩いているけど、これもその一つ。


「コンドームでの火起しには透明な水が必要になるんだけど、簡単にいえば、中に水を入れて凸レンズとして使うんだ」

「虫メガネみたいに、太陽光を集束させるの?」

「うん、白川さんの言う通り。すこしコツがいるし、条件もあるけど、ちゃんと火をつけることができるんだ。ついでに付け加えるとコンドームはゴムでできてるから燃料にもなる。数分くらいは燃え続けるから、薪が湿って火がつきにくいとき、焚きつけにしてもいい」

「へー」


 みんなのコンドームを見る目が変わってきていた。

 もちろん変な意味じゃなく。


 どうやら誤解は解けたようだ。

 まあ正直なところ、本来・・の用途で使う機会があればいいなという下心もなくはないけど、それ自体は健全な男子高校生として自然な欲求だから否定されても困る。

 もちろんそんな考えは理解されないだろうし、おくびにも出さないけど。


「ねえ、私としては医療と衛生への使い方っていうのに興味があるわ」


 柚木先生が言う。


「えーと、怪我で出血したとき、傷が浅ければ直接圧迫止血法をすると思うんだけど、その際に衛生のためゴム手袋代わりに使ったり、あるいは動脈出血などで間接圧迫止血が必要なときの止血帯として使えるらしいですよ」

「そういうこと」


 柚木先生が納得する一方で、他のみんなはよくわかっていない顔をしていた。

 一応みんなにも理解しておいて貰ったほうがいいかな。

 命にかかわることだし、覚えておいて損はない。


「昔は出血を止めるために、傷口の手前を止血帯でぎゅっと縛る、間接圧迫止血ってのがよく行われていたらしいんだけど、これは縛ったところから先の部分が壊死する危険性が高いってことで、最近では傷口の上から直接圧迫して止血するまで抑えるやり方が基本とされているんだ。止血帯を使うのは出血が酷いときの最終手段って感じらしいんだけど――だいたいあってますよね、先生」

「そうね。壊死してしまうと、切断しなくちゃならないのよ。だから医療関係者以外は安易に止血帯を使うのは駄目ね。余程の怪我でもない限り、直接圧迫で止血出来るわ。あなたたちも気をつけるのよ」


 柚木先生が真面目な表情で注意した。


「それにしても結城君は医療にも詳しいのね」

「にわか知識なので、あまり自信はないんですけどね。その代わりといってはなんだけど、一応サバイバル関連のものと一緒に応急手当の本も、スマホの電子書籍に入れてるんですよ」


 災害や遭難時には、通信障害や圏外でネットに繋がらない可能性があるので、そんなときに必要な知識や機能は可能な限り、電子書籍やアプリという形でインストールしてある。

 日本では災害が多いから、備えておいたものがこんな形で使う事態になるとは予想していなかったけど。


 閑話休題。


「えーと、だいぶ話が脱線しちゃってたから、そろそろ話を戻すけど。水問題はどうする?」

「そうだよ! アタシもう喉カラカラなんだけど」


 浜崎がなぜか僕を恨みまがしい視線で睨む。

 コンドームに反応したのは、浜崎なのに。


「ねえ、海水を水割りする案は一旦置いといて、いまあるもので海水から真水を蒸留するっていうのはどう?」


 白川が提案する。


「うん、それもありだな」

「できるの?」


 浜崎が言う。


「ポリ袋と水筒のカップでできるよ」


 海水を汲んだカップをポリ袋に入れて、袋を閉じ、カップを日の当る場所に放置する。

 後はポリ袋の日陰になっている部分に結露する水滴を集めればいいだけだ。

 さっそく太陽蒸留器を作ってみると、一分くらいで完成した。


「おー簡単じゃん。これで水ができるなら、さっきまでのやりとりはなんだったのさ」

「太陽蒸留も結局は時間がかかるからね。丸一日やってもカップ一杯もできないんじゃないかなあ」


 カップ一杯の海水が、短時間で蒸発するくらい暑かったら、僕らが先に干からびる。


「マジで? なら意味ないじゃん」

「だから他の方法も考えてたんだけど……」


 まあ、やるだけやってみるか。

 他にいい案があるわけじゃないし。


 着替えが入っていた衣類圧縮用の袋も同じように太陽蒸留に使用する。

 ただしカップは一つしかないので、海水を含ませた着替えをそのまま入れる。

 このやり方だと、気をつけないと海水と真水が混ざってしまう可能性があるけど、多少であれば問題ないだろう。


 そして最後にコンドームの一つに海水を入れて膨らませる。

 水筒代わりに使うなら、靴下やバンダナで包まないと、破れる可能性が高いんだけど、こっちはSODIS用の海水なので剥きだしで日向に放置する。

 みんながそれをなんともいえない視線で見ていた。


「そういやさ。なんでポリ袋なんて持ってるんだ? それってただのゴミ袋だろ?」


 浜崎が話題を変えようとする。


「これも汎用性があって便利なんだよ。さっきコンドームで説明したことの大半ができるしね」

「ならコンドームの意味は?」

「あれは薄くて、軽くて、嵩張らないから携帯しやすい利点がある。それにゴムだからこその用途もね。まあポリ袋はポリ袋で、コンドームにはできない使い方があるから、使い分ける感じかな」


 僕が使っているのは、45リットルの透明で厚手タイプのものだ。

 これにもちゃんと理由はある。

 薄いものより若干嵩張るけど、ちょっと爪で引っかいたりした程度じゃ全然破れない耐久性があるので、サバイバル時にも役に立つ。


 海水の蒸留を待つ間、いくつか簡単に説明する。


 一つ目はやっぱり呼吸に関するものから。

 ずばりガスマスクの代用だ。

 例えば地震で建物が倒壊したり、火事が起きると、粉塵や煙で避難が難しくなる。

 特に火災では火よりも煙が恐ろしい。

 単純に煙で見通しが悪くなるのに加えて、目に沁みると、まともに目を開けていられなくなるという二重の視覚的障害。

 そして避難が遅れることで、二酸化炭素や一酸化炭素による中毒や窒息になる。

 実際火災による死因はほとんどが煙によるものというデータもあるくらい注意が必要なのだ。


 こういうときにガスマスクがあればいいんだけど、普段からガスマスクを持ち歩いている人なんて見たことがない。

 それはやっぱり携帯性、使用頻度、値段などさまざまな理由だろう。


 その点、ポリ袋は優れている。

 折り畳めば、鞄に入れても邪魔にならないし、汎用性があって使い勝手もいい。

 値段も一枚百円しないコストパフォーマンスの良さ。


 使い方は簡単で、袋に新鮮な空気を入れて、頭に被るだけ。

 煙や粉塵が入らないように、首元でぎゅっと袋を閉じれば、一分くらいなら呼吸しながら避難もできる。

 熱にはあまり強くないけど、炎の中に突っ込んでいくようなことをしなければ、すぐに溶けることもない。

 あと火山の噴火による火山灰、テロや事故による有毒ガスなどにも一定の効果がある。

 日本ではどれもがありえるし、実際過去にあったことだ。

 備えておいて損はない。


 あとはポンチョの代わりや、災害時の非常用携帯トイレなどにも利用できる。

 特に災害時のトイレ問題は深刻だ。

 電気や水道などのライフラインが断たれると、被災地の衛生状態はすぐに悪化していく。

 そんな状態で、適当な処理をしていると、食中毒や伝染病が蔓延する可能性もあるので、流せない場合の処理方法として携帯トイレはありなのだ。



「まあ、だいたいこんな感じかな」

「話を聞くと、たしかに便利ね。でも結城君って、普段からそんなこと考えてるの?」


 白川が言う。


「普段からってほどでもないけど、日本は災害が多いからね。僕も一度ちょっとした被災経験があって、それからEDCって形でサバイバルキットをいくつか常備してる」

「EDC?」

「ああ、EDCっていうのは――Every Day Carry――毎日持ち歩くもののことだよ。スマホや財布、キーとかだね」


 外国では銃やナイフまでEDCしている人もいるらしいけど、日本はもちろん飛行機内にも持ち込むことはできない。


「みんなはハンカチ以外で、なにも持ってないの?」

「なにもないわ」


 白川が横に首を振った。

 そういえば女子がポケットにものを入れてるのって、ほとんど見たことない気がする。

 制服のスカート自体がそういうものを入れる形状ではないのだろうか?


 みんなをざっと観察すると、柚木先生以外は腕時計すらしていない。

 最近はスマホで時間を確認する場合が多いから、しかたないといえばそうなのかもしれないけど。


「結城君は他になにを持ってるの?」

「ポケットにはスマホと財布、キー、バンダナ。身に付けてるものではドッグタグ、腕時計、パラコードブレスレット。あとは持ち出せた鞄だな」

「ドッグタグって、あのネックレスみたいなの?」

「うん、主に軍隊などで認識票として使われてるやつね。名前や性別、生年月日、血液型が記してあるんだ」

「それもEDCなの?」

「緊急時に役立つんだよ。災害とかで怪我したり、意識がないとき、血液型とか持病の有無がすぐにわかれば、迅速に輸血とか適切な処置を受けられるだろ?」

「なるほどね」

「それに僕のドッグタグは裏面が鏡面仕上げになってるからシグナルミラーの代わりに使えるんだ」


 首にかけているドッグタグを手に持つ。


「シグナルミラーっていうのは、遠くのヘリコプターや船に救難信号を送るための道具。まさに今みたいな状況で、どこかに救助隊がいれば、僕らの居場所を知らせることができる」


 シグナルミラーを持った手を目の下あたりにセットしてから、反対の手を前方に伸ばして、指でV字をつくる。

 次にV字の間にシグナルを送りたい相手を捕えることで標準を合わせる。

 あとは腕と指の間を上下するように動かせばシグナルが届く。


 実際にチカチカと光を反射させて、使い方を説明しておいた。

 いまはまだ救助隊の影も形も見えないが、すれ違いになったりしないように見つけ次第、すぐにシグナルを送る必要がある。

 そのためには常に誰かが見張ってなきゃいけないのだが、休息も必要なので、そのあたりは交代制にして対応するのがいいだろう。


「でもこれって太陽がでてる間しか使えないんじゃないの?」

「そういうときはこっちを使う」


 ポケットの中からキーを取り出す。

 こっちにはカラビナのキーホルダーが付いており、鍵と一緒にホイッスルやLEDライトなどが吊るしてある。


「距離はあまり遠くまでは届かないけど、これなら夜間でも救助を呼べる」

「なんかいっぱい付いてるね」


 キーホルダーには他にも使い捨てライターやミニコンパス、マルチツール、キーリールなどがぶら下がっている。

 これらは機会があればまたそのとき説明すればいいだろう。


「とりあえず僕の持ち物はこんなもの。これでなんとかみんなで生き延びて、無事生還しよう」


 こうして僕らのサバイバルは始まった。


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