第2話 救助
気がついたとき、目の前に青空が広がっていた。
波の音。
水飛沫の冷たさ。
ここはどこだ?
頭が痛い。
起き上がろうとして、失敗した。
腰のあたりをシートベルトが締め付けている。
そうだ、飛行機が墜落したんだ。
すぐに隣座席へ視線をやると、白川がぐったりとしていた。
僕の手を、白川の鼻先へかざしてみると、呼吸しているのがわかった。
よかった。
生きてる。
他の乗客はどうなった?
周囲に目を向けると、そこで初めて現状を認識した。
僕の座席のすぐ前のあたりから先がない!
そこから海水が流れ込んできており、飛行機は大きく傾いて、今にも沈んでいきそうな状態だった。
「白川! 起きろ!」
肩を叩くが、目覚める様子がない。
仕方がないので僕と白川のシートベルトを外して、二人の救命胴衣を膨らませる。
そうして白川を飛行機の外へ連れ出した。
顔は海上にでているので、溺れることはないだろう。
僕も脱出しようとして、僕の鞄が足下の座席に引っかかっているのを見つけた。
迷ったのは一瞬で、引っ張りだして、すぐに海上へ脱出した。
後方を振り返ると、黒煙が上がっているのが見えた。
まさか爆発したりなんてことはないだろうな?
それに大型の客船などが沈没するとき、大きな渦ができることがあるので、出来るだけ離れた方がいいっていう話もあったはずだ。
意識のない白川を引っ張って、すこし離れたところまで泳いでいく。
服が水を吸って、体の動きを阻害する。
余分な体力を消耗しつつも、なんとか移動すると、近くに補助翼かなにかの残骸が浮かんでいた。
これくらいの大きさなら、救助が来るまで上に乗って体を休めることができそうだ。
問題は白川をどうやって上げるかだが……
そんなことを考えていると、ようやく白川が目を覚ました。
「ここは……」
「海の上だよ」
「海……」
「飛行機が墜落したんだ。覚えてない?」
「ううん覚えてる。でも落ちた後の記憶がないわ」
「意識を失ってたみたいだから仕方ないよ」
「そうなの?」
「うん。だから白川を連れて、とりあえず脱出したのがいまの状況」
「そっか」
「それよりどこか痛かったりする? 気分は?」
「頭がぼーっとするけど、痛くはないと思う。ありがとう、結城君」
白川の返答ははっきりしているので、おそらく頭を強く打ったりしたわけではなさそうだ。
「それで私たち助かったの?」
「いまのところはね。あとは救助が来るまで待ってればいい」
「よかった」
「ただいつまでも海の中じゃなんだし、この残骸の上にでも退避しようと思うんだけど、どうする?」
「えっと、そうね。私もそうするわ」
「じゃあ、先に僕が上がってみるよ」
残骸――おそらくどこかの翼の一部だろう――に手を掛け体重を乗せると、その分だけ傾く。
波の揺れと相まって、すこしばかり難しそうだ。
ついでに持ち出してきた鞄と救命胴衣の膨らみも邪魔だな。
鞄と脱いだ救命胴衣を先に上げてから、オットセイみたいに上半身を乗り上げた。
水上に上がると同時に、水に濡れた服が体に張り付くように邪魔をしてくる。
服が重い。
それでもなんとか這いずるようにして、上がることができた。
若干安定性が悪いけど、すぐに沈むほどではないな。
「大丈夫そうだ。手を貸すから上がっておいでよ。ああ、それと救命胴衣は脱いだ方が上がりやすいと思うよ」
「わかった」
そういって救命胴衣を外した白川が手を伸ばしてくる。
その手を握って、思い切り引き上げる。
予想以上に重い。
もちろん水を吸った服のせいだろうけれど、理由は何であれ女子に重いというワードは禁句だ。
紳士的になんでもないような表情を取り繕った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ようやく一息つけた気分だった。
飛行機の残骸の上。
見渡す限りの青。
すこし離れたところで、飛行機が沈んでいく。
短い時間にいろいろありすぎたせいか、頭がぼんやりする。
「ねえ、他のみんなは?」
「みんな?」
「乗客のみんなよ。――まさか助かったのは私たちだけなの?」
ぼんやりとした頭に冷水を浴びせられた気がした。
そうだ。
こんなところで休んでる場合か?
あのとき――
脱出しようとしていたあのとき。
なんでもっと機内を調べなかったのか。
いまから向かって間に合うのか?
向かうべきか?
沈む飛行機のあたりを観察していると、一瞬、腕が海面にあがったのが見えた。
「あそこ――誰か溺れてる!」
「え!? どこ?」
指をさすが、いまにも沈んでいきそうだ。
――説明する時間も惜しい。
「これ借るよ」
自分のものと委員長が脱いだ救命胴衣を二着持って、海に飛び込む。
さっき見えた腕が、いまは見えない。
全力で泳ぐが、体が重い。
服は脱いでおくべきだった。
慣れない着衣水泳が着実に体力を削っていく。
間に合うか?
諦めが過ぎったとき、また一度だけ手が水面に突き出た。
まだ生きてる。
いまにも沈んでいく手を取ると、ものすごい力で引き込まれた。
やば――
気がついたときには、全力で抱きつかれていた。
しかも僕の首に巻きつくように腕を絡めている。
息が苦しい。
それでも二つ分の救命胴衣のおかげで浮力は十分だった。
海上へ頭を出して、なんとか呼吸する。
「落ち着け! 僕じゃなくてこれを持つんだ!」
声を張り上げたが、パニックで理解できていないのか、僕にしがみついたままだ。
このままじゃ、僕まで危ない。
ちょっと荒っぽいけど仕方ない。
手が使えないので、頭突きを食らわせた。
ゴチンと鈍い音がして、頭がジンジンする。
救助対象は元々弱っていたのか、一撃で意識を失ってくれたらしい。
首に巻きついていた腕から力が抜けていく。
危ないところだった。
溺れている人を救助するときは、正面から向かっては駄目だと聞いたことはあったのに、焦りからついやってしまっていた。
まあ、なにはともあれ。
これで落ち着いて対処できる。
救助した人は女の子だった。
意識がないので、そのまま沈んでいかないように気をつけて、救命胴衣を装着する。
これでよし。
ひとまず戻ろう。
翼の残骸まで戻ると、白川が上がるときに手を貸してくれた。
「大丈夫だった?」
「なんとか。ギリギリ」
「その子は意識ないの?」
「うん、すこし様子を確認しよう」
二人がかりで救助対象を引き上げる。
髪を金に染めた女子高生。
よくよく見るとこちらも同じクラスメイトだった。
名前は浜崎玲奈。
いわゆるギャルだ。
うちの高校は自主性を重んじるという名目で、校則が厳しくはない。
そんなわけで真面目を絵に書いたような委員長みたいなタイプから、この浜崎さんのようなギャルまでいろんな生徒が所属している。
いや、そんなことよりも気絶したままだったな。
まず呼吸を確認すると――あれ、止まってる?
そんなまさか!?
手首の脈を取りながら、胸に耳を当て、心臓の鼓動を確かめる。
「どうしたの? まさか――」
「いや、脈はある」
だけど呼吸がないなら人工呼吸が必要か?
とりあえず、気道の確保のために顎を持ち上げ、鼻をつまんで、胸が膨らむように約一秒、空気を吹き込む。
これで駄目なら、胸骨圧迫も――そう考えたところで、
「ゲホッケホッ」
浜崎が咳き込むように、息をした。
すぐに体を横向けにして背中を擦る。
「大丈夫か?」
「はあはあ、一体なんなんだよ」
涙目の浜崎が、混乱した様子で口を開いた。
うっ。
罪悪感が刺激されるなあ。
状況的に仕方がなかったとはいえ、頭突きで気絶させたら、まさかこうなるとは思ってなかったんだ。
悪くないといえば、悪くないはずだけど、やっぱり後ろめたい感じがする。
なんと説明しようか迷っていると、白川が先に話した。
「あなた溺れて意識を失っていたのよ。それで結城君が助けに行ったの」
「結城?」
浜崎が首を傾げた。
どうやら僕のことは覚えられていなかったようだ。
まあ、僕たちはクラスで特に話をしたりした記憶もないので、こんなものかもしれないけど。
「僕の名前だよ。一応同じクラスメイトだ」
「そうだっけ? いや、えっと、ありがとな?」
バツが悪そうな表情で浜崎がお礼をいう。
意外と言っては失礼かもしれないけど、素直にお礼を言われるとは思ってなかった。
しかも僕は僕で、ちょっと顔を合わせづらいし。
「いやいや、ほんと無事でよかったよ」
あのまま死んじゃってたら、どうなってたことか。
心底ほっとしていると、浜崎に変な目で見られていた。
「な、なに?」
「なんでもねーよ」
浜崎はそういって、フイッと視線を逸らした。
ん?
頭突きしたときのことを覚えてるのかな?
それとも人工呼吸のことか。
ちょっと気にはなるけど、藪蛇になりかねないので黙っておくことにした。
「それはそうと結城君よく浜崎さんのこと見つけられたわね。声も聞こえなかったし、私は全然気付けなかったわ」
白川が感心した様子で声をかけてきた。
「ああ、テレビや映画なんかでは、溺れている人は大声で助けを呼んだりするけど、あれは映像的なわかりやすさ重視というか、現実とはすこし違うらしい」
「どういうこと?」
「実際には溺れている人の多くは静かに沈んでいくといわれているんだ。今回みたいにね」
「どうして? 普通は大声で助けを呼ぶものじゃないの?」
「声をあげるには、まず呼吸ができなくちゃいけないんだけど、溺れている人は息をしようと必死で、声をあげるどころじゃないんだよ」
「あ、そっか」
「それに緊急時は本能的に腕を動こうとするから、手を振って助けを求めたりといったわかりやすい行動もできないんだ。ライフガードの間ではハシゴ上りなんて呼ばれるらしい」
「へー、初めて知ったわそんなこと」
「まあ、僕も本なんかで知っただけで、今回見つけられたのは単純に運が良かっただけだと思う」
飛行機の方へ再び視線を向けると、ほとんど沈んでいた。
もう近づくのも危険だ。
他の乗客まで救助しに行くのは――無理だ。
疲労感がどっとあふれて、立っていられなくなった。
「大丈夫?」
「疲れた。すこし休むよ」
横になって目を瞑る。
救助隊が来るまで、あとどれくらいだろう?
僕が意識を失っていた時間はどのくらいだ?
うとうとしはじめたころ、白川が声をあげた。
「あそこ生存者がいるわ!」
白川が指さすほうに目を凝らすと、黄色い救命胴衣を身に付けた人影が二つ並んで浮かんでいるのが見えた。
「あっちは飛行機の前方部分が沈んでいった方向?」
「たぶんそうよ」
そうか、あっち側はしっかり確認してなかったな。
「おーい! 生きてるなら返事をしてくれ!」
大声で呼びかけると、二人の手が振られた。
「自力でこっちまで来れるか!」
「今行く」
大きくはないがはっきりと返事が聞こえたあと、二人はこちらへ泳ぎ始めた。
近くまで来ると二人の顔が識別できた。
一人はクラスこと違うけど、同じ高校の神山なぎさという生徒だ。
女子剣道部の主将として、それなりに有名だったりする。
もう一人は養護教諭の柚木ゆかり先生だった。
こちらも美人ということもあって、生徒から人気は高い。
「先生と神山さんも無事だったんですね」
「白川さんたちも無事でよかった。私たち以外みんな助からなかったのかと――」
先生はいつもの優しげな笑みを浮かべたが、途中で涙ぐみ、言葉を詰まらた。
「先生……」
白川まで泣き出したので、二人を引き揚げた後、しばらくそっとしておくことにした。
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