第4話 状況把握
「さて、これで私たちはお互いのことをすこしは知り合えたわけだが、奇しくもみな同じ学校関係者だな」
「まあ、乗客の大半が修学旅行の学生だったからな。確率的にはこんなものじゃないか?」
「それもそうか」
僕の言葉に、神山が頷く。
「でもまさか修学旅行がこんなことになるとはね」
神山の言うとおり、誰も予想しなかっただろう。
家族も心配してるかなあ。
いや、まだニュースにもなってないかもしれない。
「私は初めての海外だったのに」
白川が誰に言うともなく呟いた。
「ねえ、ここってどのあたりなんだろう?」
不安げな表情を浮かべる白川の言葉に、みんなが沈黙した。
現在地か。
いまそれを知ってもどうにもならないだろうけど、自分たちの状況を把握できれば、すこしは気休めにはなるかもしれないな。
「ちょっと調べてみようか」
「調べるって、どうやって?」
白川が期待と疑問が混ざりあったような顔をした。
「スマホのGPSアプリを使ってさ」
「スマホ? そういやアタシのスマホなくなってる。うわ最悪」
そっぽを向いていた浜崎がスマホをなくしたことに気がつき、うなだれた。
「こんな状況なんだから、命があるだけマシじゃない。それよりスマホってこんな場所でも使えるの?」
白川に答える代わりに、ポケットから取り出したスマホの電源を入れてみる。
防水機能のおかげで、問題なく起動した。
よかった。
壊れてたら、さすがにどうしようもないからな。
「圏外じゃん」
いつのまにかすぐ隣で覗きこんでいた浜崎が落胆したように言う。
近いっていうか、いろいろ当たってるんだけど……。
「こほん。えっと、通信圏外でもできることはいろいろあるんだよ」
咳払いしつつ、意識をスマホに戻す。
GPSアプリを起動すると、問題なく座標が示された。
「え、なんで?」
「意外と知らない人が多いんだけど、GPSや電子コンパス自体は通信圏外でも使用できるんだよ」
「そうなの?」
「GPSは人工衛星から発信される電波を受信しているからね。基本的に地下とかでもない限り地球上のどこでも受信可能だよ」
「へー」
浜崎がさらにぐいぐい近づいてくる。
さっきから胸が当たってるんだけど。
わざとなのか?
だけど反応をすると、また変な雰囲気になりそうだったので、できるだけ平静に説明を続ける。
「あとGPS地図アプリを入れておけば、圏外でも地図が使用できる」
「GPS地図アプリ? 普通のマップアプリじゃダメなの?」
「一般的なマップアプリはネットに繋がってないと使えないだろ? その点、GPS地図アプリは事前に地図データを読み込んでおくから、ネット環境がなくても使えるんだよ」
「へーそんなのあったんだ」
最近のスマホにはGPSは標準搭載されているのに、認知度が低いんだよね。
毎年登山やキャンプで遭難者がたくさんでてるけど、スマホのこういう機能を使っていれば助かった場合も多そうなんだけどなあ。
「それで場所はわかったの?」
「えっと……南太平洋上だね。僕らが乗ってたニュージーランド行きの飛行経路から結構ずれてるような気もするけど、僕はパイロットじゃないから、これ以上はわからないかな」
白川にそう答える。
だけど見渡す限り、大海原しか見えない現状では、現在地がわかっただけでもちょっと安心感が出てきた。
「そっか……救助は来るよね?」
「そりゃもちろん。飛行機事故ってのは被害者の数も多くなるし、優先度というか注目度も高いから大々的な捜索活動が展開されるはずだよ」
「でもすこし前に飛行機が失踪して、見つからなかった事件ってなかったっけ?」
「マレーシアのやつのこと?」
「うん、それ」
さすが白川、よく覚えてるな。
世間じゃ、すっかり話題にも上がらなくなってるのに。
とはいえ、たしかにそういう可能性もなくはないのか?
「あれはちょっと特殊な例だと思うけど……最悪の事態も想定して行動するべきかもね」
「最悪の事態って?」
「何らかの事情で、救助が遅れるとか、見つからないとか」
「そんな……」
「あくまで想定であって、実際にそうなると決まったわけじゃないよ」
「そう、よね」
でも実際にそうなってしまったとき、何の備えもしていなければ絶望して、自暴自棄な行動をしかねない。
そうならないために今できることを考えるか。
キャンプが趣味だと、自然と遭難やサバイバル関連の知識も覚えていくので、それらを思い出してみる。
「うーん……遭難したときの基本は、S・T・O・Pだったっけな」
「ストップ?」
「そう遭難や災害時のサバイバルで大切なことをS・T・O・Pの頭文字で表しているんだ。順番に言うとStop(止まる)、Think(考える)、Observe(観察する)、Plan(計画する)だよ」
「ふーん?」
よくわかってない顔だな。
もっと具体的に説明していったほうがいいかな。
「遭難時にはパニックに陥りやすいといわれていて、サバイバル関連ではウッズ・ショックなんて言葉がある」
「ウッズ・ショック? どういうものなの?」
「普段であれば有能な人でも、誤った判断や行動をしてしまう一種の錯乱状態のことだよ」
「そうならないためには、どうすればいいの?」
「まずは冷静になること。そのためにStop――立ち止まって、深呼吸する。次に自分の置かれた状況とどう対処すべきかThink――考える。そして考察材料を増やすためにも周囲の地形や、所持品、仲間の状態をObserve――観察する。最後にPlan――計画を立てる。こうすればウッズ・ショックに陥らずに、落ち着いて行動できるといわれている」
「なるほど。さっそくやってみようかな?」
白川が目を瞑って深呼吸をすると、みんなも同じように深呼吸を始めた。
さていい考えは浮かぶだろうか。
しばらくすると、白川の目蓋がゆっくりと開いた。
「よし、ちょっとは落ち着けた気がする。それじゃあ次は状況の把握よね?」
「いまわかっていることを改めて確認すると、原因不明の飛行機事故で南太平洋上の海に墜落。生存者は五人。時間は――時差があるかもしれないけど、だいたい正午。見渡す限りなにもない状態で救助を待っている。ってところだな」
「問題は救助が来るかどうか――で、いいの?」
「そうだね。確率としては来る方が高いと思うけど、過去には失踪して行方不明のままになっている例もあるから絶対とはいえない。それに救助が来るにしても時間がかかる場合も問題かな」
「どういうことだ?」
神山が首を傾げる。
「サバイバルの基本的な知識に、3の法則ってのがあるんだけど、それによると人が生きていられるのは、呼吸ができなければ3分間、水分がなければ3日間、食料がなければ3週間が限度だとされているんだ。他にも適切な体温を維持できなければ3時間というのもあるんだけど、いまの状況に当てはめるとこの体温維持と水分補給に気をつけないと危険だと思う」
「たしかにこの暑さだと、救助が来るまでに熱中症か脱水になってもおかしくないわね」
柚木先生がすぐに問題点に気付いて顔をしかめた。
「というわけで、早急に暑さ対策が必要だな」
持ち出した鞄の中から使えそうなものを探す。
鞄の中身は着替えやタオル、ポンチョ、水筒、歯ブラシセット、ソーラー発電付きモバイルバッテリー、携帯ラジオ、イヤホン、パスポート、旅のしおり、筆記用具一式、ポリ袋、医薬品、お菓子など。
「雨具のポンチョがあるから、これをタープにしよう」
「ポンチョなんて使ってんの?」
浜崎が笑って言った。
いやいやこれが意外と馬鹿にはできないんだぞ?
街中では使ってる人ほとんどいないけど……。
「丸めるとそれなりにコンパクトだし(折り畳み傘より一回りほど大きいけど)、使わないときは枕やクッション代わりにもなるから、旅行やキャンプのときは結構使えるんだよ」
それにこれは元々タープやレジャーシートとして使っても大丈夫なように作られてるやつで、日除けとしての効果もしっかりある。
話しながらも、袋から取り出して広げると、縦2m、横1.5mほどのタープになった。
ポールがないから、みんなの頭上に広げて端の方を持ってなきゃいけないんだけど、まあいいだろう。
ギリギリ五人分の日陰にはなる。
「直射日光を遮るだけでも、結構違うんだな」
浜崎もすこしは見直した様子だ。
「だいたい数度くらいは温度が下がってるんじゃないかな」
場合によってはマイナス10度くらいの効果が出ることもあるらしい。
とはいえ、まだまだ暑さはきつい。
頭上から降り注ぐ直射日光だけじゃなくて、海面を反射する光のせいだろうか?
こちらは対処が難しいので、別の方法で体温を下げるのが手っ取り早そうだ。
ポケットの中に入れていたハンカチ代わりのバンダナを、たっぷりの海水に浸して、首に巻きつける。
これだけでも単純に冷たくて気持ちいいけど、水分が蒸発するとき熱も一緒に吸収していくことで、体温を下げる――つまり汗と同じ効果があるので、僕らは余計な汗をかかずに済む。
水分の消耗を抑えつつ、体温調整もできる一石二鳥の熱中症対策というわけだ。
「みんなハンカチとか持ってる?」
「そんなの持ってるわけないだろ」
浜崎はある意味予想通りの答え。
「私は持ってるわよ」
白川がポケットからハンカチを取り出した。
刺繍入りの綺麗なやつだ。
なんとなくイメージ通りな感じ。
「私もあるわ」
柚木先生も持っているようだ。
「すまない、私はいま何も持ち合わせがないよ」
神山が申し訳なさそうに言った。
「それじゃあ、浜崎さんと神山さんはこのバンダナかタオルを使っていいよ」
「サンキュー」
「結城君はどうするのだ?」
嬉々として受け取った浜崎に対し、遠慮した様子の神山の対比が面白い。
「僕は着替えのシャツを使うから気にしなくていいよ」
「そうか。それではありがたく借りるとしよう。感謝する」
神山が頭を下げた。
普段からこんな感じなんだろうか。
生真面目というか、礼儀や作法を重んじるタイプ。
さすが剣道部主将って感じだ。
まあ、それはともかく。
これでみんなの暑さ対策はとりあえず完了だ。
「ふう、大分マシになったな」
「でも暑さを意識してたからか、喉が渇いてきたよ」
浜崎がだらしなく舌を出した。
「たしか水筒に機内で入れてもらった飲み物がまだ残ってたはず」
「ほんと!? じゃあさっそく飲もうよ!」
「待て待て、水分は貴重だから、もっと考えてからだよ」
この水筒はアウトドア用のステンレスボトルで、内容量は1リットルくらい入るやつなんだけど、いまの中身は半分くらい。
大体500ミリリットルってところ。
一般的な成人の場合、一日2リットル程度の水分が必要だといわれているが、汗をかいたりすればさらに必要になる。
つまり五人でこの量は明らかに足りてない。
「考えるっていっても、考えたからって増えるわけじゃないっしょ?」
「いや、増やせるかもしれないよ」
「どうやって?」
浜崎が訝しげな顔になる。
「柚木先生は漂流実験って知ってますか?」
「ううん。聞いたことないけど」
「要約すると、実際の漂流者と同じ条件で、海水を利用して生存率を上げることができないかっていう実験をしたものです」
「海水を利用って、まさか飲んだりしないわよね?」
「そのまさかです」
「絶対にだめよ。海水なんて飲めば余計に水分が失われて、最悪死ぬことになるわ」
「まあ、普通はそうなんですよね。海水を飲まない方が生存率が高いってデータもありますし」
「結局なにが言いたいの?」
浜崎が口をはさむ。
「その実験では、海水は五日を限度に900ミリリットルまでなら、なんとか飲めると考えて、あとは魚とかプランクトンを食べて大西洋を渡ったらしい」
「その話、信頼できるの?」
柚木先生が眉をしかめる。
「正直微妙ですね。たしか最初はフランス人の医師が行ったんですけど、その報告を受けて挑戦したドイツの人は、うまくいかなかくて、そのフランス人は途中で水や食料の支援を受けたとか、実際には現実的ではないって結論付けてるんですよ」
「だめじゃん」
浜崎ががっくりとした。
「でも日本人の冒険家もいろいろ実験した結果、一日200ミリリットルを五日程度なら大丈夫だったとか、海水を水割りにすることで、少ない水分で長期の生存が可能になるなんてデータがあるみたいですよ」
「水割りか……それならたしかにできなくはないのかしら」
海水の塩分濃度は海域によって多少差はあるけど、大体3.5%程度。
人間の体液に含まれる塩分濃度は0.9%だから、海水1に真水を2か、3程度加えれば、生理食塩水として使えなくもないと思う。
「いえ、やっぱり駄目ね。海水にはいろんな雑菌がいるから危険よ」
「水の殺菌ならSODIS法ってのがありますよ」
「またよくわからない言葉がでてきた」
浜崎が口を尖らせる。
「Solar Water Disinfection の略。要するに太陽光の紫外線を利用して水を殺菌するってこと。こっちはWHOや赤十字も認めてる信頼できるやつだよ」
「それっていまここでできるの?」
「ペットボトルなどの透明な容器に水を入れて、6時間ほど太陽光にあてるだけ。簡単だろ?」
まあ、日照条件や緯度によって多少時間は変わるんだけど、ここは低緯度なので条件的には十分のはずだ。
「6時間!? そんなに待ってられないって! てか先に救助が来るんじゃないの?」
「そうなんだよなあ。だから水筒の飲み物を温存するかどうか、迷うところなんだけど、みんなはどうするのがいいと思う?」
海水を殺菌してから、混ぜれば量は少しだけど増やすことができる。
ついでに汗などで失う塩分も補給できるメリットがあるし、悪くはないと思う。
でもそのためには時間がかかるし、その間に脱水や熱中症になる可能性も否定できない。
どうするべきか。
それが問題だ。
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